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仮初の一年  作者: 肺魚


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8/17

春・王都①

(王都側の話です)


 王太子ルキウスは、一日の政務を終えて自室にたどり着くと、胸ポケットから封筒を取り出した。午後一番に王家への献上物と共に受け取った、フィニステラ辺境伯レオニウス・アルダリオンからの手紙である。

 途中まで執務室で目を通していたが、不意に重ねられた便箋に見慣れ過ぎるほど見慣れた筆跡が現れて、ルキウスはそのままこれを、自室に戻るまで誰にも見られぬように胸ポケットへしまい込んでいた。

「マルカ……」

 レオニウスは、自分の報告書じみたいつもの手紙の間に、大胆にもマルケリアからの手紙を挟んで寄越した。辺境と王家の間には、議会の入り込めない絆がある。辺境伯レオニウスからの手紙は、途中誰かの手を挟むことなく、直接王家に届けられるのが慣例となっているからこその手段だった。

 先に読んだレオニウスからの手紙は、今年初めての間引きが例年通り無事に終わったという報告と、お預かりした『宝』は無事に辺境で守られているという報告。それから、最近洗濯場に鼠がうろついていて始末をどうするか悩んでいるという『世間話』がつらつらと書かれていた。

 マルケリアが手紙を書くことを了承してくれたことを、まずルキウスは嬉しく思った。彼女の慎ましい性格を考えたら、新しい婚約者がいるルキウスと文通などできないと、そう考えても不思議はなかったし、それ以前に傷つけてしまったルキウスのことなどもう見限られてしまってもおかしくないと、そう考えていたためだ。

 本当なら、今ごろ結婚式の手配を進めて忙しくしていたはずだ。国内、国外の招待客への手紙を書いて、衣装の最終確認をして。去年の今ごろは、今年の春にマルケリアが学園を卒業するのを待って、そうして秋には結婚するつもりでいた。

 最後に王家からの謝罪の席で会った時の、雨に打たれて項垂れた花のような姿を思い出す。最後まで、ルキウスも王家も責めることなく引き下がったあの姿。青ざめた顔。伏せられた紫の瞳。震える唇。膝の上で握りしめられた小さな手。

 手紙を書くほどの、元気を取り戻せているのなら、これほど嬉しいことはなかった。レオニウスは、手紙を書くのを強要するような性格ではない。だから、これは彼女自身が書くと決めて書いてくれたものなのだ。

 取っておいたマルケリアからの手紙を、開いて読む。辺境の不思議な魔法のこと。レオニウスが休みの日に使用人を並ばせて、氷を山ほど作っていたこと。初めて食べた、魔物肉の美味しさ。そして、辺境から表には出ない魔物素材について。

 恨みの一言もなかった。そして、好意の一つも記されてはいなかった。軽妙な筆致で、どこかコミカルに辺境での暮らしが綴られている。懸命に、辺境に馴染もうとしているマルケリアの姿が簡単に想像できて、ルキウスはうっすらと微笑んだ。

 たった二枚の便箋に、それでもできる限りのことを伝えようと、細かな文字できっちり書き込まれた文章は、相手を楽しませようとする気遣いに溢れていた。そして同時に、今となっては決して表に出してはいけない気持ちには、不自然なほど一切触れられていない。

 真面目な彼女のことだから、こうして距離をきっちり取ることで、ようやくこの不実な手紙のやり取りを、自分に許したのだろうと思う。

 何度か、短いその手紙を読み返して、ルキウスはそれを丁寧に折りたたみ、元通りレオニウスの手紙の間に挟んでから封筒の中にしまった。いつも通り、レオニウスからの書簡を保管している文箱に収める。ここにしまっておけば、この秘密は誰にも知られることはない。

 辺境からの商隊は、いつも献上物を届けてから数日かけて、今度は王都から辺境への支援物資を積み込み、辺境へ戻っていく。その際には、ルキウスからレオニウスへの感謝と、王都での動きなどを記した手紙を添えるのが常だった。

 そこに、今度からはマルケリアへの手紙を混ぜて送ることになっている。自室とはいえ、侍女や侍従の出入りが多い部屋だ。返事を書くのは夜中にしたほうが安全だろう。ルキウスはマルケリアからの手紙から、意識して気持ちを切り離した。

