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仮初の一年  作者: 肺魚


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翌春3

 出立の日。その日は朝から慌しかった。

 侍従と侍女が、玄関先に止められた、何台も連なる馬車に次々と荷物を詰め込み、騎士たちもそれを手伝っている。

 屋敷を午前中のうちに出立して、今日の明るいうちに辺境の端、王都側の街に到着する手筈だった。辺境から王都までは通常馬車で十日ほどだが、これだけの大人数での移動となると、もう少し余計にかかる。王太子の身に何かあっては困るので、安全第一でゆっくり進むことになっていた。

 泊まる宿も、どこでもいいというわけにはいかない。それなりの人数が泊まれて、安全が担保された格式があるところに限られる。特に帰りは、王都までに通る領地の、領主の屋敷に泊まる予定も何回か入っていた。

 住み慣れた自室をじっくり眺める。一年暮らした部屋は、すっかりマルケリアの安心できる領域になっていた。毎日食事をしたテーブルセットも、手紙を書くのに使った机も椅子も、どれも良く馴染んだものだ。王都の殺風景な自分の部屋よりよほど、思い入れがある。

 隣の部屋にしまわれていた衣服は、半分ほどは王都に持ち帰る。居心地の良さを与えてくれていた暖かな色合いのベッドカバーは、後日ラヴィアが王都に持ってきてくれると言っていた。手紙も図案集も、すでに馬車に積まれている。

 息を吸って、吐く。辺境への名残を惜しむように。最後にぐるりと部屋の中を一周して、マルケリアは扉の外へ出た。ラヴィアも静かについてくる。マルケリアと同じように、今日は朝からずっと無口だった。同じ気持ちなら嬉しいと、そう思う。

 玄関ホールに出ると、エヴァルドが使用人たちに指示を出していた。

「マルケリア様。あなたの先行きに幸いがありますよう」

 マルケリアを待っていたのか、ホールの隅からカシアンが寄ってきて、別れの言葉を言う。

「あなたには本当にお世話になりました。お陰で、辺境のことが少しは理解できたと思いますわ。——どうか、これからもお元気で」

 マルケリアも、微笑んでそれに応える。あまり湿っぽくならないように、精一杯気をつけた。

 エヴァルドも、こちらを見て近寄ってくる。

「マルケリア様。王都までのご無事を祈っております。どうか、これからも健やかであられますように」

「長い間、お世話になりました。過ごしやすく気遣っていただいて、とても感謝しています。あなたも、どうかお元気で」

 二人と別れを告げていると、屋敷の奥からルキウスと、レオニウスが並んでやってくるのが見えた。王都からの侍従と騎士も数人、後からついてきている。

 それは象徴的な姿だった。王太子であるルキウスが一人になる時間は、驚くほど少ない。基本的に、王宮の中でさえ侍従と護衛騎士がついて回る。人数こそ少なかったが、王都にいた頃はマルケリアもそうだった。特に王宮の中では、必ず侍女と護衛騎士がついていた。これからは、マルケリアもそういう生活に戻るのだ。ラヴィア一人を連れて、気軽に屋敷の中を歩き回っていた生活には、もう戻ることはない。

 けれども、それがマルケリアが選んだ未来だった。大勢に囲まれているのに孤独な王太子と並び立つその場所を、そこへ帰る日を、マルケリアは望んでいた。

「おはようございます。ルキウス様、レオニウス様」

 ドレスの裾を軽く持ち上げて挨拶する。ルキウスが頷き、レオニウスが軽く会釈した。

「おはよう、マルカ」

「おはようございます。マルケリア様。——いよいよ、ご出立ですね」

 感慨深い表情で、レオニウスが言う。何かを思い出すような、どこか遠い目をしていた。

「王太子殿下とマルケリア様の向かう先に、多くの幸いがありますよう、心より願っております。北の辺境は、いつでもお二人の味方です。マルケリア様も、どうか必要な時にはいつでもお頼りになってください」

 恭しく礼をして、レオニウスが言う。とても様になってはいたけれど、正装姿はいまだにどこか見慣れなくて、マルケリアはいつもの砕けた姿を探してしまう。

 最初に会った時は、いきなり白い結婚だなんてひどい人だと思っていたけれど、今はとても良い人だと知っている。少し不器用だったけれど、マルケリアが心地よく過ごせるようにとても気遣ってくれていた。何より、ラヴィアをつけてくれた。この一年の感謝が浮かび上がる。

「レオニウス様……この一年、本当にお世話になりました。あなたとラヴィアのお陰で私は、いろいろなことを知って……そして自分を好きになれました。辺境でのこの一年は、私にとって一番の宝物です」

