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仮初の一年  作者: 肺魚


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9/18

夏1

 初夏の風が、中庭に吹いた。王都の空より濃い青色が、空にグラデーションを作っている。

 マルケリアは、目の前のグラスを軽く揺らした。カラン、と氷の涼やかな音が鳴る。透き通ったお茶は、ミントとカモミールにセージを加えた、ラヴィアお手製のものだ。口当たりが爽やかなだけではなく、暑さに弱り始めた胃の、消化を助ける効果があるという。王都では紅茶ばかりを飲んでいたが、辺境に来てからはすっかりハーブティーに慣れてきた。

 飲み物に氷を贅沢に使えるのは、ラヴィアのように少ないながらも氷魔法の適性を持つ者が多い、辺境ならではだろう。王都にも氷魔法を使う専門の職人がいるが、そのほとんどが食品の保存のために使われ、ごく一部が高級な氷菓を作るために使われる。そもそも冷たいものを飲むという習慣が、王都にはあまりないのだ。

「今日の昼食は『鹿もどき』のローストを挟んだサンドウィッチと、夏野菜のピクルス、枝豆のポタージュです」

「ありがとう」

 枝豆のポタージュは、よく冷やされていて、ミルクのコクとかすかな塩っけの奥にほんのりと豆の甘味があった。サンドウィッチは一切れが大きく、はしたなくない程度に大きく口を開けて頬張る。鹿肉に似た少し野生味のある肉が、よく煮込んだトマト風味のソースに合っていて、思いの外柔らかく噛み切れる。きゅうりやナスといった夏野菜のピクルスは、脂身のある肉を食べた後にちょうどよく口の中をサッパリさせた。

 朝にたくさん食べ、昼と夜を軽く済ませる辺境式の食事にも、だいぶ慣れてきた。ラヴィアは相変わらず、食事の時も給仕に残ってくれる。いったいいつ食事をしているのかと心配したら、マルケリアの食事を受け取りに行く際に、台所で手早く済ませていると言うので申し訳なく思ったが、辺境伯邸では使用人は仕事の合間にさっさと食事をするのが当たり前だと笑われてしまった。

 辺境の人間はよく働く。ラヴィア以外の使用人は、部屋を移動する際に見かける程度だが、誰も皆、手を休めている様子はなく、常に何かしら働いている。それでいて、お喋りは咎める者がいないらしく、掃除をしながら、庭仕事をしながら、使用人同士で和気藹々と手と同時に口も動いているのが常だった。

「今日も午後は『お勉強』ですか?」

「そうね」

 ラヴィアが尋ねるのにマルケリアは曖昧に頷く。春に辺境に来てからずっと、レオニウスが許してくれる範囲で、魔物素材の納品書や領地経営などに関わる書類なども見せてもらっていた。

 さすがに、騎士団の運営や軍事に関わる範囲のものは読ませてはもらえていないが、辺境を知るのにちょうどいい資料で、マルケリアにとっては面白い読み物でもあった。それを、ラヴィアは『お勉強の時間』と呼んでいる。

 例えば、思っていた以上に辺境でも自給率を上げるための努力はされていることがわかった。城塞都市という性格上、農地や放牧地は限られているが、それでもできる限りを自領で完結しようと努力しているのが、書類を見ればわかった。それでもギリギリ及ばない分、また、嗜好品の類を、王都や外部に依存している。

 こういうのは、現地でないとなかなか見ることのできない情報だ。レオニウスと交流のあるルキウスなら、知っていたのだろうか。

「レオニウス様は、まだお忙しそう?」

 レオニウスは先週、春の二回目の遠征が終わって帰還してきた。マルケリアがルキウスに送る手紙も、二通目が送られたばかりだ。

 ルキウスから返された手紙も、マルケリアと同じ便箋二枚分で、美しい文字がきっちりと王都の最近の流行りを知らせていた。新しい婚約者であるロザリアのことは不自然に何も書かれていないことを、ホッとしたような、けれども肩透かしのような、どこか複雑な気持ちで読んだ。

 レオニウスはこれからは、冬になるまで季節ごとに三日間から一週間程度の短い遠征を何度か行うことになっているそうで、今は溜まった書類仕事に精を出しているという。マルケリアが会いたいと言えば無理にでも予定に都合をつけそうで、こちらから会いたいとはなかなか言い出せない。

 それに、会って何を話すというのだろう。今の待遇には満足しているし、ルキウスについて聞きたいことがないわけでもないが、無理に聞き出すほどのことでもない。二人がどうしてこんな交流を持つことになったのか、なんて、マルケリアの興味本位で聞いていいことかわからなかった。

