第4話 《検索》できない女
「私の婚約者が、他の女と寝ているか調べてください」
朝一番の客が、
いきなり最低な質問を持ってきた。
久世透は黙った。
向かいに座っているのは、
若い女だった。
年齢は二十歳そこそこ。
肩にかかるくらいの淡い茶色の髪。
灰青色の瞳。
白いシャツの上から深緑色の短い上着を羽織り、腰には小さな革鞄。
服装は地味なのに、
妙に目立つ。
理由はたぶん、
姿勢だ。
背筋がまっすぐで、
こっちを値踏みすることに一切の遠慮がない。
「もう一度いいですか?」
透が聞いた。
「婚約者が浮気しているか調べてほしいんです」
「いや、聞こえてました」
「では?」
「断ります」
女の眉がわずかに動いた。
「何でも調べられる知識屋なのでしょう?」
「何でもとは書いてないです」
透は店先に置いた板を指差した。
ロアムに書いてもらった五つの規則。
その二番目。
『本人の秘密を、本人の許可なく他人へ売らない』
女も読む。
「婚約者ですよ?」
「本人じゃないでしょう」
「結婚する相手なのに?」
「結婚しても他人の頭の中までは所有物にならないでしょ」
「浮気ですよ?」
「それで俺が寝室の場所まで教えたら、たぶんもっと面倒なことになる」
女は黙った。
透は腕を組む。
昨日、
商業院のハルヴァンに言われた。
答えられることを、
全部答えるな。
検索できる。
だから知っていい。
知っている。
だから売っていい。
その考え方は、
どうやら危ないらしい。
少なくとも。
今の自分はそう決めた。
「それに」
透は言った。
「そもそも俺の能力で、人の気持ちまで分かるか怪しい」
「能力?」
しまった。
女の目が鋭くなった。
「今、能力と言いましたね」
「言葉の綾です」
「ずいぶん便利な綾ですね」
「朝から面倒な客だな……」
「聞こえています」
「聞こえるように言いました」
女の口元が、
ほんの少しだけ緩んだ。
笑った。
たぶん。
「では」
女は椅子から立った。
「合格です」
「…………は?」
「婚約者はいません」
透は三秒、
何も言わなかった。
「帰ってもらっていいですか?」
「まだ依頼をしていません」
「さっきしたでしょう」
「試験です」
「客が店主を試験するな」
「必要でした」
女は革鞄から、
一枚の金属札を出した。
そこには、
天秤と羽根。
昨日見たものと同じ紋章。
商業院。
「ミレア・ノルンです」
女が言った。
「オルネッサ商業院、取引記録室所属」
「……商業院」
嫌な思い出が昨日できたばかりだ。
「ハルヴァンさんの部下?」
「直属ではありません」
「じゃあ何しに」
「あなたを見に」
「帰ってください」
「断ります」
即答だった。
こいつ。
強い。
◇
ミレア・ノルン。
二十二歳。
商業院で、
商人が提出する契約書や入荷記録を確認する仕事をしているらしい。
そして今日。
正式な商業院の仕事ではなく、
個人的な依頼で透のところへ来た。
「最初の質問は何だったんです?」
透が聞いた。
「何が?」
「浮気」
「あれですか」
ミレアは平然と答えた。
「もしあなたが即座に調べ始めたら、依頼はしないつもりでした」
「性格悪くない?」
「安全確認です」
「人を罠にはめることを?」
「検査と言ってください」
「性格悪い検査ですね」
「褒め言葉として受け取ります」
会話が全然勝てない。
ロアムは薬棚の向こうで、
さっきから妙に楽しそうだった。
「で」
透が言う。
「本当の依頼は?」
ミレアの表情から、
少しだけ笑いが消えた。
革鞄から、
三枚の紙を取り出す。
「これです」
透には、
まだ文字の大半が読めない。
「読めない」
「知識屋なのに?」
