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7/10

第6話 知識屋に、従業員ができました

久世透は、その朝。


《検索》を使わなかった。


目が覚めても。


顔を洗っても。


宿を出ても。


知識屋の扉を開けても。


使わなかった。


別に、


能力が消えたわけではない。


試そうと思えば、いつでも試せる。


頭の中で問いを作ればいい。


それだけだ。


だからこそ。


使わなかった。


昨夜見た数字が、


まだ頭から離れない。


《一致率:98.7%》


自分が《取得》した、


北旧街道・白壁岩周辺の知識。


そして。


ラウドが突然思い出せなくなった、


同じ場所の記憶。


ほぼ一致していた。


偶然。


脱水。


事故による混乱。


それ以外の原因。


いくらでも考えられる。


たった一件で、


何かを決めつけるべきじゃない。


自分で作った規則にも、


そう書いた。


それでも。


《取得元》


という言葉だけは、


どうにも気持ちが悪かった。


検索結果は、


どこから来る。


そんなこと。


今まで考えもしなかった。


「……考えすぎか」


透は店の窓を開けた。


朝のオルネッサ。


通りにはすでに荷車が行き交い、


向かいのパン屋から焼きたての香りが漂っている。


昨日と同じ。


いつもの朝。


少なくとも。


そう見えた。


「今日は普通に働こう」


自分へ言い聞かせる。


そして。


店の札を、


『営業中』


へ裏返した。


その三秒後。


扉が開いた。


「昨日、行方不明の荷運び人を見つけた知識屋って、ここか?」


「……はい」


一人目。


その後ろから、


女が顔を出す。


「畑の虫について聞きたいんですけど」


二人目。


さらに。


「商売の相談でもいいのか?」


三人目。


透は、


店の外を見る。


「…………」


七人いた。


「なんで?」



原因は、


昨日の救助だった。


朝一番で来た客から聞いて、


ようやく分かった。


行方不明だったラウドが、


生きて帰った。


息子が知識屋へ駆け込んだ。


商業院の救難馬車が出た。


普通なら見つけるまで何日かかるか分からない場所を、


半日もしないうちに突き止めた。


そういう話が。


昨日の夕方から、


市場周辺で広まっていたらしい。


人間。


噂が好きなのは、


世界が変わっても同じだった。


「次の方」


透が言う。


老人が座る。


「最近、井戸の水が少し苦い」


状況を聞く。


場所。


いつから。


近くに何があるか。


検索したい。


反射的に。


頭の中で問いを作りかける。


止めた。


「その井戸、近所も同じですか?」


「うちだけだ」


「井戸の蓋は?」


「ある」


「最近掃除した?」


「いや」


「だったら最初に中を見てもらってください」


老人が首を傾げる。


「調べないのか?」


「調べる前に確認できることがあります」


昨日までなら。


おそらく検索していた。


でも。


井戸の蓋を開ければ分かる可能性があるなら。


まずは、


それでいい。


「それでも原因が分からなかったら来てください」


「金は?」


「今日はいいです」


老人は少し不満そうだった。


金を払うつもりで来たらしい。


奇妙な客だ。


次。


若い男。


「今買うなら、何の商品が一番儲かる?」


「元手は?」


「銀貨五枚」


「いつまでに売る?」


「できれば三日」


「損してもいい額は?」


「損はしたくない」


「そんな商売あるなら俺がやってます」


帰っていった。


次。


女性。


失くした指輪。


これは。


場所を聞く。


最後に見た時間。


服。


行った店。


すると。


「魚屋で手袋を外したかもしれません」


「なら先に魚屋へ」


三十分後。


戻ってきた。


見つかった。


銅貨二枚置いていった。


検索。


ゼロ回。


なのに。


客は一人、


問題を解決して帰った。


「……俺」


透は呟く。


「別に毎回使わなくていいんだな」


当たり前だった。


ただ。


能力を手に入れてから。


その当たり前を、


少し忘れていた。



昼前。


当たり前では済まない問題が起きた。


