第2話 知識屋、開店
「質問一つ、銀貨一枚」
「高いな」
「ですよね」
久世透は即答した。
目の前の薬師が、呆れたように腕を組む。
昨日。
市場で倒れた少女を助けたあと、透に「店へ来い」と言った男だ。
二十三年間、この交易都市オルネッサで薬師をしているという。
名前はロアム。
四十代半ばくらい。
短く切った灰色の髪に、無精ひげ。
人の良さそうな顔ではない。
どちらかというと、
「効かない薬に金は払わん」
と客へ平気で言いそうな顔をしている。
そして実際。
透の提示した値段にも容赦がなかった。
「銀貨一枚あれば、普通の薬草ならかなり買える」
「じゃあ銅貨五枚」
「半分になったな」
「異世界で価格交渉なんて初めてなんですよ。優しくしてください」
「イセカイ?」
「こっちの話です」
ロアムは鼻を鳴らした。
店内には、乾燥させた草や木の実が所狭しと並んでいる。
壁一面の棚。
大小さまざまな瓶。
天井から吊るされた根。
妙な臭い。
薬草屋というより、
透の感覚では魔女の家に近い。
その店の一角。
小さな木の机を挟み、
透とロアムは向かい合っていた。
「昨日の話に戻るぞ」
ロアムが言った。
「シルマ草の処方だ」
「はい」
「どこで知った?」
来た。
透は少しだけ考える。
《検索》について、どこまで話すべきか。
少なくとも、
頭の中で質問すれば答えが出てきます、
と正直に説明するのは危険だ。
便利すぎる。
もし王様か何かに知られて、
一生閉じ込められて質問だけさせられる生活になったら笑えない。
異世界生活二日目。
まだ常識も法律も分からない。
能力の詳細は伏せる。
それくらいの警戒心は必要だった。
「俺には、知りたいことを調べる方法があります」
「調べる?」
「はい」
「本か?」
「まあ……似たようなものです」
嘘ではない。
たぶん。
「どこにある」
「秘密です」
ロアムの眉が動いた。
「信用しろと?」
「昨日、効きましたよね?」
今度はロアムが黙った。
その反応を見て、
透は少しだけ手応えを感じた。
昨日まで会社員。
営業経験も大したことはない。
それでも、
商売について一つだけ知っている。
無料で全部説明する必要はない。
相手が欲しいのは、
仕組みではなく結果だ。
「俺が何を使って調べてるかは秘密にします。その代わり、質問をもらえれば答えを探す」
「何でもか?」
「たぶん、ある程度は」
「たぶん?」
「そこは俺もまだ二日目なんで」
ロアムが頭を抱えた。
「お前、本当に怪しいな」
「でも役には立つ」
「……それが一番厄介だ」
もっともだった。
ロアムはしばらく考えてから、
店の奥へ消えた。
戻ってきた手には、
小さな陶器の壺がある。
「なら試す」
机へ置く。
蓋を開けた途端、
青臭い匂いがした。
中には緑がかった軟膏が入っている。
「これは傷薬だ」
「はい」
「昔から作っている。配合も変えていない」
ロアムは別の壺も置いた。
こちらは表面に、
白い粒のようなものが浮いている。
「だが今年に入って、この店で作ったものだけ腐るのが早くなった」
「原因が分からない?」
「ああ」
「材料は?」
「同じだ」
「作り方も?」
「同じ」
「保存場所」
「去年と同じ」
ロアムが腕を組む。
「三か月調べた。分からん」
なるほど。
透は少し楽しくなった。
こういうのは好きだ。
前の仕事でも、
急に特定の商品だけ返品率が上がる。
売上が落ちる。
広告費だけ増える。
原因不明の数字を追いかけることがあった。
もちろん今回は、
もっと簡単だ。
透は壺を見た。
《検索:ロアムの店で今年製造した傷薬が、前年より早く劣化する主な原因》
数秒。
文字が現れる。
《検索結果:1件》
透は読んだ。
そして。
壺ではなく、
ロアムの後ろを見る。
「……あれです」
「何?」
「棚」
「棚?」
店の奥。
大きな木製の棚。
薬草瓶がびっしり並んでいる。
「今年、新しくしました?」
ロアムの表情が変わった。
「……春にな」
「傷薬は前からそこに?」
「ああ」
透は近づいた。
棚板へ顔を寄せる。
少し甘いような、
独特な匂い。
「この木、何か塗ってます?」
「腐食止めの樹脂だ。薬棚では普通だ」
「今年の棚だけ、新しい樹脂を使ってる」
ロアムが黙る。
透は検索結果を思い出しながら続けた。
「その樹脂が暑くなると、ごく少量だけ揮発する。それが傷薬に使ってる油と反応して、劣化を早めてる」
「……待て」
ロアムが棚へ歩く。
指で表面をこする。
匂いを嗅ぐ。
今度は壺。
また棚。
「この樹脂は……」
何か思い当たったらしい。
