第6話 知識屋に、従業員ができました
久世透は、その朝。
《検索》を使わなかった。
目が覚めても。
顔を洗っても。
宿を出ても。
知識屋の扉を開けても。
使わなかった。
別に、
能力が消えたわけではない。
試そうと思えば、いつでも試せる。
頭の中で問いを作ればいい。
それだけだ。
だからこそ。
使わなかった。
昨夜見た数字が、
まだ頭から離れない。
《一致率:98.7%》
自分が《取得》した、
北旧街道・白壁岩周辺の知識。
そして。
ラウドが突然思い出せなくなった、
同じ場所の記憶。
ほぼ一致していた。
偶然。
脱水。
事故による混乱。
それ以外の原因。
いくらでも考えられる。
たった一件で、
何かを決めつけるべきじゃない。
自分で作った規則にも、
そう書いた。
それでも。
《取得元》
という言葉だけは、
どうにも気持ちが悪かった。
検索結果は、
どこから来る。
そんなこと。
今まで考えもしなかった。
「……考えすぎか」
透は店の窓を開けた。
朝のオルネッサ。
通りにはすでに荷車が行き交い、
向かいのパン屋から焼きたての香りが漂っている。
昨日と同じ。
いつもの朝。
少なくとも。
そう見えた。
「今日は普通に働こう」
自分へ言い聞かせる。
そして。
店の札を、
『営業中』
へ裏返した。
その三秒後。
扉が開いた。
「昨日、行方不明の荷運び人を見つけた知識屋って、ここか?」
「……はい」
一人目。
その後ろから、
女が顔を出す。
「畑の虫について聞きたいんですけど」
二人目。
さらに。
「商売の相談でもいいのか?」
三人目。
透は、
店の外を見る。
「…………」
七人いた。
「なんで?」
◇
原因は、
昨日の救助だった。
朝一番で来た客から聞いて、
ようやく分かった。
行方不明だったラウドが、
生きて帰った。
息子が知識屋へ駆け込んだ。
商業院の救難馬車が出た。
普通なら見つけるまで何日かかるか分からない場所を、
半日もしないうちに突き止めた。
そういう話が。
昨日の夕方から、
市場周辺で広まっていたらしい。
人間。
噂が好きなのは、
世界が変わっても同じだった。
「次の方」
透が言う。
老人が座る。
「最近、井戸の水が少し苦い」
状況を聞く。
場所。
いつから。
近くに何があるか。
検索したい。
反射的に。
頭の中で問いを作りかける。
止めた。
「その井戸、近所も同じですか?」
「うちだけだ」
「井戸の蓋は?」
「ある」
「最近掃除した?」
「いや」
「だったら最初に中を見てもらってください」
老人が首を傾げる。
「調べないのか?」
「調べる前に確認できることがあります」
昨日までなら。
おそらく検索していた。
でも。
井戸の蓋を開ければ分かる可能性があるなら。
まずは、
それでいい。
「それでも原因が分からなかったら来てください」
「金は?」
「今日はいいです」
老人は少し不満そうだった。
金を払うつもりで来たらしい。
奇妙な客だ。
次。
若い男。
「今買うなら、何の商品が一番儲かる?」
「元手は?」
「銀貨五枚」
「いつまでに売る?」
「できれば三日」
「損してもいい額は?」
「損はしたくない」
「そんな商売あるなら俺がやってます」
帰っていった。
次。
女性。
失くした指輪。
これは。
場所を聞く。
最後に見た時間。
服。
行った店。
すると。
「魚屋で手袋を外したかもしれません」
「なら先に魚屋へ」
三十分後。
戻ってきた。
見つかった。
銅貨二枚置いていった。
検索。
ゼロ回。
なのに。
客は一人、
問題を解決して帰った。
「……俺」
透は呟く。
「別に毎回使わなくていいんだな」
当たり前だった。
ただ。
能力を手に入れてから。
その当たり前を、
少し忘れていた。
◇
昼前。
当たり前では済まない問題が起きた。
客が、
十五人に増えた。
「待ってください!」
透が叫ぶ。
誰も待たない。
「次は俺だ!」
「私が先でしょう!」
「朝から待ってるんだぞ!」
「店主さん、相談だけでも!」
「一人ずつ!」
無理。
人の話を聞く。
条件を整理する。
必要なら検索する。
結果を伝える。
金を受け取る。
帳簿へ書く。
次。
一人で全部。
無理。
しかも。
一件の相談中に、
別の客が横から話しかけてくる。
集中できない。
《検索》以前の問題だ。
「ロアム!」