「そこ突っ込まれると弱いな」
ミレアがため息をつき、
説明する。
三枚とも、
同じ商会が提出した商品の入荷記録だった。
品物は、
《セラ粉》
という白い粉。
焼き菓子やパンに使う、
この地方では比較的よく流通する食材らしい。
「三か月前から、セラ粉の入荷量が少しずつ減っています」
「不作?」
「いいえ」
ミレアが一枚目を指差す。
「生産地からの出荷量は変わっていません」
二枚目。
「輸送中の事故も増えていない」
三枚目。
「なのに、オルネッサへ到着する量だけが少ない」
「盗まれてる?」
「そう考えるのが普通です」
「違う?」
「分かりません」
透は紙を見る。
「商業院なら調べられるんじゃ」
「調べました」
ミレアの声が、
少しだけ低くなる。
「半年間」
透は顔を上げた。
半年。
それは長い。
「でも原因が分からない」
「はい」
「それを俺なら分かると思って?」
「黒梢実」
ミレアが言った。
「昨日、ハルヴァン監査官が調査を始めました」
情報が早い。
「あなたが原因を突き止めたと聞きました」
「俺が全部突き止めたわけじゃないですよ」
「それも聞いています」
ミレアは透を見る。
「倉庫の場所を知っていながら、教えなかったことも」
ハルヴァン。
しゃべってるじゃん。
「それで合格?」
「半分だけ」
「残り半分は?」
「実力」
あ。
こいつ。
完全に俺を試しに来てる。
透は少しむかついた。
なので。
「料金、銀貨二枚です」
「昨日は一枚だったそうですが」
「今日から値上げしました」
「理由は?」
「客の態度」
「なるほど」
ミレアは、
銀貨二枚を置いた。
「ではお願いします」
払うのかよ。
◇
透は、
すぐには検索しなかった。
昨日。
一つ学んだ。
検索結果を出す前に、
質問を作った方がいい。
「出荷元は?」
「北西部のラーナ平原です」
「生産者は一か所?」
「十七の農村」
「輸送する商会は?」
「三社」
「三社とも減ってる?」
「いいえ」
透は止まった。
「どこが減ってる?」
ミレアが一枚の記録を指差す。
「アルヴェ商会だけ」
「じゃあそこじゃん」
「半年調べました」
「ですよね」
簡単なら、
商業院がとっくに見つけている。
透は質問を続ける。
「アルヴェ商会が盗んでる可能性」
「帳簿上は低いです」
「荷車の数」
「変わりません」
「積載量」
「出発時点では正常」
「到着時は減ってる」
「はい」
「途中で荷物を降ろしてる?」
「記録はありません」
「寄り道」
「なし」
「護衛は?」
「毎回二人以上」
「じゃあ……」
透は考える。
物は、
どこかへ消えるわけじゃない。
出発時に百ある。
到着時に八十。
なら二十は、
途中のどこかにある。
盗難。
紛失。
記録ミス。
あるいは。
「そもそも」
透が言った。
「出発時に百あるって、誰が数えてる?」
ミレアの目が動いた。
「生産地の計量官です」
「その計量ってどうやる?」
「重量です」
「秤?」
「はい」
「同じ秤?」
「村ごとに違います」
透は、
ようやく検索した。
《検索:アルヴェ商会が輸送するセラ粉について、出発記録とオルネッサ到着記録の数量差が生じている主要因》
《検索中……》
数秒。
《検索結果:4件》
四件。
盗難。
輸送。
計量。
乾燥。
透は目を細めた。
「……乾燥?」
ミレアが聞く。
「何か?」
透は検索結果を開くように、
一つの項目へ意識を向けた。
すると。
《関連情報を検索しますか?》
初めて見る表示。
透の動きが止まった。
何だこれ。
今まで、
一度検索結果が出たら。
別の質問を最初から作っていた。
だが。
今回は、
検索結果そのものに対して。
続けられる?
