冬14
その日、マルケリアは深い紺色の、シンプルだけれど上品なドレスを着ていた。レオニウスも黒を基調とした正装である。同伴するアルノー夫妻もまた、落ち着いた色の装いだった。それぞれ、その上から毛皮のコートを着込んでいる。辺境によって、各自にマフも用意された。
神殿に向かうのに、それなりに深い雪道を行く必要があったため、馬車は馬が引くソリになる。馬も寒冷地に向く毛が長く頑丈な種のものに切り替わり、箱馬車の足回りだけをソリにした形の雪道用のものが、辺境伯家には何台も用意されていた。
レオニウスとエヴァルド、マルケリアとラヴィア、アルノー夫妻で、それぞれ三台の馬車に分かれて向かう。周囲を警戒するために、騎士が各馬車に数名ずつつくことになっていた。
特に先頭を行くレオニウスの乗ったソリ馬車の前には、四人の騎士が道を確認するため先行する形になる。街に出るだけで大袈裟な気もしたが、ラヴィアから冬眠し損ねた獰猛な熊が出ることもあると言われて、マルケリアは気持ちを改めた。
夏や秋に普通の馬車で通った道も、雪に埋もれた姿を見るとまるで見覚えのない風景で、雪があまり降らない王都から来たマルケリアにとっては物珍しい。屋敷の自室からも雪の降り積もる中庭は見ていたが、一面の雪原が広がる景色は、冬の陽射しが反射して眩しく、妙に明るく見えた。
ソリの動きは普通の車輪の馬車よりもむしろスムーズで、文字通り滑るように景色が飛んでいく。ガタガタと縦に揺れることもあまりない。ただ、思っているよりもスピードが出ているようで、曲がり角のたびに少し身体が横に押し付けられるような、身体が浮くような感覚があって少し怖かった。
雪道の上を走ると底冷えがすると言われたのでたくさん着込んできたが、それでも足元から冷気が忍び寄ってくる。膝の上に置いていた、熱した石を布に包んだ温石をマフの中に引き込んで握りしめる。足元には、炭火を入れた簡易の暖房もあったが、それだけでは足りないほどに足元は冷えた。履き慣れないブーツの中で、つま先が凍える。
「もう少しで着きますね」
ラヴィアの声で、もう街の入り口に入ったのに気がつく。街に入ると、ソリ馬車のスピードはかなり緩められ、馬もゆっくりとした歩調で歩いていた。やがて、神殿の前でソリ馬車が止まる。
騎士たちが下馬し、扉を開けにやってきた。手を借りて、降りる。足元の雪は住民に踏み固められていて、固く、滑りやすいとのことだった。そのまま騎士の手を借りて、神殿の入り口まで歩く。途中、何度か滑りかけて、騎士の腕に縋り付くことになった。恥ずかしい気持ちを隠しながら、お礼を言う。騎士も慣れているのか、「お気になさらず」と短く返してくるのみだった。
神殿の入り口にレオニウスとエヴァルドが立っている。アルノー夫妻も、マルケリアたちの後ろから神殿に向かって歩いてきていた。全員揃うのを待って、騎士が二人両開きの大きな扉を開けて入り、続いてレオニウスが神殿に入る。先に入った騎士が扉を支えていたので、ありがたくマルケリアも続く。
神殿に入ってすぐに、神官が数人迎えに出てきた。先頭に立つ司祭が、恭しくレオニウスを迎える。
「レオニウス様のお陰で、治癒魔法が効率よく使えるようになりました。水の魔法使いを派遣してくださり、本当にありがとうございます」
挨拶を終えると、続けて感謝の言葉を伝えてくる。レオニウスはそれに、軽く首を振って応えた。
「確かに手配は私がしたが、元々こちらのマルケリア様が思いついたことだし、王都へ問い合わせて民への水魔法の使用許可を取ってくださったのも、マルケリア様です」
「そうでしたな。マルケリア様にも、深い感謝を。お陰で、より多くの民を救うことができるようになりました」