隣の薬屋へ叫ぶ。
返事。
「知らん!」
「まだ何も言ってない!」
「どうせ手伝えだろ!」
「正解!」
「嫌だ!」
長い付き合いになってきたせいか。
扱いが雑になっている。
困った。
本当に。
その時。
「店主」
知らない声がした。
若い男。
客の列の外。
壁に背中を預け、
こちらを見ている。
十七、十八くらい。
透より少し低い。
くすんだ金髪を、
適当に後ろで束ねている。
服は質素。
ただし。
妙に目が鋭い。
「何?」
「そのやり方だと、昼までに三人帰る」
「もう二人帰った」
「ならあと一人」
縁起でもない。
「相談?」
「違う」
男は答えた。
「仕事を探してる」
「今それどころじゃ――」
「だから言ってる」
男が壁から離れる。
「俺を雇え」
透は。
客十五人。
男。
客十五人。
もう一度男を見る。
「何できる?」
「計算」
「他は?」
「帳簿」
「他」
「客の整理」
「他」
「店主より商売が分かる」
「帰れ」
「じゃあ一人でやれば?」
正論だった。
むかつく。
「名前」
「フィノ・ラセル」
「歳」
「十七」
「商売経験」
「四年」
「四年?」
「十二から商会の帳場にいた」
十三じゃないのか。
と思ったが。
こちらでは、
日本と同じ感覚で考えない方がいい。
「なんで辞めた?」
フィノが、
少しだけ間を置いた。
「潰れた」
「ああ……」
「俺のせいじゃない」
「聞いてない」
「みんな最初に聞くから」
少しだけ。
面白い。
「給料は?」
「七日間は要らない」
透が眉を上げる。
「その代わり」
フィノは言った。
「七日後、店の売上が今より増えてたら正式に雇ってくれ」
「増えなかったら?」
「辞める」
「どれくらい増やす?」
「三割」
言い切った。
「……できる?」
フィノが、
客の列を見る。
「この程度なら」
腹立つ。
でも。
今は。
人手の方が大事だった。
「採用」
「軽いな」
「仮採用」
「それでいい」
フィノは。
その場で客の方へ向いた。
そして。
大声。
「相談内容を一言で言える人から、こっちへ!」
全員が静まった。
「病気、商売、探し物、その他!」
客が戸惑う。
「同じ種類の相談はまとめます!」
透が、
小声で聞く。
「なんで?」
フィノも小声。
「同じ話を何回も聞くの、無駄だろ」
なるほど。
「あと」
フィノが言った。
「店主」
「何?」
「質問一件、銅貨五枚からって看板」
「うん」
「馬鹿?」
「正式採用取り消すぞ」
◇
フィノは。
本当に使えた。
悔しいくらい。
最初に。
客の相談内容を、
紙へ書かせた。
文字が苦手な客には、
フィノ自身が聞いて書いた。
次に。
相談を三つへ分けた。
すぐ確認できるもの。
普通の知識で解決できそうなもの。
透の調査が必要なもの。
これだけ。
たったこれだけで。
店の混乱が。
半分以下になった。
「それ」
透が紙束を見る。
「何?」
「一番上」
《干し肉に白い粉が付いた。食べられるか》
その下。
《昨日買った干し肉に白いものがある》
さらに。
《保存肉が白くなった》
「全部ほぼ同じ質問じゃない?」
「だからまとめた」
フィノが言う。
「店主、これ全部別々に調べるつもりだった?」
透は。
答えなかった。
図星。
フィノがため息。
「一回答えが分かったら」
紙を持ち上げる。
「書いとけばいいだろ」
「…………」
透は。
妙に。
その言葉が気になった。
一度。
答えが分かったら。
書いておく。
同じ質問を、
もう一度調べる必要がなくなる。
当たり前。
商売としても。
効率がいい。
そして。
もし。
昨夜の自分の疑いが。
ほんの少しでも正しかったなら。
検索する回数を減らす。
それ自体に。
意味があるかもしれない。
「フィノ」
「何?」
「帳面作れる?」
「何の?」
「今まで答えた質問」
フィノの目が、
少し変わった。
「全部?」
「客個人の秘密は除く」
「商品価格みたいに変わるものも?」
「日付を付ける」
「病気?」
「一般的なものだけ。専門的な内容はロアムに確認する」
「商売情報は?」
「古くなったら使えないって書く」
フィノが。
少しだけ笑った。
「やっと商売っぽいこと言ったな」
「俺、店主なんだけど?」
「だから驚いてる」
こいつ。
いつか殴る。
フィノは新しい帳面を出した。
表紙へ、
大きく書く。
《知識帳》
単純。