客が、


十五人に増えた。


「待ってください!」


透が叫ぶ。


誰も待たない。


「次は俺だ!」


「私が先でしょう!」


「朝から待ってるんだぞ!」


「店主さん、相談だけでも!」


「一人ずつ!」


無理。


人の話を聞く。


条件を整理する。


必要なら検索する。


結果を伝える。


金を受け取る。


帳簿へ書く。


次。


一人で全部。


無理。


しかも。


一件の相談中に、


別の客が横から話しかけてくる。


集中できない。


《検索》以前の問題だ。


「ロアム!」


隣の薬屋へ叫ぶ。


返事。


「知らん!」


「まだ何も言ってない!」


「どうせ手伝えだろ!」


「正解!」


「嫌だ!」


長い付き合いになってきたせいか。


扱いが雑になっている。


困った。


本当に。


その時。


「店主」


知らない声がした。


若い男。


客の列の外。


壁に背中を預け、


こちらを見ている。


十七、十八くらい。


透より少し低い。


くすんだ金髪を、


適当に後ろで束ねている。


服は質素。


ただし。


妙に目が鋭い。


「何?」


「そのやり方だと、昼までに三人帰る」


「もう二人帰った」


「ならあと一人」


縁起でもない。


「相談?」


「違う」


男は答えた。


「仕事を探してる」


「今それどころじゃ――」


「だから言ってる」


男が壁から離れる。


「俺を雇え」


透は。


客十五人。


男。


客十五人。


もう一度男を見る。


「何できる?」


「計算」


「他は?」


「帳簿」


「他」


「客の整理」


「他」


「店主より商売が分かる」


「帰れ」


「じゃあ一人でやれば?」


正論だった。


むかつく。


「名前」


「フィノ・ラセル」


「歳」


「十七」


「商売経験」


「四年」


「四年?」


「十二から商会の帳場にいた」


十三じゃないのか。


と思ったが。


こちらでは、


日本と同じ感覚で考えない方がいい。


「なんで辞めた?」


フィノが、


少しだけ間を置いた。


「潰れた」


「ああ……」


「俺のせいじゃない」


「聞いてない」


「みんな最初に聞くから」


少しだけ。


面白い。


「給料は?」


「七日間は要らない」


透が眉を上げる。


「その代わり」


フィノは言った。


「七日後、店の売上が今より増えてたら正式に雇ってくれ」


「増えなかったら?」


「辞める」


「どれくらい増やす?」


「三割」


言い切った。


「……できる?」


フィノが、


客の列を見る。


「この程度なら」


腹立つ。


でも。


今は。


人手の方が大事だった。


「採用」


「軽いな」


「仮採用」


「それでいい」


フィノは。


その場で客の方へ向いた。


そして。


大声。


「相談内容を一言で言える人から、こっちへ!」


全員が静まった。


「病気、商売、探し物、その他!」


客が戸惑う。


「同じ種類の相談はまとめます!」


透が、


小声で聞く。


「なんで?」


フィノも小声。


「同じ話を何回も聞くの、無駄だろ」


なるほど。


「あと」


フィノが言った。


「店主」


「何?」


「質問一件、銅貨五枚からって看板」


「うん」


「馬鹿?」


「正式採用取り消すぞ」



フィノは。


本当に使えた。


悔しいくらい。


最初に。


客の相談内容を、


紙へ書かせた。


文字が苦手な客には、


フィノ自身が聞いて書いた。


次に。


相談を三つへ分けた。


すぐ確認できるもの。


普通の知識で解決できそうなもの。


透の調査が必要なもの。


これだけ。


たったこれだけで。


店の混乱が。


半分以下になった。


「それ」


透が紙束を見る。


「何?」


「一番上」


《干し肉に白い粉が付いた。食べられるか》


その下。


《昨日買った干し肉に白いものがある》


さらに。


《保存肉が白くなった》


「全部ほぼ同じ質問じゃない?」


「だからまとめた」


フィノが言う。


「店主、これ全部別々に調べるつもりだった?」


透は。


答えなかった。


図星。


フィノがため息。


「一回答えが分かったら」


紙を持ち上げる。


