第7話 《検索》より速い女
「質問一件、銅貨五枚」
フィノが看板を見上げた。
そして言った。
「まだ変えてないの?」
「開店一週間で三回値上げしたら嫌われるだろ」
「二十三人並ばせた店主が何言ってんだ」
「昨日は二十三人。今日はまだ九人」
「朝の八時だよ」
「…………」
久世透は黙った。
フィノが来て、
三日目。
知識屋は、
明らかに変わった。
客が来る。
相談内容をフィノが整理する。
以前答えた質問なら《知識帳》から探す。
その答えが今でも使えるか確認する。
必要なものだけ、
透へ回す。
結果。
《検索》を使う回数は、
客の数が増えたのに減っていた。
昨日。
二十一件の相談を受けて。
検索したのは五回。
以前なら、
おそらく十五回以上使っていた。
偶然か。
意味があるのか。
それはまだ分からない。
ただ。
悪いことではない。
少なくとも。
あの《取得元》という文字を見て以来。
透は、
必要のない検索をしたくなくなっていた。
「次」
フィノが声を出す。
客が席へ座る。
三十代くらいの女。
「夫が最近、帰りが遅くて」
透は嫌な予感がした。
「浮気してるか調べてほしいんです」
「それは受けてません」
「なんで!?」
「規則です」
三分後。
女性は少し怒りながら帰った。
フィノが、
帳簿へ何か書く。
「何書いてる?」
「浮気調査、今週四件目」
「需要あるな」
「受ければ儲かる」
「嫌だ」
「そう言うと思った」
透は。
少しだけ胸を張った。
自分なりの規則。
少しずつ、
店の形になっている。
その時。
扉が開いた。
女が入ってきた。
◇
最初に目に入ったのは。
赤い手袋だった。
鮮やかな赤ではない。
ワインを少し暗くしたような、
深い赤。
そこから視線を上げる。
黒い長靴。
細身の灰色のズボン。
白いシャツ。
その上に、
黒茶色の長い上着。
旅人にも見える。
商人にも見える。
年齢は。
透より少し若いくらい。
二十五。
六。
そのあたりだろう。
髪は、
光の加減で赤にも茶にも見える。
肩より少し長い。
何より。
目。
店へ入った瞬間から、
棚。
客。
看板。
フィノ。
透。
全部を、
順番に見た。
人を見るというより。
値札を確認するような目だった。
「知識屋?」
女が聞いた。
「そうです」
「久世透?」
「そうですけど」
女は。
透の前へ座った。
「カシア」
それだけ言う。
透は待つ。
女も待つ。
「……名字は?」
「依頼に必要?」
「いらないです」
「じゃあカシアでいい」
フィノが。
帳簿を書いていた手を、
一瞬止めた。
透は気づかなかった。
「相談内容は?」
カシアが、
銀貨を一枚置く。
「ネルカ油」
「ネルカ?」
フィノが説明した。
「実から取る油。料理にも灯りにも使う」
「ああ」
市場でも見たことがある。
淡い黄色の油。
庶民の生活必需品に近い。
カシアが言う。
「明日の正午」
指を一本立てる。
「オルネッサ市場のネルカ油一樽の価格は、今日より上がる? 下がる?」
透は。
すぐには検索しなかった。
「目的は?」
「必要?」
「条件による」
「売買」
「どれくらい?」
「それは秘密」
「じゃあ精度落ちても文句なし?」
カシアの口元が。
少し上がった。
「あなた」
「何?」
「思ったより普通の商人ね」
「褒めてる?」
「半分」
この言い方。
誰かに似ている。
嫌な予感がする。
透は質問を続けた。
現在の価格。
一樽、
銀貨四枚と銅貨八枚前後。
最近の値動き。
安定。
主な供給先。
西の農村群。
そして。
明日。
川を使って、
大規模な荷が到着する予定。
そこまで確認して。
透は。
一度だけ検索した。
《検索:現在把握可能な条件に基づき、明日正午におけるオルネッサ市場のネルカ油一樽の価格は、現在価格より上昇する可能性が高いか》
《検索中……》
結果。
《下落する可能性が高い》
関連情報。
予定入荷量。
現在在庫。
通常需要。
輸送状況。
特別な異常なし。
「下がる」
透は言った。
「どのくらい?」
「そこまで聞くなら追加料金」
カシアは。
銀貨をもう一枚置いた。
迷いがない。
透は、