 そう言って、レオニウスの顔を見上げる。辺境らしい黒髪と、青灰の瞳をした美丈夫が、すっきりとした笑顔を浮かべた。

「あなたにそう仰っていただけて、王命を引き受けた甲斐がありました。お二人の結婚式には、ぜひとも馳せ参じます」

「そうしてくれたらとても嬉しい」

 ルキウスも微笑んで頷く。ルキウスはマルケリアのほうを向いて、不意に軽く頭を下げた。

「ラヴィア嬢。私はあなたにも深い感謝を申し上げる」

「えっ? 私?」

 突然名前を呼ばれたラヴィアが、素っ頓狂な声を上げる。顔を上げたルキウスの視線が、マルケリアを通り越して背後に立つラヴィアに向かっていた。

「マルカの心を守ってくれてありがとう。あなたの献身が、この一年、彼女の支えとなったのは間違いない。どうか、王都に出てきてからも彼女を支えてほしい」

 マルケリアは息を呑んだ。確かに手紙にラヴィアのことは度々書いてはいたが、ルキウスがそこまでしてくれるとは思ってもいなかった。マルケリアが大切に思うように、ルキウスもまた、ラヴィアのことを認めてくれているのが嬉しかった。

「あの……私は、王太子殿下に言われるまでもなく、姫様……じゃない、マルケリア様のおそばにこれからもいると決めていますので! 感謝の気持ちはありがたくいただいておきますが、それは私がマルケリア様のことが好きだからです。好きですることですから!」

 ラヴィアが早口で答えるのを聞いて、我慢できずにマルケリアは彼女を振り返った。

「ラヴィア……ラヴィア! 私もあなたのこと、本当に好きよ! これからもよろしくね!」

 そう言って、手を伸ばす。ラヴィアも手を伸ばしてきて、二人は固く手を繋ぎ合った。

「姫様……じゃない、マルケリア様。私ももう少ししたら、きっと王都に行きますからね。そうしたら、今度はお友達として仲良くしてください。王都のことを、色々と教えてくださいね」

「わかったわ。待っています。だから、必ず訪ねてきてね。約束よ」

 我慢していた涙が溢れ出す。永遠の別れだったら、耐えられなかったかもしれない。初めての侍女で、友人。初めて会った時には、こんなに大事な人になるとは思わなかった。

「マルケリア様ったら……せっかくのお化粧が台無しです。ちゃんと王都に戻ってからも美容には気を遣ってくださいね」

 ラヴィアもヘーゼルの瞳を潤ませて鼻を啜りながら、手にしたハンカチでそっと目元を押さえてくれる。手つきの優しさに、余計に涙が溢れてきた。

 落ち着くまで少し待って、マルケリアは最後にギュッと抱きしめ合ってから、ラヴィアから身を離した。照れたように笑い合う。

「どうか、次にお会いするまでお元気で」

「ラヴィアも元気で」

 そう言い合って、マルケリアはルキウスに視線を戻した。ルキウスは優しく微笑んでいる。

「もう、お別れは済んだかい?」

「はい」

 差し出された左手に、右手を乗せる。ルキウスにエスコートされて馬車に乗るのは、どれくらいぶりだろう。とても、懐かしい気持ちだ。引かれるまま、馬車に向かって歩いた。

 侍従が、玄関前に止まった王家の白い馬車の扉を開ける。ルキウスが先に乗り込み、中からマルケリアの手を優しく引いた。ルキウスの手を借りて馬車に乗り込むと、すぐに扉が閉められる。

 窓の外を見ると、レオニウスとラヴィアが並んで見つめていた。その後ろに、カシアンとエヴァルドが立っている。

「良い旅を」

 レオニウスが言う。馬車が、ゆっくりと動き始めた。少しずつ、屋敷が遠ざかる。マルケリアは後ろを向いてそれを眺めた。親しんだ人たちが、だんだんと小さくなっていく。ラヴィアが大きく手を振っていた。

「ラヴィア嬢との仲、少し妬けるね。僕だって、君に好きってなかなか言ってもらえないのに」

「もう、そんなことを言って」

 からかうように言われて、唇を尖らせる。ルキウスが楽しそうに笑った。二人でいることが、嬉しくてたまらないと言うように。

 一年前の春を思い出す。先が全く見えなかった、孤独な道行きを。

 行きはたった一人だった。けれども、帰りはこうしてルキウスと二人である。王都から追放された先、北の辺境は、今となってはマルケリアにとって、第二の故郷とも呼べるものになっていた。

 これから先の人生で何が起ころうとも、この仮初の一年のことは一生忘れない。

 マルケリアは微笑んで、隣に座るルキウスと手を繋いだ。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

許される形の「愛することはない」、許される元鞘、諦めの悪い王太子……そんなコンセプトから考えたお話です。

あくまで私が許せる……という話ですが、読まれた方にも許していただけたら嬉しいなと思います。

少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。

評価、ブックマーク、リアクションなどしていただけたら、とても励みになります。

次の作品で、またお会いできますように。

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― 新着の感想 ―
レオニウスいくらなんでも都合のいい存在すぎない…? マルケリアもルキウスも大恩に対して感謝薄すぎですし きっとこれは王太子に片想いしてる献身健気受けレオニウスと言うBLの裏バージョンと言うか前日談で表…
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