頭の中で答える。
《はい》
文字が切り替わった。
《関連検索》
《セラ粉の含水率》
《輸送時の気候》
《重量変化》
《保管容器》
透は思わず笑った。
「……そういうこともできんのか」
「何です?」
「いや」
検索の中から、
《セラ粉の含水率》
を選ぶ。
さらに。
《関連検索》
情報が、
枝のようにつながっていく。
これまで透は、
検索を一回ずつ使っていた。
でも違う。
一度見つけた答えから、
さらに深く潜れる。
検索。
関連検索。
条件追加。
再検索。
前の世界なら、
当たり前にやっていた。
一つの記事を読んで。
知らない言葉を検索して。
そこから別の記事を読む。
《検索》も、
同じなのか。
「分かった」
透は言った。
ミレアが身を乗り出す。
「原因が?」
「盗まれてない」
「では?」
「減ってもない」
「……どういう意味です?」
透は紙を指差した。
「重さが変わってる」
ミレアの眉が寄る。
「出発地のラーナ平原。今年は雨が多い?」
「はい」
「セラ粉は乾燥させてから袋に入れる?」
「当然です」
「ちゃんと乾いてない」
ミレアが黙った。
「出発時は水分を多く含んでる。その状態で重さを量る」
透は続ける。
「そこからオルネッサまで何日?」
「早くて九日」
「途中、どんな場所を通る?」
「乾燥地帯です」
「だったら」
透は机を指で叩いた。
「九日かけて水分が抜ける」
出発時。
水分を含む粉。
到着時。
乾燥した粉。
見た目の袋数は、
ほとんど変わらない。
だが、
重量は減る。
「出発量は重量で記録して、到着量も重量で記録してる」
ミレアが、
何も言わなくなった。
透は続ける。
「アルヴェ商会だけ違うのは?」
検索。
関連検索。
今度は早い。
「袋」
「袋?」
「他の二社は、内側に油を塗った防湿袋を使ってる。アルヴェ商会だけ普通の麻袋」
ミレアは立ち上がった。
紙をめくる。
何かを確認している。
「……あり得る」
小さく呟く。
「でも」
透が言った。
「これ俺の答えだけで確定しない方がいいですよ」
ミレアが顔を上げる。
「どうして?」
「昨日決めたから」
透は店の規則を見る。
四。
検索結果だけで、
他人を犯罪者と決めつけない。
「逆も同じです」
アルヴェ商会が、
盗んでいないと決めつけるのも違う。
「実際に袋を調べて。出発時と到着時の水分量も測る」
透は言った。
「それで合ってたら、答えです」
ミレアは、
しばらく透を見ていた。
「あなた」
「はい」
「思ったよりまともですね」
「何だと思って来たんですか?」
「他人の秘密を覗いて金を取る怪しい男」
「帰れ」
今度は。
ミレアがはっきり笑った。
◇
二日後。
ミレアは再び店へ来た。
開口一番。
机へ銀貨を置いた。
一枚。
二枚。
三枚。
四枚。
五枚。
「何これ」
「追加報酬です」
「検査した?」
「しました」
結果。
透の答えは、
ほぼ正しかった。
ラーナ平原では長雨が続き、
一部の村で十分に乾燥していないセラ粉が出荷されていた。
さらに、
アルヴェ商会だけが古い麻袋を使っていたため、
輸送中に水分が抜ける量が大きかった。
つまり。
盗難ではない。
帳簿の不正でもない。
大量のセラ粉が消えていたわけでもない。
「半年間」
ミレアが言う。
「商業院では、アルヴェ商会内部の横流しを疑っていました」
「危な」
「あと一か月続けば、正式監査に入る予定だったそうです」
透は思った。
もし。
昨日。
自分が適当に。
「犯人は誰?」
とだけ検索して。
表示された名前を口にしていたら。
どうなっていた?
本当は罪のない人間を、
別の理由で追い詰めたかもしれない。
正しい答え。
正しい使い方。
同じじゃない。
「で」
透は銀貨五枚を見る。
「多くない?」
「今回の調査で、商業院が無駄に使うはずだった人員と費用が消えました」
「それ俺に払っていいの?」
「二枚は商業院」
ミレアが残りを指差す。
「三枚は私から」
「何で?」
「賭けに勝ったので」
「…………何の?」
「ハルヴァン監査官と賭けました」
嫌な名前が出た。
「何を賭けた?」
「あなたが一日以内に原因を見つけるか」
「俺で賭け事すんな」
「勝ったので問題ありません」
「俺には何の取り分もないけど?」
「ありますよ」
ミレアは革鞄から、
紙を一枚出した。
「これ」
透は受け取る。
読めない。
「だから俺、文字――」
「知っています」
「じゃあ何で渡すの」
「商業院公認・仮営業許可証」
透は止まった。
「……公認?」
「正式な業種として《知識屋》は存在しません」
でしょうね。
「ですから当面は、情報仲介業として登録されました」
「情報仲介業」
少し。
格好いい。
「これで店を借りられます。正式な看板も出せます。銀行口座に相当する商業預かりも利用できます」
「マジ?」
