第十二章 夢か現か
「……大丈夫?」
お風呂から戻ってきたハイドは、そのままどさりとベッドに身体を投げた。
「ちょっと疲れたかな。でも寝れば治るよ」
「本当にごめんね…」
しゅんとする私を見て、
「もう謝るのはなし。それに俺にも非がある。もし敵国が相手だったら今頃生きていない。油断していたんだ。もっと精進しないとな」
うーん、と伸びをして、私の膝まで転がって来て頭を乗せる。
「ちょ、ハイド!?」
「ごめんって思うなら、ちょっとだけこうさせて」
そして膝枕のまま目を閉じた。
私は一瞬戸惑ったものの、あまりにも安心しきった顔をしているので、そのままじっとしていることにした。
「…ねぇ、ハイド」
「ん?」
「私の魔力…暴走したら危ないって言ってたよね。あれ、やっと理解できた」
普段から訓練しているハイドですらあの状態になったのだ。他の人ならひとたまりもないだろう事ぐらい、知識のない私でも分かる。
「制御の仕方を教わっておいて良かった…ハイドを失うなんて、嫌だし、きっと一生立ち直れない」
命の恩人をこの手で殺めるなんて最悪にも程がある。魔力を貯蔵した後、私は右目の奥に何重ものロックをかけるイメージを作った。
よほどの事でもない限り、漏れ出さないようにがっちりと。
「アイリの魔力はこの国でも相当上位になる。確かに暴走すれば止められるのは一握りの人間だけだ。何よりも、暴走した魔力はその持ち主にも降りかかる。結果アイリの命すら危うくなる。…でも、何があっても俺が止めるから安心して」
下から私を見上げるハイドの深紅に輝く目は、揺らぐ事無くまっすぐに私の目を見据えている。
その強い眼光に、私は少し怯む。
「…でも、それでハイドに何かあったら私、困る」
「俺はどうとでもなるさ。アイリを失うのは絶対に嫌だ。だから守り抜く」
不意に伸びてきたハイドの手が、私の頬に触れる。その温もりに心臓が少し弾んだ。
「愛する人一人守りぬけないなんて、聖騎士の名折れだからな」
そう言って笑うハイドには余裕すら感じて、私もようやく頬が緩む。
「…ありがとうございます。その時は、頼りにしてますね」
その瞬間、ハイドが起き上がる。
「え、なに?突然」
「今、敬語使ったよね?」
一瞬固まった。直後、慌てて手で口を押さえた。しまった!!
「あ、あの、あれは、その」
何とかして言い訳をしようとするが、頭が混乱してうまく出てこない。
しどろもどろになる私とは対照的に、ハイドは妖艶な笑みを浮かべてこちらを見ている。
「言い訳は聞かないよ。ハッキリ敬語で喋ったもんね?」
にっこり。
「あ…の、そのっ」
じりじりと距離を詰められ、こちらもじりじりと後退するも、すぐにベッドの端まで追い詰められる。背中はベッドの背もたれ。逃げ場はない…!
「アイリ」
ハイドの長い指で両頬を包まれ、心臓がかつてないほど早鐘を打つ。
そ、その満面の笑顔がコワイ…!
「やっとアイリにキス出来る。ずっと我慢してたんだよ?」
その笑みにとんでもない色気が混ざり、息をするのを一瞬忘れそうになる。
「あの、ハイド、ちょっと待」
「待たない」
ハイドが短くそう呟いた瞬間、視界が一瞬ブレる。
あ、と思った瞬間、唇に温かい物が触れた。
それがハイドの唇だと理解した瞬間、全ての思考が吹っ飛んだ。
「………!」
かすかに触れる程度のキスが、何度も繰り返される。
目をぎゅっと閉じて硬直していたものの、なかなか終わらないキスに息が苦しくなる。
呼吸をしようと無意識に浅く開いた唇を割って、ハイドの舌が滑り込んで来た。
「んーーっ!!」
無理!これ以上は、無理だ!心臓がもたない!
