第十三章 見てはいけないモノ
ぱち、と目を開けるとそろそろ見慣れてきた天井が目に映る。
窓から朝日が優しく差し込んでいて、鳥の鳴き声がかすかに聞こえる。
「……夢……?」
横を見ると相変わらず平和そうに眠るハイドの姿。
そっと起き上がると、目の端から涙がぽろり、と一粒零れた。
「……ううん、夢じゃない」
あんなリアルな夢はないだろう。
…ユミル様は、私の中にいるって言ってた。なら、今ここで寝てるハイドも見えてるんだろうか。
(…ユミル様、見えてますか?ハイドは元気ですよ)
心の中で問いかけるも返事はない。でも、どこかで見てくれていれば良いな。
「……アイリ?」
呼ばれてハイドを見下ろすと、うっすら目を開けてこちらを見ていた。
「どうしたの?まだ起きる時間より早いよ?」
「ん…ちょっと目が覚めちゃって。ごめんね、起こした?」
そう言うとハイドは返事代わりに私の手の甲に自分の手の平を重ねた。
「…なんか、不安そうな顔してる。嫌な夢でも見た?」
きゅ、っと私の手を握る。その表情があまりにも不安そうだったので、私は軽く微笑んで
「大丈夫、本当にちょっと早く目が覚めちゃっただけだから。なんでもないよ」
「そう…なら良いけど」
きっと、ユミル様のことはまだ言うべきじゃないんだろうな。今度もし会えたら、ユミル様に聞いてみようっと。
「それより、早く起きたんなら散歩でもする?」
「え?」
「ちょっと庭でも散歩しようよ。アイリは城内ではここと魔道室、それにラデューの部屋ぐらいしか知らないだろう?綺麗な庭があるんだ。どう?」
「行く!」
「決まり。じゃあ着替えて早速行こうか」
私は急いでワンピースに着替え、ハイドもラフなシャツ姿で庭へと向かった。
「わぁ…綺麗!」
部屋を出てしばらく歩いたら、急に視界が開けた。
廊下の片面、天上から床まで全てがガラス扉になっている場所があり、その扉から素晴らしい庭が見えたのだ。
隅々まで丁寧に剪定されているらしい庭は左右対称になっていて花が咲き乱れ、その中央には大きな噴水があり、女神の姿をした石像の手から水が流れるような細工がしてあった。
「こっちだよ、アイリ」
ハイドが扉を開けて手招きする。私はそこから一歩外に踏み出し…
「…………!」
その瞬間鼻に飛び込んできた花の瑞々しい芳香に言葉を失くした。
色とりどりの花が風に揺れ、その度に素晴らしい香りがする。まるで風に香りが付いているみたい。
「気に入った?ここは城内でも一番ぐらいの庭でね。賓客が泊まる部屋からこの庭が見えるもんだから庭師が張り切るんだよな」
私は庭の真ん中まで足を進める。
噴水には澄んだ水が絶え間なく流れていて、なんとなくこの周りだけ涼しく感じる。
私は噴水のへりに腰掛け、庭全体を眺める。
緑のにおい、花のにおい、水の音。
その全てが懐かしい気がしたのは、きっと私の世界でも同じにおいや音がするから。
世界は違っても、自然は同じなんだ。
そう思うと何だか涙が出た。
不安の涙じゃない。これはきっと安心の涙。
「…アイリ?」
ハイドが不安げに私を覗き込む。
「ううん、なんでもない。…生きてるって実感しただけ」
その言葉にハイドは何も言わず、ただ頭を優しく撫でてくれた。
「ありがとうハイド。なんか、元気出た」
「そうか、なら良かった」
ハイドは私がどうして泣いているのか、理由を尋ねてこなかった。それがとても有難かった。
「そろそろ戻ろうか、お仕事の時間来ちゃうね」
「ああ、そうだな」
そして自然に差し出された手を、私はしっかりと繋いだ。
…ありがとう、ハイド。
「じゃあ、今日は私が先頭で行ってみるね」
朝食を終え、着替えを済ませた私は鏡でチェックしながらハイドに告げた。
「ん、じゃあ俺は後ろから着いて行く。聞かれるまで黙ってようかな」
「…魔道室まで辿り着けないんじゃないかって思ってるでしょ」
少し面白そうに言うハイドを私は軽く睨む。
「そんな事ないさ。アイリが無事着けるように後ろから祈っておくよ」
「……ソレハドウモ」
明らかに祈る気がない言葉に、私は片言で返事をする。
「さて、じゃあ行こうか」
ハイドが扉を開け、私を招く。
先に出た私はひとつ深呼吸をして、魔道室への道を歩き出した。
「…………」
最初の分岐点。
そこで私は一旦立ち止まった。
「アイリ?」
「なんでもない。脳内地図の確認をしてただけ」
「そう?迷ってない?」
「迷ってない」
即座に切り捨てたものの、正直迷っていた。
ゆうべ見取り図で確認していた時はこれぐらい何ともないと思っていたのに、実際歩いてみると感覚が違いすぎてためらう…
しかも分岐点のどちらを見ても、全く同じ景色なので判断材料が乏しすぎる!
