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仮初の一年  作者: 肺魚


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翌春1

 その日の午前中。早馬が、王太子の乗った馬車が、屋敷に近付いていることを知らせに来た。前日にも、北の辺境の城塞都市に入ってすぐの宿に泊まったと、連絡が入っている。さすがに王太子の来訪だけあって、辺境でも支度に時間をかけていた。王太子一行のために、東棟を全て開放する予定であるという。

 午後の早い時間にも屋敷に到着する可能性が高いとのことで、その日の昼食は早めにとられた。マルケリアは、それからすぐにドレスアップする。王太子ルキウスの色である、緑色に金の刺繍が入ったドレスの上からレースのショールを羽織ると、複雑に編み込んだ銀髪にエメラルドの髪飾りをつけた。

 今は、屋敷の玄関の脇にある部屋で待機している。狭い部屋には小さなテーブルとソファが二つあるだけだが、まだ肌寒い外で待つよりは断然良いと、ラヴィアが譲らなかったのだ。

 やがて、玄関先が騒がしくなり、蹄の音や馬の嘶きが聞こえてきた。部屋の扉がノックされ、侍従が声をかけに来る。部屋を出ると、エヴァルドの先導でレオニウスが廊下の先から向かってくるところだった。レオニウスも、さすがに正装している。

 エヴァルドが扉を開ける。二人は連れ立って、玄関の外に出た。

玄関先の馬車留めには、何台もの騎馬と馬車が連なっていた。先に止まった馬車からは侍従らしき者たちが降り立ち、続く馬車を並んで待っている。マルケリアたちが玄関へ出ると、数名がこちらに向けて頭を下げた。

「王太子殿下の馬車が到着いたします」

 聞こえたと同時に、五台目の大きく立派な馬車がポーチに滑り込む。白く染められた板に、金の装飾がされている。王国旗と王太子の紋章旗を掲げていた。窓からちらっと見えた金髪に、ドキリとする。

 馬車が完全に止まると、侍従が駆け寄り扉を開けた。ゆっくりとした動作で、ルキウスが降りてくる。

 マルケリアは、すぐにでも駆け出したい気持ちを抑えて、ドレスの裾を持ち上げて礼をした。レオニウスも、横で恭しく一礼する。

「出迎え、ありがとう。顔を上げて欲しい」

 心地よいテノールが、そう告げる。二人揃って顔を上げると、懐かしい顔が微笑んでいた。春の明るい陽射しが、豪奢な金髪をキラキラと輝かせている。新緑に似た澄んだ瞳が、マルケリアを見つめて優しく細められた。

「辺境はまだ、日陰に雪が残っているんですね」

 眩しげに日陰に視線を向けて、そう言う。物珍しそうに辺りを見回して、レオニウスを見つめ、それからもう一度マルケリアに視線を戻した。会えて嬉しいと、細めた瞳が告げている。

「ご無沙汰しております、フィニステラ辺境伯。今回は私の我侭を叶えていただき、深く感謝いたします」

 軽く頭を下げてルキウスが言うと、レオニウスは少し唇を尖らせた。

「私のことは、学生時代のように気安くレオニウスとお呼びください。王太子殿下」

「そう呼んでも良いのかな」

「もちろんですとも」

 二人はそう言って、握手を交わす。侍従たちは、近くに並んでそれを見ている。マルケリアも、黙って見つめた。この場では、領主が出迎えるのが優先だ。マルケリアは領主の客人に過ぎない。

「お預かりしていた宝をお返しすることができそうで、安堵しております」

 レオニウスがそう言って、マルケリアに視線を向けた。ルキウスも、改めてマルケリアを見つめる。目が合うと、自然に微笑み合う。会えなかった時間が嘘のように、見慣れた微笑みだった。