一瞬の後、全力で顔を上に逸らす。
するとハイドの唇が離れたので、即座に逃げようとしたものの、私は忘れていた。
後ろが背もたれで逃げられなかった事を。
「あ」
ハイドが止める間もなく逸らした私の後頭部は、すぐ後ろの背もたれにクリーンヒットした。
ごいん、と鈍い音が寝室に響き渡る。
「アイリ!?大丈夫!?」
ハイドの焦る声が聞こえるが、私は痛みでそれどころじゃなかった。
逸らした身体を今度は後頭部を押さえて前のめりに倒す。
「いった…」
「何してんだよ!」
「それはこっちのセリフだってば…いたたた」
打った所をさすりながら私はハイドを睨みつける。
「あんな長いキスするなんて聞いてないよ…」
思い出すだけで頬が熱くなる。
そんな私を面白そうに眺めながら、
「キスするとは言ったけど、長さまでは言ってないからね」
「なっ…ずるい!」
「人聞きの悪い。もう一回するよ?」
慌てて口をつぐんだ私を見てハイドは笑う。
「でも…アイリとずっとキスしたかったのは本当。やっと叶った」
しみじみと言われ、あまりの恥ずかしさに枕を抱き締め、顔を埋めてそっぽを向く。
子供っぽい事してるなぁ私。ほんと何歳だって感じだわ…
「あ、また拗ねた」
「拗ねてない!も、もう…早く寝ようよ」
「そうだな、明日も仕事だし、遊ぶのはまた明日にしよう」
そう言って布団に潜り込むハイドに私はこっそりため息をつく。明日もするんですか、この不毛な争いを…
「おいで、アイリ」
布団を広げてハイドが手招きする。
「そんな警戒しなくても、何もしないよ。…たぶんね」
「絶対」
きっちり言い直してから、私は布団に滑り込む。すかさずハイドがふんわりと布団と一緒に腕を回してくる。
…これにもいい加減慣れないと、毎回わたわたするのは悔しい…
「おやすみ、アイリ」
「…おやすみ、ハイド」
ぱちん、とハイドが指を鳴らすと、ライトがふっと消え、部屋は暗闇に包まれた。
私は目を閉じ、さっきの事を思い出す。
温かい、ハイドの唇。思い出すと恥ずかしいけど、でも、どこか安心する温もり。
後頭部をぶつけた事は早々に流したい記憶だけど、このキスだけは絶対に忘れないでおこうと心に決め、私は眠りについた。
『………ぇ』
ん…誰か呼んでるような……
『……ねぇ…』
どこから聞こえてくるんだろ…気になるけど、眠い…
『…ねぇってば……』
……………
『ねぇってばぁ!!』
「うわぁっ!!」
いきなり耳元で叫ばれ、びっくりして飛び起きる。
「だ、誰!?」
パニックになって周りをわたわたと見渡す。けれど誰もいない。それどころか…
「…ここ、どこ?」
私は見知らぬ花畑にいた。
ふわふわと光る花が一面に敷き詰められ、その光景は地平線の彼方まで続いていた。
きょろきょろと辺りを見渡していると、
『ここだよ、ここ』
さっきの声が上から降ってきた。
咄嗟に上を見上げ…
至近距離に顔があった。
「ひゃぁぁ!!」
なんとも貧相な悲鳴を上げて後ずさる。
『失礼ねぇ、人を化け物と遭遇したかのような目で見るなんて』
その人物は腰に手を当てて頬を膨らませる。その面立ちに私はもう1回仰天した。
「あ、あなた…私!?」
そう。空中にふわふわと浮いている女性の顔は、私と瓜二つだったのだ。
違うところは髪と目の色。彼女は銀色に輝く髪と紺色の瞳を持っていた。
『うーん、私も最初あなたを見た時は分身かと本気で思ったけど、残念ながら分身でも姉妹でもないのよね』
その人は相変わらずふわふわと漂いながら私の周りをぐるぐると回っている。…非常に落ち着かない。
「あ、あの…とりあえず、降りてきてくれませんか…?落ち着かないです…」
『あら、ごめんなさい。この姿になって長いもので、つい』
朗らかに笑いながら、ふわりと着地する。光る花の花粉らしきものがふわり、と舞い上がり、その人の存在をさらに幻想的に演出する。
『やっぱり地に足付いてるって良いわねぇ。普段意識しないと浮いてるから、私』
うーんっと伸びをするその姿に憂いは全く無い。少し警戒心を解いた私は、先ほどから感じていた疑問をぶつけてみた。
「…あの…あなた、もしかしてユミル様、ですか?」
恐る恐る聞いたその質問に、彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべながら返事をする。
『あら、もう名前をご存知なのね。そうよ、私の名前はユミル。ユミル・エクス・リアーシュ。ハイドの義姉にあたります』
「やっぱり…!そうじゃないかなって思ってました。だって私と何となく似てますから」
顔は似ているが、雰囲気はユミル様の方が数百倍高貴だけど。…髪と瞳の色を変えれば、私もユミル様みたいになれるかしら。
『ほんとに似てるわよね、私たち。前世はきっと姉妹だわ、アイリ』
ころころと笑うユミル様に、私も少し微笑む。
「ところでユミル様、ここはどこですか?」
『ここ?ここはこの世とあの世の狭間』
「……え、私死んじゃったんですか?」
寝る前にベッドの背もたれでしたたか頭打ったのが死因、とか情けなくて仕方ないんですけど!