「ギブアップする?」
「しない」
背後からかかった面白がっている声にカチンときた私はまたしても切り捨て、
(ええい、ままよ!)
「……こっち」
言って一歩踏み出すと、後ろから声がかかった。
「さすがアイリ。正解だよ」
その言葉にほぉーっと深く息を吐く。
「あ、やっぱちょっと迷ってたんだ」
「………ちょっとだけね。だってここまで左右対称だと思わなかったんだもん」
「侵入者対策としてそういう構造になってるからね。騎士団でも初めて登城した新人はたいてい迷子になって捜索する羽目になる。恒例行事みたいなもんだな」
「ハイドも迷ったの?」
「俺は何度も父上に着いて城には来ていたから迷わなかったな」
「……ハイドのお父様は偉い人だったの?」
「一応ね。国王の側近やってたから、立場としては結構上かな」
「国王の側近!?」
びっくりして危うく階段を踏み外すとこだった。国王の側近って、相当トップでエリートじゃないの!
「そ。まぁ爵位が爵位だから、それぐらいの仕事してないと家臣に示しがつかないからね」
「そ、そう…」
だめだ。聞けば聞くほどこの人と私は住む世界が違うんだって思い知らされる…
「俺はあまり爵位に興味がないから、もう相続権は放棄してるつもり。上に兄貴もいるし、跡継ぎも生まれたからね」
「つもり?」
「兄貴が許さないんだよ。万が一のことがあるから、相続権は持っておけって。万が一なんてあるわけないのにさ」
私はそういう類の話をもちろんしたこともないし聞いたこともない。
だからどういう返事をするべきか分からず、黙って歩を進めた。
「ごめん、重い話だった。今のは忘れてくれ」
少し気まずくなった空気を払うように、ハイドは私の頭を撫でてくれた。
「重いも何も、私には分からない世界だよ。元の世界ではそんなの外国でしかあり得ない話だったから」
外国でもそんなに頻繁にあるのかどうかは分からないけど。
「そうか…アイリが暮らす世界は皆平等なんだな」
「うーん…正確に言えば格差はもちろんあったけど、爵位とかはなかった。そういう意味では皆一緒なのかもね」
話しながら歩くうちに、次の分岐点に差し掛かった。
………さて。
「…どっちだったかな」
今度は素直に口に出す。
「分からなくなった?」
「あんまり自信ないなぁ…」
さっきはカンで当たったものの、そう何度もカンが当たるとはとても思えない。
しばし分岐のど真ん中で立ち止まって考え込む。ハイドは後ろで何も言わずに待っている。
……と。
「そんなとこで突っ立ってられると、邪魔なんだけど」
突然私たちの背後から声がした。
振り向くと、鎧を着た一人の男性が眉間に皺を寄せて腕組みして突っ立っていた。…誰?
とりあえず、私たちに好意を抱いているとはとても思えないので黙って相手を見上げる。
「どいて」
目が合った瞬間一言つっけんどんに言い放たれ、その物言いに少しカチンとくる。初対面なのにその言い方はないだろ!