もう一度同じ質問をしないように。
最初の結果から関連情報を辿る。
推定。
銀貨四枚前後。
「四枚くらい」
現在より、
およそ銅貨八枚安い。
それなりの値下がりだ。
カシアは。
銀貨二枚を失った顔ではなく。
むしろ。
何かを確かめた顔をした。
「ありがとう」
立ち上がる。
そして。
扉の前。
「じゃあ」
振り返った。
「私は上げる」
透は。
意味が分からなかった。
「何を?」
「明日のネルカ油」
透が笑う。
冗談だと思った。
「市場価格を?」
「うん」
「一人で?」
「そう」
「検索結果では下がる」
「知ってる」
「だから今聞いたんだろ?」
「そうよ」
カシアは。
楽しそうに笑った。
「あなたの答えを聞いてから、決めたの」
扉が閉じた。
透は。
しばらく。
その扉を見ていた。
「……変な客」
後ろ。
フィノが言う。
「店主」
「何?」
「名字聞いた?」
「聞いたけど、教えてくれなかった」
「カシア・フェルネ」
透が振り返る。
「知ってるの?」
フィノの顔が。
珍しく。
少し嫌そうだった。
「知ってる」
「有名?」
「フェルネ商会」
それでも、
透は分からない。
「何それ」
「オルネッサで五本の指に入る商会」
「…………」
「その一人娘」
透は。
扉を見る。
「先に言えよ!」
「話してる途中だったから」
「何しに来たんだよ!」
「知らないよ」
フィノは。
少し考えて。
「でも」
言った。
「店主」
「うん」
「たぶん喧嘩売られた」
◇
昼。
ネルカ油。
変化なし。
午後三時。
変化なし。
夕方。
ほんの少し上がった。
一樽。
銀貨四枚と銅貨九枚。
「誤差だろ」
透が言う。
フィノは、
帳簿を見る。
「でも下がってない」
「荷が来るの明日だから」
その日の閉店。
銀貨五枚。
まだ。
普通。
◇
翌朝。
「銀貨五枚と銅貨六枚」
フィノが言った。
透は。
パンを口に入れたまま止まった。
「何が?」
「ネルカ油」
「……上がってんじゃん」
昨日の朝。
銀貨四枚と銅貨八枚。
現在。
五枚と六枚。
一日で、
かなり上がっている。
「何で?」
フィノが肩をすくめる。
「検索したら?」
反射的に。
問いを作りかけた。
ネルカ油の価格が、
なぜ上昇している?
そこで。
止める。
昨日。
ネルカ油について。
既に検索した。
完全に同じ質問ではない。
だが。
二百年前の警告。
《同じ問いを、二度尋ねてはならない》
どこまでが。
同じ問い?
分からない。
なら。
「使わない」
フィノが顔を上げた。
「検索?」
「うん」
「なんで」
「今日は自分で調べる」
「昨日銀貨二枚取った人の台詞?」
「昨日の答えは昨日の条件なら合ってた」
少なくとも。
そう信じたい。
《検索》が間違えた可能性。
ゼロではない。
ただ。
もう一つ。
もっと単純な可能性がある。
世界の条件が。
昨日から変わった。
誰かによって。
透は。
上着を取った。
「市場行く」
「店は?」
「フィノ」
「俺?」
「従業員」
「仮」
「じゃあ仮店長」
「給料増やせ」
「七日後」
「忘れないでよ」
◇
市場。
ネルカ油の店。
三軒。
四軒。
五軒。
全部。
値段が上がっている。
理由を聞く。
「入荷が遅れてる?」
店主が言う。
「いや。船は朝、港へ着いたらしい」
「じゃあ何で高い?」
「売れる量が少ないんだよ」
「油は来てるんでしょ?」
「ああ」
意味が分からない。
次の店。
同じ。
三軒目。
同じ。
そこで。
透は気づいた。
店先。
油を入れている容器。
細長い。
焼き物。
蓋。
中身ではない。
「この瓶」
店主を見る。
「いつもこれに入れて売るの?」
「当たり前だろ」
「樽のままじゃ?」
「宿屋や料理屋ならな。普通の客が樽一本買うか?」
確かに。
一樽。
一般家庭には多すぎる。
油は。
大きな樽で町へ来る。
そこから。
小さな容器へ移して。
家庭へ売る。
「その容器」
透が言う。
「足りてない?」
店主が。
嫌そうな顔をした。
「昨日からな」
「なんで?」
「町中の新しい油瓶を、誰かがまとめて買った」
透は。
目を閉じた。
「赤い手袋の女?」
店主が驚く。