「今年から仕入れ先を変えた」
「たぶんそれです」
「瓶には蓋があるぞ」
「完全には密閉されてない」
ロアムは黙った。
そして。
店の奥にある別の壺を持ってきた。
「これは?」
「何です?」
「同じ日に作った傷薬だ。ただし、置く場所がなくて地下室へ持っていった」
蓋を開ける。
正常。
ロアムの目が細くなった。
「……腐っていない」
「でしょうね」
しばらく。
静寂。
やがてロアムが、
腰の袋へ手を入れた。
ちゃりん。
机の上に銀貨を一枚置く。
透は目を瞬いた。
「銀貨?」
「質問一つ、銀貨一枚なんだろう?」
「さっき高いって」
「答えが間違っていなければ安い」
そういうことか。
透は銀貨を取った。
昨日の石ころとは違う。
商品を買っていない。
運んでもいない。
在庫もない。
ただ、
質問を一つ聞いて。
答えただけ。
銀貨一枚。
「……これだ」
思わず声が漏れる。
「何だ?」
「いや」
透は銀貨を見る。
「俺の商売、これだなって」
◇
その日の昼。
ロアムの店先に、
一枚の板が立った。
文字を書いたのはロアムだ。
透にはまだこの国の文字をまともに書けない。
板には大きく、
『知識屋』
その下。
『相談一件 銅貨五枚より』
と書かれている。
「銀貨一枚じゃないのか?」
「最初から高級店やって客ゼロだったら恥ずかしいでしょ」
「妙なところで慎重だな」
「商売には段階ってものがあるんです」
「二日目の男が言うか」
ロアムは呆れて店へ戻った。
それから三十分。
客。
ゼロ。
一時間。
ゼロ。
「…………」
道行く人は板を見る。
そのまま通り過ぎる。
たまに二度見する。
しかし入ってこない。
透は椅子に座ったまま、
頬杖をついた。
「知識って、看板にして売るもんじゃないのか?」
当たり前のことに気づき始めた頃。
最初の客が来た。
太った男だった。
三十代後半。
立派な服。
指にはいくつも指輪。
どう見ても商人。
「お前か?」
「何がです?」
「何でも答えるという男」
何でも、とは書いていない。
だが。
まあいい。
「内容によります」
男は透を値踏みするように見る。
「明日、豆を買う」
「豆?」
「乾燥豆だ。王都へ送る」
商人は声を落とした。
「今の相場は一袋、銀貨三枚。百袋買う予定だ」
三百枚。
いきなり規模が違う。
「聞きたいのは?」
「三日以内に値段が下がるか」
透は少し考えた。
未来予知。
できるのか?
試す。
《検索:オルネッサ市場における乾燥豆の価格は、今後三日以内に大きく下落する可能性が高いか》
表示。
《判断に必要な情報を検索します》
いつもと文言が違う。
続けて。
複数の情報が表示された。
南部から到着予定の荷車。
収穫量。
商人組合の倉庫。
道路状況。
透は目を走らせる。
未来が見えているわけではない。
現在存在している情報から、
かなり高い確率で予測しているらしい。
そして。
答えは。
「買わない方がいいです」
男の眉が動く。
「理由は」
「明後日の昼までに、南から大量の豆が入ってくる」
「馬鹿な。南街道は橋が壊れている」
「橋は昨日の夕方に仮修復が終わってる」
商人の表情が止まった。
「……どこで聞いた」
「秘密です」
「本当なのか?」
「少なくとも、俺なら今日百袋は買わない」
男はしばらく透を睨んでいた。
やがて。
銅貨五枚を机へ置く。
「外したら二度と来ない」
「当たったら?」
「また来る」
悪くない。
翌々日。
南街道から、
乾燥豆を積んだ二十台以上の荷車がオルネッサへ入った。
豆の価格は、
一袋銀貨三枚から、
銀貨二枚と銅貨二枚まで下がった。
太った商人は、
その日の夕方。
笑いながら透のところへ来た。
今度は。
銀貨三枚を置いた。
「次も頼む」
評判というものは、
そこから早かった。
二人。
五人。
八人。
客が来る。
失くした指輪を探したい女。
畑の葉が黄色くなる原因を知りたい農夫。
仕入れた布の本当の産地を確かめたい商人。
何でも検索できるわけではなかった。
質問が曖昧なら、
《条件を指定してください》
と出る。
「一番儲かる商売は?」
と聞けば、
《期間・資本・危険許容度を指定してください》
と返された。
便利ではある。
万能ではない。
だから透自身が、
相手から話を聞く必要があった。
「いつから黄色くなった?」
「水は?」
「同じ畑全部?」
「どこで買った布?」
「誰から?」
「値段は?」
質問を絞る。
条件を足す。
必要な答えだけ検索する。
意外だった。
ただ検索するだけでは、
商売にならない。