「ジュモー、アイリはまだ城に慣れてないんだ。これから魔道室まで行くところなんだよ」
ジュモーと呼ばれた男性は、あからさまに不愉快そうな顔をした。
「だから廊下のど真ん中に突っ立って迷子になってたってか?お前が付いてるんだったらさっさと案内してやれよ」
「それだとアイリのためにならないだろ。これからは一人で通わないといけないんだから」
「ふん、聖騎士ともあろう人間が一人の女すらろくに教育できないのか。堕ちたもんだな」
「その女すら出来ない人間にはこういう楽しみなんて一生分からないだろうな」
な……なんか、この二人めちゃくちゃ仲悪いんですけど…っていうか、一切表情を変えずに淡々と毒吐いてるハイドが怖くて仕方ないんですけど!
「アイリ」
不意に名前を呼ばれ、私はびくりと肩をすくませる。
「紹介するよ。彼女はアイリ。僕の専属で、異端者」
「……異端者?お前が?」
異端者、の言葉を聞いた途端、ジュモーの眉間の皺が一層深くなる。
「…ただの小娘じゃないか」
その言葉に完全にキレた私は、ハイドが何か言う前に口を開いた。
「誰が小娘よ!黙って聞いてりゃさっきから好き放題言ってくれるわね!名前も名乗らないで他人をけなすあんたの方がよっぽどお子様だわ!」
その剣幕にハイドもジュモーも目を見開いて黙り込む。
「何なのよさっきから二人とも!大の大人が子供みたいな口喧嘩やってるんじゃないわよ情けない!私はもう知りません、二人で好きなだけ言い争ってるが良いわ!」
そう言い捨てると、二人の返事も待たずに分岐のひとつへ走り出した。
「待てアイリ!そっちは…!」
ハイドが何か言っていたが、振り返りもせず廊下を曲がって姿を消した。
「………まずいわ」
怒りに任せて廊下を走ったはいいが、どうやら道を間違えてしまったようだ。
行けども行けども魔道室に辿り着かず、しかも最初のうちは適当に角を曲がったりしていたものだから、今自分がどの辺を歩いているかなんて全然分からない。…いわゆる完全な迷子だ。
「しまった…ハイドはこっちじゃないって言いたかったのかしら」
今更後悔してももう遅い。例え探しに来てくれていたとしても、多分なかなか会えないだろう。
そう思うと、何だか急に心細くなってきた。
しかもここまでに誰にも会わず、更に窓が少ないせいか薄暗いので余計に寂しさが増す。
……あれ?
「分岐間違えたら…たしか、こっちって…」
改めて歩いてきた廊下を振り返れば、若干傾斜している。下り坂になっているみたいだ。
『こっちは牢獄』
「!!」
そうだ。こっちには牢獄と…拷問室がある、って…
引き返そう。
そう思った瞬間、廊下の向こうから風が吹いてきた。
ぎくり、として戻りかけた足を止める。
恐る恐る下り坂の先を見るも、薄暗くてよく見えない。
けど、突然吹き出した風はやむ事無く私の髪をわずかになびかせる。
その風に、何か覚えのある香りがかすかに乗っている事に気付いた。
「……花の、匂い?」
元の世界でも馴染みのある、バラのような香りがする。
この廊下の向こうに花畑でもあるんだろうか?
しばらく迷った結果、私は香りのする方へと歩き出した。
しばらく歩くと、バラの匂いが明らかに濃くなってきた。
一歩歩く度に匂いが濃くなり、段々と呼吸がしにくい程までに濃厚になった。
(……おかしい…花畑なら、ここまで濃い匂いはしないわよね…)
私は袖で鼻を覆い、少しでも呼吸しやすいように前かがみになって歩を進める。
それは、突然やってきた。
薄暗い廊下の先。
何か巨大な箱のようなものが、でん、と廊下の隅に置かれていたのだ。
それは透明なようで、中に何かがぎっしり詰まっているようにも見えた。
(…?なに、これ…)
もう少し近付かないと、何が入っているのか分からない。
意を決して、触れられる程近くまで歩み寄る。
「………これ、バラの花びら?」
私よりも少し高さのある四角形の箱の中には、隙間なくびっしりとバラの花びらが詰め込まれていた。
どこかに隙間があるのだろうか、強烈な匂いが漏れ出していた。
(…でも、これ…いったい何のために?)
別の位置からも見てみようと、他の面に移動した時、花びらの他に何か入っているのが視界の端に映った。
「……?」
違和感の元を探ろうと、通り過ぎた視線を引き戻し…
「ひっ……!!」
思わず引き攣った悲鳴を上げた。
違和感の正体。それは。
人間の、手だった。