「知り合いか?」
やられた。
◇
知識屋へ戻る。
フィノへ話す。
少年は。
二秒で理解した。
「油じゃなくて瓶を買ったのか」
「そう」
油そのものは、
検索通り入荷した。
供給は増えた。
なら。
普通なら値段は下がる。
でも。
売るための容器がない。
だから。
小売市場へ出せない。
結果。
少ない在庫へ客が集まり、
価格が上がる。
「そんなの」
透は言う。
「あり?」
「商売だから」
フィノは平然としている。
「違法?」
「瓶を買っただけなら?」
「違法じゃない」
「じゃああり」
透は。
椅子へ座る。
《検索》は。
間違っていなかった。
昨日の時点では。
カシアは。
まだ瓶を買うと決めていなかった。
少なくとも。
本人はそう言った。
透の答えを聞いて。
決めた。
第4話。
ミレアの気持ちを検索した時。
表示された。
《意思は観測時点において固定された情報ではありません》
人間の意思。
選択。
それは。
固定された答えではない。
なら。
昨日。
価格が下がるという検索結果。
それを聞いた人間が。
価格を上げる行動を選べば。
未来は。
変わる。
「……そういうことか」
透が呟く。
フィノが聞く。
「何?」
「検索は」
少し考えて。
「未来を決めてるわけじゃない」
答え。
ではない。
正確には。
現時点に存在する情報を集めた。
最も可能性の高い未来。
でも。
その答えを知った人間が動けば。
条件そのものが。
変わる。
情報を売る。
それは。
ただ世界を知ることじゃない。
自分が売った情報によって。
世界を変えることでもある。
「フィノ」
「何」
「ネルカ油の瓶」
「うん」
「油専用?」
フィノが。
少し考える。
「いや」
「同じ大きさで代用できるものは?」
「酒瓶とか」
「町にどれくらいある?」
「知らない」
透は。
笑った。
「調べよう」
検索ではなく。
足で。
◇
一時間後。
透。
フィノ。
そして。
なぜかミレア。
三人は。
酒場の裏に立っていた。
「なぜ私まで」
ミレアが言う。
「商業院だから」
「理由になっていません」
「酒瓶を大量に集める時の法律分からない」
「最初に言ってください」
「だから来てもらった」
「私は便利屋ではありません」
その割に。
来てくれる。
「で」
ミレアが大量の空き瓶を見る。
「これをどうするのです?」
酒場。
宿屋。
食堂。
毎日。
大量の酒瓶が空になる。
普通は。
瓶商人が回収して。
洗浄。
再利用。
する。
そして今日は。
回収日。
「買う」
透が言った。
酒場の主人が腕を組む。
「一本、銅貨一枚」
フィノが即答。
「高い」
「なら瓶商人に売る」
「瓶商人はいくら?」
「三本で銅貨二枚」
「なら三本銅貨二枚と一枚追加で、十本買う」
「計算合わねえぞ」
「だから得じゃん」
交渉。
透は。
何も言わなかった。
フィノの方が。
明らかに上手い。
結果。
三十四本。
さらに。
周囲の酒場。
宿。
食堂。
合わせて。
百二十七本。
「これで足りる?」
ミレアが聞く。
「町全部には無理」
透が言う。
「でも」
値段を。
壊すには。
十分。
◇
正午。
ネルカ油。
銀貨五枚と銅貨九枚。
午後一時。
透たちは。
市場で。
空き瓶を売り始めた。
洗浄。
検査。
油を入れられるものだけ。
通常の油瓶より。
安く。
最初。
油商人は警戒した。
でも。
瓶がない。
油は港にある。
売れない。
選択肢は。
少ない。
一人。
買う。
二人。
買う。
三人。
午後三時。
ネルカ油。
銀貨五枚二枚。
午後五時。
銀貨四枚と銅貨七枚。
昨日の。
検索結果。
銀貨四枚前後。
完全には戻らない。
でも。
かなり近づいた。
「…………」
市場の向こう。
カシアが。
立っていた。
赤い手袋。
透を見る。
笑う。
そして。
こちらへ歩いてきた。
「やるじゃない」
「そっちこそ」
「検索した?」
「してない」
初めて。
カシアの表情が。
少し変わった。
「本当に?」
「うん」
「どうして」
透は。
酒瓶を一本持ち上げる。
「見れば分かった」
カシアは。
それを見る。
それから。
フィノ。
ミレア。