でも。
悪くない。
「これ」
フィノが言う。
「客にも見せたら?」
「無料で?」
「馬鹿?」
二回目。
「よく聞かれる質問だけ安く売る」
例えば。
銅貨五枚払って質問するほどではない。
けれど。
銅貨一枚なら知りたい。
そんな答え。
市場でよくある商品の保存方法。
季節ごとの相場の読み方。
旅で注意する道。
基本的な薬草の扱い。
「一回調べた答えを」
フィノが言う。
「十人に売る」
透は。
少し黙った。
「……お前」
「何?」
「天才?」
「今気づいた?」
「取り消す」
でも。
本当に。
これは大きい。
今まで。
透は、
質問そのものを商品にしていた。
一人から質問を受ける。
調べる。
売る。
一対一。
しかし。
答えを残せば。
一対十。
一対百。
にもできる。
情報という商品は、
一度売っても。
手元からなくならない。
前の世界では。
当たり前だった。
電子書籍。
動画。
記事。
データ。
作るのは一回。
売るのは何回でも。
「……そうか」
透は呟く。
異世界へ来てから。
どこかで。
この世界の商売に合わせようとしていた。
でも。
前の世界で知っていたやり方を。
そのまま持ってきてもいい。
「知識を」
透が言う。
「商品にする」
フィノが笑う。
「最初からその店じゃないの?」
「もっとちゃんと」
一人へ答える。
それだけじゃない。
記録する。
整理する。
更新する。
必要な人へ売る。
それなら。
店ではなく。
商会にできる。
小さな机一つから。
もっと大きく。
「世界一の商人」
以前。
半分冗談で口にした言葉。
今。
少しだけ。
形が見えた。
◇
午後。
ミレアが来た。
そして。
店に入った瞬間。
フィノを見た。
止まった。
フィノも。
ミレアを見る。
三秒。
「誰ですか?」
ミレアが聞く。
「従業員」
透が答える。
「今日から?」
「仮採用」
「私に何の相談もなく?」
透は。
少し考えた。
「なんでミレアに相談する必要が?」
「…………」
ミレアが黙った。
あ。
何か。
間違えた気がする。
でも。
何が。
分からない。
フィノが。
二人を交互に見る。
「店主」
「何?」
「この人、誰?」
「商業院のミレア」
「知ってる」
「じゃあ何で聞いた」
「そういう意味じゃない」
ミレアが。
フィノを見る。
「何が言いたいのですか?」
「別に」
「初対面で失礼ですね」
「よく言われる」
早い。
もう相性が悪い。
透は、
少し面白かった。
「で、何しに来たの?」
ミレアが、
透へ紙袋を置いた。
「昼食」
「俺に?」
「ロアムさんから、朝から何も食べていないと聞きました」
「わざわざ?」
「商業院へ行く途中だったので」
「ありがとう」
パン。
肉。
果物。
二人分。
二人分?
透が見る。
ミレア。
紙袋。
もう一度。
ミレア。
「一緒に食う?」
「そのつもりでしたが」
ミレアの視線。
フィノ。
「従業員がいるなら」
「三人で食えばいいじゃん」
フィノが。
すぐ言う。
「俺はもう食べた」
絶対嘘だ。
透には分かった。
だが。
フィノは。
店の外へ出ていった。
「どこ行くの?」
「市場」
「何しに?」
「帳面買う」
「さっき持ってたじゃん」
「足りない」
扉が閉じる。
透は。
少し考えた。
「気を遣った?」
ミレアが答える。
「十七歳に気を遣わせないでください」
「俺のせい?」
「たぶん」
「なんで?」
「知りません」
難しい。
検索しても。
たぶん。
こういうものは。
分からない。
いや。
仮に分かっても。
「……検索するもんじゃないな」
「何がです?」
「何でもない」
透は。
パンを半分にした。
◇
夕方。
客が引いた。
今日の売上。
透が数えようとすると。
「銀貨八枚、銅貨六枚」
フィノが先に言った。
「早っ」
「客二十三人」
「そんな来た?」
「相談料を取ったのが十六人。無料で帰したのが七人」
「昨日は?」
「帳簿見た」
フィノが数字を書く。
昨日。
銀貨五枚と銅貨九枚。
今日。
銀貨八枚と銅貨六枚。
「三割どころじゃない」
透が言う。
「まだ一日」
「採用でいいんじゃない?」
「七日って言った」
「真面目だな」
「店主よりは」
この野郎。
フィノは。
今日作った《知識帳》を開く。
「店主」
「うん」
「一個聞いていい?」
「給料の値上げ以外なら」
「これ」
指をさす。