 自分も同じように笑えていると良いのだけれど。自然と潤んでくる瞳を瞬かせながら、ルキウスを見上げる。少し、痩せたかもしれない。

「マルケリア……マルカ……久しぶり。元気そうで良かった」

 両手を掬い取るようにとられて、しっかりと握られる。泣き出しそうなマルケリアを写したルキウスの瞳も、うっすら潤んでいた。

「王太子殿下……再びお会いできて、嬉しゅうございます」

 絞り出すように声にしたけれど、どこか偽物のような響きだった。そんな言葉では言い尽くせない想いが、胸の奥から溢れてくる。辺境に来てから、ずっと眠らせていた想いだった。

「本当に……会いたかったの、ルキウス」

 握られた手を握り返しながら言うと、ルキウスがそっと抱き寄せてくる。

「私も……僕もだよ、マルカ」

 抵抗せずに胸の中に収まると、まるで欠けていたピースが嵌ったかのような安心感が満ちた。帰りたかったのは王都ではなく、この場所だった。自分の居場所はここだったのだと、強く感じる。

 しばらく抱き合っていると、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。レオニウスだ。

「玄関先はまだまだ寒うございます。ひとまず、中に入られてはいかがか」

「——すまない」

 身を離した瞬間、寒さに身を震わせる。しかし次の瞬間、また手を握られた。二度と離してはならないとでもいうように。

 レオニウスの案内で玄関から中に入る。ルキウスはマルケリアの手を握ったまま、後に続く。引っ張られるようにして、マルケリアも中に戻った。

「まずはお茶でも……と思いましたが、私は席を外したほうが良さそうだ。またお夕食の時にでもゆっくりお話しいたしましょう」

 レオニウスがそう言って、エヴァルドに二人を託すと、屋敷の奥に去っていった。エヴァルドの案内で応接室に向かう途中、侍従が一人だけついてくるのが見えた。ラヴィアもついてきている。

 ラヴィアの前で、抱き合ってしまった。急に恥ずかしさが湧き上がってきて、咄嗟に離れようとするが、ルキウスの手が離してくれない。困って横顔を見上げると、ルキウスも真っ赤な顔をしていた。

「こちらです。すぐにお茶をご用意いたします」

 応接間について、ようやく手が離れる。向かいのソファに腰を下ろして、自分の気持ちを落ち着かせるように息を吐く。侍従とラヴィアが、それぞれの後ろに立った。

「マルカ、何の説明もせずに辺境へ送ってすまなかった。君の父親を出し抜くのが精一杯で、あの時はまだ本当に君を取り戻せるかもわからなくて……いや、全部僕の言い訳だ。不安だったろう。本当にすまない」

 着座してすぐに、ルキウスから頭を下げられる。マルケリアはそれを聞いて、一年前の春の日のことを思い出していた。確かに、あの時の不安は今でも心に残っている。一人きりで馬車に押し込められ、辺境まで旅をしたこと。初夜のはずの夜の出来事。

「でも、あなたはメモをくれました。私が絶望しなくても済むように」

 お守りのように扱っていた紙片を思い浮かべる。何度も指先で辿った文字を。

「あれがあったから、私はここで安心して暮らしても良いのだと思えたのよ。もちろん、レオニウス様のお気遣いもあってのことだけれど」

「レオニウスには、どうお礼をしたら良いのかわからないよ。貴族派への買収や議会派への牽制といい、借りが大きすぎる」

「そうね。私も、こんなに良くしてもらって、どうすれば恩返しができるのかって、ずっと考えていたわ」

「レオニウスは、君のお陰で新しい事業を始められたと感謝していたけれど?」

「あれは、私にとっても糧となったものだもの。全然足りないわ」

「そうしたら、僕らはどうすれば良いと思う?」

「レオニウス様が王都にいらした時に、お返ししていくしかないわね」

 会話は、自然と二人の未来のことになっていく。これまでの断絶がなかったかのように自然と、言葉が続く。遠慮のない会話が懐かしくも嬉しくて、マルケリアは微笑んだ。

 ルキウスの前だと、自然体でいられるのだと知ったのは、もうずいぶん前のことだ。それがこの手に戻ってきたのだと、対面してようやく実感できた。

「その前に、僕に君の辺境を案内してよ」

「ええ、喜んで」

 二人はそっくりな笑顔で微笑み合った。

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