市場。
最後に。
透。
「なるほど」
「何?」
「あなたの店」
カシアが言った。
「検索だけじゃないのね」
透は。
少しだけ。
嬉しかった。
だから。
「当然」
格好をつけた。
フィノが後ろから。
「店主、最初全然分かってなかったけど」
「黙れ」
ミレアが笑う。
カシアも。
笑った。
「久世透」
初めて。
フルネーム。
「何?」
「賭けは私の勝ち」
「何の?」
「正午」
透は止まる。
カシアが言った条件。
明日の正午。
確かに。
正午の価格は。
上がっていた。
「……あ」
「忘れてた?」
「ちょっと」
「銀貨二十枚」
「そんな賭けしてない!」
「残念」
カシアは。
楽しそうだった。
「でも」
顔から。
少し笑いが消える。
「一つ覚えときなさい」
「何を?」
「情報を売る商人が有名になったら」
カシアは。
透の看板を見る。
「あなたの答えを聞いてから動く人間が増える」
透は黙る。
「十人なら小さい」
「……」
「百人」
「……」
「千人」
カシアが。
透を見る。
「あなたが『小麦は上がる』と言っただけで、千人が小麦を買ったら?」
答え。
簡単。
「上がる」
「でしょう?」
検索結果。
その答えを。
人間へ伝える。
人間が動く。
すると。
検索した時には存在しなかった未来が生まれる。
「答えを知っていることと」
カシアは言った。
「市場を知っていることは、同じじゃない」
胸に。
刺さった。
「だから」
カシアは。
背中を向ける。
「もっと大きくなって」
「何で?」
「小さい店を潰しても面白くないもの」
「敵なの?」
振り返る。
「商人よ」
それだけ。
そして歩き出す。
途中。
一度だけ止まった。
「カシア・フェルネ」
透を見る。
「次は名字も覚えて」
赤い手袋を上げ。
人混みへ消えた。
◇
夕方。
透は。
知識屋へ戻った。
疲れた。
ただ。
悪くない疲れだった。
フィノが今日の収支を計算。
ミレアは。
なぜかまだいる。
「帰らないの?」
透が聞く。
「手伝ったので夕食くらい奢ってもらおうと思って」
「商業院って給料出ないの?」
「出ます」
「じゃあ自分で」
「今日の酒瓶交渉、誰が合法だと確認したと思っているのですか?」
「何食べたい?」
「素直でよろしい」
フィノが笑う。
透も。
笑った。
そして。
ふと。
今日。
一度しか《検索》していないことに気づいた。
昨日。
二百年前の警告を読んだ。
今日。
カシアに。
検索結果をひっくり返された。
なのに。
不思議と。
気分は悪くない。
むしろ。
少し楽しい。
答えが。
全部分かる。
それが強さだと思っていた。
でも。
答えを知らなくても。
考えて。
人へ聞いて。
走って。
交渉して。
どうにかできる。
それも。
強さなのかもしれない。
「ミレア」
「はい」
「人間って」
「何です?」
透は。
少し考えた。
「検索結果より面倒だな」
「今ごろ?」
「今ごろ」
ミレアは笑った。
その時。
扉を叩く音。
三人が。
同時に振り返る。
閉店。
札も。
裏返してある。
「誰?」
フィノが扉へ行く。
開ける。
そこには。
誰もいなかった。
「……?」
足元。
封筒。
一通。
フィノが拾う。
「店主」
「何?」
「これ」
透へ渡す。
宛名。
《知識屋 久世透》
差出人。
なし。
封を切る。
中には。
紙が一枚。
文章。
たった。
三行。
――二百年前の問答屋について調べるな。
――《同じ問いを二度尋ねてはならない》という警告を守れ。
そして。
最後。
透の指が。
止まった。
――お前は、最初の《検索持ち》ではない。
店の中から。
笑い声が。
消えた。
「……ミレア」
透が言う。
「はい」
「二百年前の帳簿」
「商業院の保管庫にあります」
「俺とミレア以外」
喉が。
少し乾いた。
「昨日あれを見た人間は?」
ミレアの顔から。
血の気が引いた。
「……いません」
フィノが。
手紙を見る。
「じゃあ」
少年が言った。
誰も。
答えられなかった。
「これを書いた奴」
静かな店。
外。
夜のオルネッサ。
フィノが。
最後まで言った。
「どうして知ってるの?」