《シルマ草を用いたレムナ熱症初期処方》
透の表情が。
ほんの少しだけ。
固まった。
第一話。
少女を助けた知識。
「これが?」
「出典」
「出典?」
「誰から教わった?」
透は。
答えない。
フィノが続ける。
「薬師?」
「違う」
「本?」
「違う」
「どこかの医療記録?」
「違う」
「じゃあ」
フィノが。
まっすぐ透を見る。
「どこから仕入れた知識?」
一瞬。
老婆。
シルマ草。
《取得元》
頭に浮かぶ。
「……俺の調べ方」
透は答えた。
「それ以上は企業秘密」
「企業?」
「店の秘密」
「ふうん」
フィノは。
何か言いたそうだった。
でも。
聞かなかった。
その代わり。
帳面の端に。
一つ項目を作る。
《出典》
透が。
それを見る。
「全部書くの?」
「当然」
フィノが言う。
「商品の仕入れ先が分からない商人なんて信用されない」
「知識も?」
「知識こそ」
フィノは。
さらっと言った。
「間違ってた時に、どこまで戻ればいいのか分からないだろ」
透は。
言葉を失った。
検索結果は。
正しい。
ずっと。
そう思っていた。
だから。
その前を。
考えていなかった。
どこから来た。
誰が知っていた。
なぜ正しい。
「出典……」
透が呟く。
フィノは。
もう次の欄を書いている。
たった十七歳。
今日雇ったばかり。
でも。
透が一度も考えなかったことを、
簡単に言った。
知識にも。
仕入れ先がある。
もし。
そうなら。
自分は。
いったい。
どこから買っている?
◇
閉店後。
ミレアが。
もう一度来た。
今度は。
昼間とは違う顔だった。
仕事の顔。
手には。
古びた一冊の帳面。
「透さん」
「忘れ物?」
「いいえ」
ミレアは。
机へ帳面を置く。
分厚い。
革の表紙。
角が削れ。
紙は黄ばんでいる。
「昨日」
ミレアが言った。
「あなたの営業許可について、古い登録記録を確認していました」
「問題あった?」
「逆です」
「逆?」
「以前私は」
ミレアが。
帳面を開く。
「《知識屋》という業種は存在しないと言いました」
「うん」
「訂正します」
透は。
ミレアを見る。
「現在は存在しません」
一枚。
ページをめくる。
「でも」
さらに。
「過去には」
指が止まった。
「存在しました」
透は。
その記録を読む。
二百年以上前。
現在の商業院とは、
まだ制度も名称も違った時代。
古い商業登録。
職種。
《問答仲介業》
営業内容。
《依頼者の問いに対し、知識・情報を有償にて提供》
透の喉が。
わずかに鳴った。
「……これ」
ミレアが頷く。
「あなたの店と、とても似ています」
営業主。
名前は。
ほとんど消えている。
古すぎて。
紙そのものが傷んでいた。
ただ。
人物分類の欄だけ。
読めた。
《渡り人》
透の指が。
止まる。
「渡り人……」
自分と。
同じ。
この世界の外から。
来た人間。
「その人」
透が言う。
「どうなった?」
「分かりません」
ミレアが。
最後のページを開く。
閉業記録。
理由。
そこだけ。
誰かが。
後から書き足したように。
小さな文字が残っている。
透は。
読んだ。
一行。
それだけ。
《同じ問いを、二度尋ねてはならない》
沈黙。
透は。
ゆっくり。
今日作った《知識帳》を見る。
一度答えた質問を。
もう一度調べなくて済むようにする帳面。
偶然。
今日。
作った。
そして。
二百年以上前。
同じように。
答えを売っていた。
異世界から来た人間が。
残した。
警告。
《同じ問いを、二度尋ねてはならない》
「……ミレア」
「はい」
「これ」
透は。
古い文字から。
目を離せなかった。
「誰が書いた?」
ミレアは。
静かに答えた。
「それが」
ページをめくる。
裏。
何もない。
「記録に残っていないんです」
答えを売る男。
出典のない知識。
取得元。
失われた記憶。
そして。
二百年以上前の、
名も残っていない《渡り人》。
透は。
初めて。
自分より前に。
同じ場所へ立った人間がいたのかもしれない。
そう思った。
その夜。
《検索》は。
使わなかった。
ただ。
知識帳の一番最初のページへ。
自分の手で。
一行だけ書いた。
――同じ答えを得るために、同じ検索を二度しない。
理由は。
まだ。
分からない。
それでも。
守った方がいい。
そんな気がした。