 話し相手がいなくて寂しい、などと言ったら、いつも話し相手になってくれているラヴィアががっかりするかもしれないし、レオニウスも余計な気を遣うかもしれない。

 多分、これまでルキウスとしていたような、政治とか、仕事の話がしたくなってきたのだと、自覚はしている。十一年続けてきた王太子妃教育と、六年続けた政策への参加は、マルケリアを淑女という枠から少しはみ出した、頭でっかちに育ててしまった。恋愛小説よりも、資料を楽しく読むような、どこか歪んだ成長をマルケリアはしてきた。

 辺境に来てから、許される範囲で辺境についての書類を読ませてもらって、最初はそれだけで充分楽しめたのに、今度はそれについて議論とかそういうものをしたくなってきている。これまでの生活で身についた、職業病に近いものかもしれない。

「もうしばらくは、魔物素材の一覧作りに専念されていると思いますが。繁殖期の春の遠征が一番の稼ぎ時ですからね。この時点で足りない素材を、夏以降は積極的に狩ってくるように調整するとか」

「そう。お身体が心配ね。休養も帰還直後の一日だけなのでしょう?」

 しかも前回も今回も、その貴重な一日を、保存用の氷作りに使っていた。本当に辺境の人間はよく働く。トップである辺境伯がああだから、他のみんなも同じように勤勉なのだろうか。

「そうそう。レオニウス様が、もし退屈そうなら、家令のカシアンさんを呼んで話をしてもいいのではないかと言っていました。ここ最近、姫様が領地経営の書類を読んでらしたとエヴァルドさんが話したら、もし興味があるのならと」

 執事のエヴァルドも辺境についてはマルケリアの質問によく答えてくれているし、資料の手配などもしてくれているが、さらにレオニウスにまでその話をしていたらしい。少し恥ずかしい思いで俯く。

 ちょっと、図々しすぎたかもしれない。本来なら、外部の人間には読ませないような書類を気前よく出してくれているから、つい調子に乗ってしまった。

「お仕事の邪魔はできないわ」

 反省しながらマルケリアが言うと、ラヴィアは不思議そうに首を傾げる。頭上で一つに括った焦茶色の髪が、揺れて肩にかかる。

「レオニウス様がいいと言っていることは、遠慮しないでそのまま受け取ればいいんですよ。あの方は駄目なことは駄目とはっきり言う方なので、何でも頼むだけ頼んでみるべきです。もし姫様がカシアンさんではなくレオニウス様とお話がしたいのなら、そう言うべきですよ。言ってくれなくては、私たちにはわかりません」

 王都での貴族同士の持って回った会話とは真逆の、直裁な言い方。ズバズバと言いたいことを言うラヴィアの話し方に慣れてはきたけれど、それでも時々あまりにも真っ直ぐで怯んでしまう。それが正しいとわかっているから、余計に。

 王都で、ルキウスに対して以外で、言いたいことをはっきりと言ったことは、どれだけあっただろう。家でも、学園でも、王宮でも、常に控えめに目立たぬように過ごしてきた。人とぶつかるのは怖い、恐ろしいことだと思って。家族に心のうちを漏らすことすら、許されなかったから、言いたいことを我慢するのが当然だった。

 変わらなくてはならないのかもしれない。言いたいことを言って、それで駄目ならレオニウスはラヴィアの言うように遠慮せず無理だと、駄目だとそう言ってくれるだろう。マルケリアそのものを否定するのではなく。

「カシアンさんに、お会いしたいわ。資料で少しわからないことがあって、お聞きしてみたいの」

「では、昼食が終わったら呼んできます。やっぱり今日の午後も『お勉強』なんですね。でも、今日も適当なところで切り上げて、美容の時間はしっかりとりますよ。夏は陽射しで肌が荒れることもありますからね」

 少し呆れたように、けれども自分の意見を通すことも諦めずに、ラヴィアが言う。辺境では他に見ることのない、マルケリアの長く真っ直ぐな銀色の髪を殊の外気に入っているようで、梳るのを日課にしているのだ。

「それから、レオニウス様が会える時に、少し話をしてみたいと伝えてくれる? 私のために、無理に時間を作らないで欲しいとも」

 少し勇気を出して、そう付け加える。

「わかりました。あとできちんと、そうお伝えします」

 会話はそれで終わった。マルケリアの言葉を、ここでは誰も疎ましがらない。何でも話すことのできたルキウスもいない代わりに、女の癖に賢しらなと、眉間に皺を寄せる父親もここにはいない。

 言いたいことを、言ってもいいのだと辺境は告げる。自由というものの心細さを、マルケリアはまだ感じている。

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