翌春2
まだ冬の名残が残る時期の訪問になったのは、完全に雪が溶けるとレオニウスの森への遠征のシーズンになるからだ。春は魔物の繁殖期である。去年は、急遽王都からマルケリアが送られてきたことで遠征を遅らせたが、二年続けて遠征の時期をずらすわけにはいかなかったのだ。
「申し訳ありませんが、駆け足での案内になります」
ルキウスが同乗することで、初めてレオニウスと同じ馬車に乗って街まで出ることになった。ラヴィアと離れるのも、辺境に来て初めてだ。少し心細い。
馬車は雪解け水でまだぬかるんだ道を、ゆっくり進む。外を守る騎馬は、王都からついてきた騎士たち四人が後ろに、辺境の騎士四人が前について先導していた。
「昨夜の魔物肉は、柔らかくて美味しかった」
「鹿もどきのローストですな。秋に仕留めたものを、冷凍保存しておいたものです。お口に合って何より」
「マルケリアが美味しいと手紙に書いてきていたから、一度食べてみたかったんだ」
「ルキウス様も、割と珍しいものは好んで食べますものね」
「王都で魔物肉を食べようとしたら、金貨十枚は下らないかな」
「そんなにボッタクリ……いえ、高く取引されているのですか」
ルキウスの言葉に、レオニウスが呆れたように声を上げる。魔物素材が当たり前の辺境にいると、王都で高値で取引されている実情がわからないのかもしれない。
「だから、珍しい素材の端切れエプロンも王都では今、取り合いだよ。とんでもない値段で転売している店もあるらしい」
「今度、端切れではない一枚皮を継いだマントを王家にお贈りしましょう。防御力が高いだけでなく、見た目もそう悪くありませんから」
「ねだったつもりはないんだけれど……ありがたく頂戴するよ」
馬車の中ではもっぱらルキウスがレオニウスに質問して、それにレオニウスが答える感じで会話がなされていた。マルケリアがそれに、一言、二言付け足す。レオニウスは物知りだが、王都の基準については疎い。そういった部分は、マルケリアが補完した。
「あれが『聖なる山』か」
馬車の窓から見える頂を、ルキウスが眩しげに見上げる。真っ白な雪に覆われた、大きな山脈が見えている。
「あの山が周囲を取り囲んでいるお陰で、この城塞都市一つで森に蓋ができています。天然の要塞です」
「人も魔物も入れないとか」
「入り込んでも、ぐるぐると迷わされた挙句に麓に戻されると言われています。山頂には、太陽の神が住むとも、氷の精霊が住むとも……。辺境の言い伝えではありますが、魔物が通り抜けられないのは事実です」
「精霊に会った人が、特別な力を授けられたという伝説もあるようですね。図書室の本で読みました」
マルケリアが言うと、レオニウスは少し得意げな顔になった。
「我が先祖がその力を与えられたお陰で、一族の者には氷の魔力の適性があると伝えられております」
延々と、保存用の氷を生み出していた姿を思い出す。確かに適性がなければ、あんなにたくさんの氷を作り続けることは難しいだろう。
「レオニウスは、昔から氷の魔法の適性が高かったからね。君に王都の氷の攻撃魔法を教えた魔術研究者が、その連発性に驚いていたのを思い出すよ」
「あの呪文は、間引きでとても役に立っております。王太子殿下のお口添えのお陰で、持ち帰ることができました」
「辺境が王家に向けてくれる忠誠に応えたいと思っただけだよ。議会派が勢いを増している中、北の辺境だけが王家に対して変わらぬ敬意を払ってくれていた。それを王家は感謝しているんだ」
「もったいないお言葉です」
レオニウスが恭しく一礼する。そうしている間に、馬車は街に入った。見覚えのある大通りを通り、神殿の前を通り抜けて職人街に向かう。
「今年はまだ遠征前なので、素材は去年の残りを扱っているだけですが」
馬車から降りて、ある店に入る。夏にも来た、火吹き蜥蜴の皮を加工する店だった。辺境の騎士は店の前に立ったが、王都の騎士は二人ほど、ルキウスの後について入ってくる。
「今日のうちに、王太子殿下のサイズをお測りしましょう。後日マントに仕立てて献上いたします」
店主を呼びつけて、王太子のためのマントを作るように依頼する。騎士があらかじめ身体検査を済ませてから店員がルキウスに近付き、恐る恐るといった様子でサイズを測り始めた。