「書いとけばいいだろ」


「…………」


透は。


妙に。


その言葉が気になった。


一度。


答えが分かったら。


書いておく。


同じ質問を、


もう一度調べる必要がなくなる。


当たり前。


商売としても。


効率がいい。


そして。


もし。


昨夜の自分の疑いが。


ほんの少しでも正しかったなら。


検索する回数を減らす。


それ自体に。


意味があるかもしれない。


「フィノ」


「何?」


「帳面作れる?」


「何の?」


「今まで答えた質問」


フィノの目が、


少し変わった。


「全部?」


「客個人の秘密は除く」


「商品価格みたいに変わるものも?」


「日付を付ける」


「病気?」


「一般的なものだけ。専門的な内容はロアムに確認する」


「商売情報は?」


「古くなったら使えないって書く」


フィノが。


少しだけ笑った。


「やっと商売っぽいこと言ったな」


「俺、店主なんだけど?」


「だから驚いてる」


こいつ。


いつか殴る。


フィノは新しい帳面を出した。


表紙へ、


大きく書く。


《知識帳》


単純。


でも。


悪くない。


「これ」


フィノが言う。


「客にも見せたら?」


「無料で?」


「馬鹿?」


二回目。


「よく聞かれる質問だけ安く売る」


例えば。


銅貨五枚払って質問するほどではない。


けれど。


銅貨一枚なら知りたい。


そんな答え。


市場でよくある商品の保存方法。


季節ごとの相場の読み方。


旅で注意する道。


基本的な薬草の扱い。


「一回調べた答えを」


フィノが言う。


「十人に売る」


透は。


少し黙った。


「……お前」


「何?」


「天才?」


「今気づいた?」


「取り消す」


でも。


本当に。


これは大きい。


今まで。


透は、


質問そのものを商品にしていた。


一人から質問を受ける。


調べる。


売る。


一対一。


しかし。


答えを残せば。


一対十。


一対百。


にもできる。


情報という商品は、


一度売っても。


手元からなくならない。


前の世界では。


当たり前だった。


電子書籍。


動画。


記事。


データ。


作るのは一回。


売るのは何回でも。


「……そうか」


透は呟く。


異世界へ来てから。


どこかで。


この世界の商売に合わせようとしていた。


でも。


前の世界で知っていたやり方を。


そのまま持ってきてもいい。


「知識を」


透が言う。


「商品にする」


フィノが笑う。


「最初からその店じゃないの?」


「もっとちゃんと」


一人へ答える。


それだけじゃない。


記録する。


整理する。


更新する。


必要な人へ売る。


それなら。


店ではなく。


商会にできる。


小さな机一つから。


もっと大きく。


「世界一の商人」


以前。


半分冗談で口にした言葉。


今。


少しだけ。


形が見えた。



午後。


ミレアが来た。


そして。


店に入った瞬間。


フィノを見た。


止まった。


フィノも。


ミレアを見る。


三秒。


「誰ですか?」


ミレアが聞く。


「従業員」


透が答える。


「今日から?」


「仮採用」


「私に何の相談もなく?」


透は。


少し考えた。


「なんでミレアに相談する必要が?」


「…………」


ミレアが黙った。


あ。


何か。


間違えた気がする。


でも。


何が。


分からない。


フィノが。


二人を交互に見る。


「店主」


「何?」


「この人、誰?」


「商業院のミレア」


「知ってる」


「じゃあ何で聞いた」


「そういう意味じゃない」


ミレアが。


フィノを見る。


「何が言いたいのですか?」


「別に」


「初対面で失礼ですね」


「よく言われる」


早い。


もう相性が悪い。


透は、


少し面白かった。


「で、何しに来たの?」


ミレアが、


透へ紙袋を置いた。


「昼食」


「俺に?」


「ロアムさんから、朝から何も食べていないと聞きました」


「わざわざ?」


「商業院へ行く途中だったので」


「ありがとう」


パン。


肉。


果物。


二人分。


二人分?