何を聞けばいいのかを考えないと、
正しい答えには辿り着けない。
前の世界と同じだった。
検索窓に、
適当な言葉を放り込むだけでは足りない。
「俺、意外とちゃんと働いてたんだな……」
「今さら何を言っている」
後ろで薬草を束ねていたロアムが言った。
◇
夕方。
最後の客が来た。
大きな腕をした男だった。
煤で黒くなった前掛け。
腰には金槌。
鍛冶師だ。
「ロアムから聞いた」
男が椅子に座る。
「何でも調べられるそうだな」
「何でもとは言ってないです」
「じゃあ、これを見ろ」
机へ一本の短剣を置いた。
綺麗な刃だった。
だが。
刃先の一部が、
小さく欠けている。
「俺が打った」
「いい剣なんですか?」
男の顔が険しくなった。
質問を間違えたらしい。
「……いい剣だ」
「ですよね」
「だが最近、刃が欠けやすい」
男は言う。
「鉄も炭も変えてない。炉も同じ。俺の腕も落ちていない」
最後だけ、
少し声が弱かった。
透には分かった。
この男。
本当はそこを一番心配している。
自分の腕が落ちたのではないか。
職人なら、
怖いだろう。
「原因を調べればいい?」
「ああ」
透は短剣へ触れた。
炉。
鉄。
炭。
工程。
男から細かく聞く。
そして検索する。
《検索:目の前の鍛冶師が直近三か月に製造した刃物で、刃こぼれが増加した主な原因》
結果。
《焼き入れ工程における温度変化》
透はもう少し絞る。
男から、
焼き入れの手順を聞く。
「熱した刃を見て、頃合いを判断する」
「何を見て?」
「色だ」
「色?」
「ああ。鉄の色を見れば分かる」
それを聞いて。
透は検索した。
《検索:この鍛冶師が使用している鉄材に適した焼き入れ開始時の状態》
今までより。
ほんの少し。
表示が遅れた。
《検索中……》
透は待つ。
《検索結果:1件》
頭の中に、
色。
光。
火花。
水へ入れる瞬間。
文字では説明しきれないほど細かな感覚まで、
一瞬だけ理解できた。
「……これ」
透は驚いた。
今までとは違う。
知識を読んだというより、
知っている感覚がある。
その状態を、
透はできる限り言葉にした。
男は最初、
疑うように聞いていた。
しかし途中から、
何度も頷き始める。
「待て」
男が言った。
「その色なら……」
何かに気づいた。
「炉じゃない。俺は最近、火を上げすぎていたのか」
「心当たりある?」
「弟子を増やした」
「それが?」
「仕事量が増えた。急いでいた」
男は短剣を見る。
しばらくして、
大きく息を吐いた。
「腕が落ちたと思っていた」
透は笑った。
「落ちてないみたいですよ」
男は銀貨を一枚置いた。
「まだ分からん」
「え?」
「明日一本打つ」
男は立ち上がる。
「それで直ったら、もう一枚持ってくる」
「商売人ですね」
「鍛冶師だ」
男は少しだけ笑って、
店を出ていった。
透は今日の売上を数えた。
銀貨。
銅貨。
昨日まで、
パンをあと三回買えば終わりだった男が。
今は。
明日の宿代を気にしなくていい。
食事も食べられる。
しばらくは生きられる。
それどころか。
このまま客が増えれば。
店を持てるかもしれない。
人を雇えるかもしれない。
商会だって作れる。
そして。
もっと大きな質問が集まるようになれば。
「……本当に、世界一の商人とか」
冗談で口にした。
けれど。
前ほど。
馬鹿げた話には聞こえなかった。
答えを欲しがる人間は、
この世界にいくらでもいる。
そして自分は、
答えを探せる。
それだけでいい。
透は、
そう思っていた。
◇
同じ頃。
オルネッサから数百キロ離れた、
王国北部の鍛冶町。
一人の老人が、
真っ赤に熱した剣を見つめていた。
七十年以上。
鉄を打ってきた。
剣も。
包丁も。
農具も。
数え切れない。
炉の前に立てば、
鉄が何を求めているか分かる。
そんな男だった。
「親方?」
若い弟子が呼ぶ。
老人は返事をしない。
真っ赤な刃を、
ただ見ていた。
「親方、そろそろじゃ……?」
「……黙れ」
老人は目を細める。
違う。
まだだ。
いや。
もう遅い?
分からない。
そんなはずがない。
色を見れば分かる。
ずっと。
そうだった。
赤。
橙。
黄色。
白。
その境目。
ほんのわずかな、
火の色。
それを見れば。
いつ水へ入れるべきか。
考える必要すらなかった。
なのに。
老人の額に、
汗が流れた。
「……何色だ?」
弟子が戸惑う。
「え?」
老人は、
自分の持つ剣を見つめた。
七十年。
一度も忘れなかった。
火の色を。
「これは……」
声が震えた。
「今、何色なんだ?」