「マジ、という意味は分かりませんが。本当です」
これは。
でかい。
ロアムの薬屋の一角。
借り物の机。
手書きの板。
そこから。
ようやく。
本当の商売になる。
透は紙を見る。
読めない。
でも。
嬉しい。
「ありがとう」
素直に言った。
ミレアが少しだけ目を逸らした。
「別に」
出た。
その言い方、
異世界にもあるんだ。
「私が推薦したわけではありません」
「ふーん」
「何です?」
「いや」
「何ですか」
「何でも」
「気持ち悪いですね」
「そこまで言う?」
透が笑う。
ミレアも。
少しだけ笑う。
◇
「ところで」
帰りかけたミレアが、
店の入り口で止まった。
「何?」
「一つ聞き忘れました」
「追加料金」
「けち」
「商売人なんで」
ミレアは振り返る。
「あなたのその“調べ方”」
一瞬。
透の身体が固くなった。
「何です?」
「人については、どこまで分かるんです?」
「さあ」
「例えば」
ミレアは少し考えた。
そして。
「私が今、何を考えているか」
透は笑った。
「そんなの分かったら苦労しない」
「調べてみてください」
「嫌ですよ」
「なぜ?」
「また試験?」
「興味です」
透は、
一瞬だけ迷った。
まあ。
できないだろう。
未来や感情については、
今までまともに検索していない。
試すだけ。
《検索:現在、ミレア・ノルンが考えていること》
表示。
《検索中……》
透は待つ。
一秒。
二秒。
そして。
出た。
《検索結果を確定できません》
その下。
初めて見る文章。
《意思は観測時点において固定された情報ではありません》
透は瞬きをした。
「……へえ」
「何です?」
「無理みたい」
「無理?」
「今何考えてるかは、分からない」
ミレアの顔に、
初めて。
少し意外そうな表情が浮かんだ。
「何でも分かるわけではないんですね」
「残念でした」
「安心しました」
「安心?」
「はい」
ミレアは言った。
「何もかも知られている相手と話すなんて、気持ち悪いので」
「ひどいこと言うな」
「事実です」
そして。
一歩外へ出る。
夕方の光が、
淡い茶色の髪に当たった。
「では、透さん」
初めて。
名前で呼ばれた。
「また来ます」
「仕事?」
ミレアは少し考える。
「それは」
笑う。
「次に来た時に決めます」
そのまま、
人混みの中へ消えた。
透は、
しばらく店先を見ていた。
「…………」
薬棚の奥から。
ロアムの声。
「顔が緩んでるぞ」
「緩んでない」
「そうか」
「何その言い方」
「別に」
「お前までやるな」
◇
その夜。
透は宿の小さなベッドで、
今日見つけた新しい機能について考えていた。
検索結果。
関連検索。
一つの答えから、
さらに深く情報を辿れる。
これは大きい。
今までより、
はるかに複雑な問題へ対応できる。
試しに。
自分自身について検索してみる。
《検索:久世透》
《検索結果:1件》
《久世透》
《男性》
《二十八歳》
《現在地:交易都市オルネッサ》
普通。
さらに。
《関連検索》
表示された。
《経歴》
《身体状態》
《所有物》
《現在の契約》
そして。
一番下。
見覚えのない項目。
《取得済知識》
透の指が、
空中で止まる。
「……取得?」
今までは。
検索した。
調べた。
知った。
そう考えていた。
取得。
妙な言葉だった。
《取得済知識を表示》
一瞬。
視界いっぱいに、
文字が広がった。
ルシェン鉱。
シルマ草。
レムナ熱症。
乾燥豆。
刃物の焼き入れ。
黒梢実。
セラ粉。
今まで調べてきた内容。
その横に。
数字。
《取得元:1》
《取得元:1》
《取得元:3》
透は、
眉をひそめる。
「取得元……?」
何だ。
それ。
試しに。
シルマ草の項目を選ぶ。
《シルマ草を用いたレムナ熱症初期処方》
そして。
その下。
小さな文字。
《取得元情報は閲覧権限がありません》
「権限?」
初めて。
検索そのものに、
拒否された。
透は起き上がった。
何となく。
胸の奥がざわついた。
《検索:取得元とは何か》
《検索中……》
結果。
《該当情報へのアクセス権限がありません》
もう一度。
《検索:なぜ閲覧できない》
《アクセス権限がありません》
「……何だよ、それ」
便利な検索。
何でも答えてくれる能力。
そう思っていた。
だが。
違う。
検索の向こう側には。
自分が知らない何かがある。
そして。
初めて。
透は思った。
この《検索》は。
誰が、
作った?
その瞬間。
視界の端に。
見覚えのない文字が一行だけ現れた。
《照会回数が規定値に到達しました》
透は息を止める。
続けて。
もう一行。
《利用者権限の再評価を開始します》
「…………は?」
そして。
表示は消えた。
その夜。
久世透は、
異世界に来て初めて。
自分の《検索》を、
少しだけ怖いと思った。