透が見る。


ミレア。


紙袋。


もう一度。


ミレア。


「一緒に食う?」


「そのつもりでしたが」


ミレアの視線。


フィノ。


「従業員がいるなら」


「三人で食えばいいじゃん」


フィノが。


すぐ言う。


「俺はもう食べた」


絶対嘘だ。


透には分かった。


だが。


フィノは。


店の外へ出ていった。


「どこ行くの?」


「市場」


「何しに?」


「帳面買う」


「さっき持ってたじゃん」


「足りない」


扉が閉じる。


透は。


少し考えた。


「気を遣った?」


ミレアが答える。


「十七歳に気を遣わせないでください」


「俺のせい?」


「たぶん」


「なんで?」


「知りません」


難しい。


検索しても。


たぶん。


こういうものは。


分からない。


いや。


仮に分かっても。


「……検索するもんじゃないな」


「何がです?」


「何でもない」


透は。


パンを半分にした。



夕方。


客が引いた。


今日の売上。


透が数えようとすると。


「銀貨八枚、銅貨六枚」


フィノが先に言った。


「早っ」


「客二十三人」


「そんな来た?」


「相談料を取ったのが十六人。無料で帰したのが七人」


「昨日は?」


「帳簿見た」


フィノが数字を書く。


昨日。


銀貨五枚と銅貨九枚。


今日。


銀貨八枚と銅貨六枚。


「三割どころじゃない」


透が言う。


「まだ一日」


「採用でいいんじゃない?」


「七日って言った」


「真面目だな」


「店主よりは」


この野郎。


フィノは。


今日作った《知識帳》を開く。


「店主」


「うん」


「一個聞いていい?」


「給料の値上げ以外なら」


「これ」


指をさす。


《シルマ草を用いたレムナ熱症初期処方》


透の表情が。


ほんの少しだけ。


固まった。


第一話。


少女を助けた知識。


「これが?」


「出典」


「出典?」


「誰から教わった?」


透は。


答えない。


フィノが続ける。


「薬師?」


「違う」


「本?」


「違う」


「どこかの医療記録?」


「違う」


「じゃあ」


フィノが。


まっすぐ透を見る。


「どこから仕入れた知識?」


一瞬。


老婆。


シルマ草。


《取得元》


頭に浮かぶ。


「……俺の調べ方」


透は答えた。


「それ以上は企業秘密」


「企業?」


「店の秘密」


「ふうん」


フィノは。


何か言いたそうだった。


でも。


聞かなかった。


その代わり。


帳面の端に。


一つ項目を作る。


《出典》


透が。


それを見る。


「全部書くの?」


「当然」


フィノが言う。


「商品の仕入れ先が分からない商人なんて信用されない」


「知識も?」


「知識こそ」


フィノは。


さらっと言った。


「間違ってた時に、どこまで戻ればいいのか分からないだろ」


透は。


言葉を失った。


検索結果は。


正しい。


ずっと。


そう思っていた。


だから。


その前を。


考えていなかった。


どこから来た。


誰が知っていた。


なぜ正しい。


「出典……」


透が呟く。


フィノは。


もう次の欄を書いている。


たった十七歳。


今日雇ったばかり。


でも。


透が一度も考えなかったことを、


簡単に言った。


知識にも。


仕入れ先がある。


もし。


そうなら。


自分は。


いったい。


どこから買っている?



閉店後。


ミレアが。


もう一度来た。


今度は。


昼間とは違う顔だった。


仕事の顔。


手には。


古びた一冊の帳面。


「透さん」


「忘れ物?」


「いいえ」


ミレアは。


机へ帳面を置く。


分厚い。


革の表紙。


角が削れ。


紙は黄ばんでいる。


「昨日」


ミレアが言った。


「あなたの営業許可について、古い登録記録を確認していました」


「問題あった?」


「逆です」


「逆?」


「以前私は」


ミレアが。


帳面を開く。


「《知識屋》という業種は存在しないと言いました」


「うん」


「訂正します」


透は。


ミレアを見る。


「現在は存在しません」


一枚。


ページをめくる。


「でも」


さらに。


「過去には」


指が止まった。


「存在しました」


透は。


その記録を読む。


二百年以上前。


現在の商業院とは、


まだ制度も名称も違った時代。


古い商業登録。


職種。


《問答仲介業》


営業内容。


《依頼者の問いに対し、知識・情報を有償にて提供》


透の喉が。


わずかに鳴った。


「……これ」


ミレアが頷く。


「あなたの店と、とても似ています」


営業主。


名前は。


ほとんど消えている。


古すぎて。


紙そのものが傷んでいた。


ただ。


人物分類の欄だけ。


読めた。


《渡り人》


透の指が。


止まる。


「渡り人……」


自分と。


同じ。


この世界の外から。


来た人間。


「その人」


透が言う。


「どうなった?」


「分かりません」


ミレアが。


最後のページを開く。


閉業記録。


理由。


そこだけ。


誰かが。


後から書き足したように。


小さな文字が残っている。


透は。


読んだ。


一行。


それだけ。


《同じ問いを、二度尋ねてはならない》


沈黙。


透は。


ゆっくり。


今日作った《知識帳》を見る。


一度答えた質問を。


もう一度調べなくて済むようにする帳面。


偶然。


今日。


作った。


そして。


二百年以上前。


同じように。


答えを売っていた。


異世界から来た人間が。


残した。


警告。


《同じ問いを、二度尋ねてはならない》


「……ミレア」


「はい」


「これ」


透は。


古い文字から。


目を離せなかった。


「誰が書いた?」


ミレアは。


静かに答えた。


「それが」


ページをめくる。


裏。


何もない。


「記録に残っていないんです」


答えを売る男。


出典のない知識。


取得元。


失われた記憶。


そして。


二百年以上前の、


名も残っていない《渡り人》。


透は。


初めて。


自分より前に。


同じ場所へ立った人間がいたのかもしれない。


そう思った。


その夜。


《検索》は。


使わなかった。


ただ。


知識帳の一番最初のページへ。


自分の手で。


一行だけ書いた。


――同じ答えを得るために、同じ検索を二度しない。


理由は。


まだ。


分からない。


それでも。


守った方がいい。


そんな気がした。

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