 ルキウスの新たな婚約者として選ばれたロザリアは、治癒能力に長けた聖女として民衆の人気を集めている。議会も、その人気にあやかろうと後押しをして、そうしてマルケリアとの婚約は解消された。けれども、ロザリアは学園でも勉強や淑女教育を厭い、神殿で治癒魔法を披露してチヤホヤされることを優先している。それは、ルキウスと婚約してからも変わらない。

 まだ社交界に出ていないロザリアは、王宮では毎週末豪勢な舞踏会が開かれていると思い込んでいて、そこで将来の王妃として君臨することを夢見るような、そんな少女だ。ただ、公爵家で贅沢に暮らすことに慣れきっていて、貴族の義務を理解していない。

 政務で忙しいルキウスと毎日のようにお茶をしようと、王宮に押しかけたりする傍ら、王妃や教師からの王太子妃教育からは逃げ回っているという。何度か、押し切られて執務の合間にお茶をしたが、話題は最近観た芝居のことと、王都で流行っている菓子やドレス、宝飾品についてばかりで、なぜルキウスが恋愛小説のように情熱的に自分に愛を囁かないのか、不思議に思っているようだった。嗜められることなく愛されるだけ愛されて育ったもの特有の、傲慢さが見て取れた。

 せめて、少しでも学ぼうとしてくれるような相手だったのなら、ルキウスも諦めがついたのかもしれない。できるだけ丁寧に、礼節を持って接したけれど、それを当然と思っている態度にはさすがに呆れてしまった。王家の権勢は確かに以前より薄れてはいるが、それでも公爵家の娘が王太子に取る態度ではない。

 他の神官たちとは一線を画す、圧倒的な治癒魔法の威力。それに対してはルキウスも評価している。そして、それを貴族に対してだけではなく、庶民に対しても同じように振るう心根も、尊いものだと思う。ただ、それだけでは、王太子妃には——ましてや王妃にはなれないのだ。

 政治が議会と連携した形になってからも、王家は国家の顔、外交の要だ。外交の場では、徹底した礼儀作法と、教養、語学力、相手の気持ちを読む力が求められる。それを、民衆や議会は正しくは理解できていないのだと、つくづく思う。ただ、人気の者が立てばいいと考えているようだが、それなら人気の役者でも務まるだろう。

 ルキウスの祖父の代から、周囲の国に共和国制度を持つ国が現れてきて、その流れを受けてこの国も貴族院だけではなく、議会政治へと変わっていった。その議席を、金に困った貴族が裕福な商人に売ってしまったのが、今の議会の権勢を作るきっかけだった。

 民意が反映されるだけなら、それはいいことだった。しかし、貴族と王政のバランスも崩れて、本来王家の婚姻には口出しできないはずの議会が、こうして意見を通してくるような事態は、当時誰も予想しなかっただろう。

 マルケリアの不在を、毎日思い知る。ルキウスが九歳、マルケリアが七歳の頃に婚約し、それから十一年もの間、互いに研鑽を積んだ。彼女がいれば。そう思うことが、このわずかな二ヶ月足らずで、何度もあった。

 マルケリアは資料を物語のように楽しんで読む癖があった。そんな彼女の視点は独特で、例えば治癒の成果が他より著しい神殿があった場合、なぜそういう結果が出たのかを調べようとする。他の神殿と何が違うのか、特別に怪我人が多い地域なのか、そういったことを知りたがった。

 ルキウスは、そう言われると自分も気になって、神殿に色々と問い合わせる。そうした結果、その神殿では独自の工夫として、治癒魔法を使う前に清浄な水で傷を洗っていたことが判明した。それが実際にどう作用するのかは、まだ他の神殿で試してもらって調査中だ。

 だが、きっとそれが正解でないにしろ、何か他の神殿とは違うものが見つかるだろう。そうやって、見つかったものがこの十一年間でいくつもあった。

 控えめなマルケリアは目立つことを望まず、すべてルキウスの手柄となっている。実際に動いたのは確かに王族のルキウスだが、きっかけを与えてくれたのはマルケリアだ。それを、もっとわかりやすく功績として表に出していれば、このようなことにはならなかったのだろうか。

 執務中はそれにかかりきりで忘れていられるが、こうして一人になると、今さら後悔しても仕方のないことを、何度も考えてしまう。どうすれば、彼女を失わずに済んだのかを。

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