マルケリアがそれを眺めていると、見習いの少年がおずおずとやってきて、マルケリアに礼を言ってきた。何事かと思ったら、内職で端切れエプロンを作ることで、この素材を扱う良い練習になっているとのことだった。貴重な素材だから、これまでは修行を充分に積むまでは、扱うことが許されなかったのだという。マルケリアのちょっとした思いつきが、彼にも影響を与えていたと知って、少し嬉しくなった。
その後は、ラヴィアと行ったことのある『輝ける光の花束亭』を貸し切って軽食とお茶を楽しみ、ポーションの店と公衆浴場を簡単に見て帰宅となった。
レオニウスが森への遠征に出る前に王都に帰るため、ルキウスの滞在は五日間と、ここまでの移動にかかる時間を考えると短いものだった。マルケリアも、帰還のための準備に追われている。持ってきた荷物は少ないが、この地で手に入れた物を選別するのに忙しい。
着心地の良い服の一部は、部屋着として持ち帰ることにした。これまでは自分の屋敷でも終始ドレス姿で過ごしていたが、コルセットなしの服の楽さは忘れがたく、王都に戻った後はすぐに王太子の婚約者として王宮に居を移す予定なので、父親や継母たちの目は、もう気にしないことにしたのだった。
街で買ったおまじないの図案集や、冬に習って編んだマフラーも、王都に持ち帰ることにしている。
それから、レオニウス宛の手紙に紛れてルキウスから送られた手紙の数々は、マルケリアにとってなくてはならないこの一年の思い出だった。他の誰にも見られないように小箱に入れて、厳重に蓋を紐で縛る。一番下に、お守りの紙片をそっと忍ばせた。
夕食は毎食、ルキウスとレオニウスとの三人でとり、午後のお茶の時間はルキウスととった。辺境のたっぷりの朝食に目を見張っていた様子を笑い、公衆浴場の計画や、辺境で領地経営の書類を見ていて気がついたことなどを二人で話し合った。
ラヴィアは今年最初の遠征が終わった後、献上品を納めに行く商隊と共に王都に向かう予定だというので、先んじてマルケリアが王都に帰る形になる。短い間だが、別れは寂しく、王都に来たら絶対に会いに来てほしいとマルケリアは何度もお願いした。
五日間は目まぐるしく過ぎていく。アルノー夫人もまた、帰還のための準備に余念がないようだった。
「本当に後悔しないかい?」
明日はもう最終日という夜に、暖炉に火が入ったサンルームで二人は並んで座っていた。侍従とラヴィアも、今は気を利かせて席を外し、部屋の外で待機している。
「辺境から送られてくる手紙を読んでいて、だんだんと君が自由になっていくのを見ている気分になったよ。本当の君はもっと自由なのに、君を縛り付けているのは僕なんだって、そう気がついた」
囁くように、ルキウスが言う。新緑の瞳を伏せ、少し苦しげに見えた。
「ここから帰ったら、もう君は僕の婚約者としてまた自由を失うことになる。僕は君といたいけれど、君を苦しめたくはないんだ」
「ルキウス……」
弱気な様子が見慣れなくて、マルケリアは困惑して俯くそのつむじを見つめた。ここまで諦めを見せなかったルキウスが、初めて弱音を吐いている。胸がギュッと痛んだ。
「私は、確かにこの地で初めて自由を知ったわ。好きなものを作ることも、小さな我が儘も、自分で選ぶことも……全部、ラヴィアが教えてくれたの」
それを、マルケリアは王都に持ち帰る一番大事なものだと認識している。どんな功績よりも大事なものだと。
「でも、私が一番私でいられるのは、あなたの隣です。それだけは、辺境に来てからもずっと変わらなかった」
ルキウスの腕に手を置いて、そう告げる。これまでは手を引かれて進んできたけれど、これからは一緒に歩んで行きたい。そう思っている。
「私が選ぶのはあなたの隣です。これまでも……これからも」
上げられた視線に、目を合わせる。新緑の瞳には、決意を胸に刻んだマルケリアの姿が映っている。ルキウスの瞳に映る紫の瞳は、これまでの頼りなさげな弱さを払拭して、力強く輝いていた。
「ありがとう、マルカ。僕と歩んでいく未来を選んでくれて」
「私こそ、あなたが私を諦めないでいてくれたことを、心から感謝するわ」
強く手を握り合う。見つめ合う瞳には、今は互いの姿だけが映っている。二人の距離は自然と近付き、やがて一瞬だけ重なって離れた。