『違うわよ。私が無理やり連れてきたの。ここじゃないとあなたとお話出来ないんだもの』
「どうしてですか?」
私の問いに笑みを崩すことなくアッサリとユミル様は言った。
『だって私、死んでるから』
「…だからアベル様が、挨拶出来ないって仰ったんですね」
ショックから立ち直った私はぽつり、とつぶやく。
死んでいると告げられた時、私はユミル様に全力で謝った。ほぼほぼパニック状態だったかもしれない。
そんな私をとりあえずしばらく眺めていたユミル様に両頬を手のひらでぺちこん、と叩かれて我にかえったのである。
『そ。アベルもお喋りねぇ。そんな事までぽろっと言っちゃうなんて』
腕組みをしながらユミル様はため息をつく。
『あの人は本当に昔から思ったことをぽろっと口から出しちゃうからね。まぁ、それがあの人の良いところでもあるんだけど』
「そうだったんですか…」
『ところで、ラデュリスは元気?』
「ラデューさんですか?ええ、元気ですよ。ハイドと仲が良いみたいですし」
『そう、なら良かった!落ち込んでるんじゃないかと不安だったのよね』
「…どうしてですか?」
『あら、これはアベルから聞いていないのね』
顎に手を当てて考える仕草をしたユミル様は、ややあって少し低い声でつぶやいた。
『…私、ラデュリスの婚約者だったのよ』
「え」
予想の遥か上の言葉に、またしても私の思考がフリーズする。…ユミル様が、ラデューの婚約者?
『本当は今頃結婚して、幸せな家庭を築いていたでしょうね。…でも、私は死んでしまった。きっとラデュリスの心にもハイドシークの心にも、大きな傷を遺してしまったんでしょうね』
「ユミル様は…病気か何かだったんですか?」
『いいえ。…私は、殺されたの』
「!!」
頭をガン、と殴られた気がした。
『それもハイドシークとラデュリスの目の前でね。…お父様が不在の間に屋敷に賊が押し入って来てね。お父様は護衛の大半を連れて外出されていたから警護が手薄だった。残った皆は懸命に屋敷と私を守ってくれていたけど、隙を突いて背後の窓から侵入してきた賊に私は背後を取られた。…一瞬だったわ』
背後に気配を感じた時、同時にハイドシークとラデュリスが私の部屋に駆け込んできた。
どちらを向くべきか一瞬迷ったのがいけなかった。
背中に強烈な衝撃を受け、次いで熱い何かが背中と胸を支配する。
剣で貫かれたのだと理解した時には、私は床に崩れ落ちていた。
霞む視界の中、最期に見たのは何かを叫びながら駆け寄るラデュリスとハイドシークの姿だった…
『……泣かないでアイリ。私は死んだことに対しては何とも思っていないの』
大粒の涙をぼろぼろ流して泣く私の頭を、ユミル様はそっと撫でてくれる。
『ほら、泣き止んで。そんなにたくさん泣いたら目が溶けちゃうわ』
「ご、ごめんなさい…」
私が泣くのはお門違いだと分かっているけど、それでもユミル様が受けた痛みを想像すら出来ない自分が情けなくて辛かった。
『確かにラデュリス達を置いて来ちゃったのは気になっていたけど、こうしてアイリに会えたんだもの。これからたくさんお話を聞けるわ。だから嬉しいの』
「ユミル様…」
『さあ、涙を拭いて。これからアイリの目を通してたくさんの世界を見せてちょうだい。あなたが来てくれた事で、私はまた世界を見ることが出来るんだから』
「は、はい…」
ぐしぐしと涙を拭いて顔を上げると、そこには輝くようなユミル様の笑顔があった。
『私はあなたの中にいるわ。だから、あなたのその目でたくさん色んな事を見てちょうだい。それが私の楽しみよ』
「分かりました」
『さぁ、そろそろ夜が明けるわ。残念だけど今日はここまでね。…アイリ、また会いましょう』
その言葉と同時に視界がぼんやりと歪む。
私は抵抗すら出来ないまま、ただ歪みに身を任せた。