マルケリアに向かっても全員で深く頭を下げてくるので、びっくりして固まってしまう。
「いえ、私は……できることをしただけなので」
「謙虚でいらっしゃいますな。さすが王太子妃にもっとも相応しいと讃えられていただけのことはあります」
ニコニコと笑顔で言われて、黙り込む。どうにも照れ臭かった。こうして正面から褒められることに、まだ慣れていないのだ。
「その、マルケリア様が王太子妃になるために必要なことをしに、今日は伺った」
レオニウスが言うと、司祭は力強く頷いた。
「こちらに」
先導されて、神殿の奥へ歩いて行く。途中、すれ違う神官たちが皆、立ち止まってこちらに向けて深く一礼をした。それを見ると、レオニウスは神殿との関係も良いらしいことがわかる。
やがて、司祭が立ち止まった先には、大きな天井の高い部屋があり、中央部には木目の美しい大きな机が置かれ、その突き当たりには光が注ぐ大きなステンドグラスの手前に、女神アウレスティナの像が飾られていた。
「神誓の机、と呼ばれています。どの神殿にもあり、この机の上に誓いの書を置いて司祭が読み上げることで、女神アウレスティナへの宣誓になるとされています。信徒の結婚は全て、ここで女神に報告されます。——逆を言いますと、それを行っていない場合は、正式に婚姻していなことになります」
卓上をするりと手で撫でながら、司祭が言う。
「ああ。今日は、それを証明していただくために来た」
「婚姻を証明する機会は多いですが、反証は珍しいことです。とはいえ、全くないわけでもありませんが」
机の下に段があるようで、そこから書類を引き出して机に広げる。
「ここに、サインをした者が未婚であると証明すると、書かれた書類があります。神誓用の紙とインクで作られた正式な書類です。本日は二枚、ご用意しました。こちらに、ご署名を」
付けペンではなく、昔ながらの羽の先を切ったものを差し出される。レオニウスが、それを受け取った。インク壺にペン先を漬けて、ガリガリと署名する。
書き終えたレオニウスから、マルケリアにペンが差し出されて、それを受け取る。司祭が差し出したもう一枚の神誓書の空欄に、マルケリアも署名をした。その瞬間、わずかに魔力を吸い取られたような気がして、思わず瞬きをする。違和感はその一瞬だけで、マルケリアは差し出された手に、その書類を返した。
その二枚を受け取ると、司祭は確認するようにじっと見つめる。やがて、頷いて卓上にその二枚を並べると、低く高く抑揚をつけながら、あまり聞いた覚えのない聖句を長々と唱え始めた。魔力が、練られていくのを感じる。魔法が周囲に干渉するのは、滅多にないことだ。
しばらくすると、机の上の書類からわずかに光が浮かび始めた。魔力を帯びて、文字列が光っている。緊張した面持ちで、マルケリアはそれを見つめた。
最後に、二人の署名が光り始めた。レオニウスの名前は冷たい氷のような鮮やかな青色に、マルケリアの名前はほのかに紫がかった銀色に輝いている。
高い抑揚で聖句が唱えられ、今までより大きな魔力の揺らぎを感じた瞬間、書類の中央にアウレスティナを示す聖印と呼ばれる紋章が浮かび上がった。人間が手で描こうとしても絶対に描くことができないと言われている、特別な紋章だ。国王が戴冠する際の書類にも、浮かぶとされている。
気がつくと、聖句は終わっていた。司祭がこの寒さの中でも少し汗ばんだ額を、白い布で押さえる。
「お二方の未婚が、ここに証明されました。女神アウレスティナは全てを見守っていらっしゃいます」
二枚の書類を重ねて、司祭がレオニウスに差し出す。レオニウスは受け取ったそれを、振り返ってアルノー夫妻によく見えるように掲げた。
「確かに、間違いなく拝見いたしました」
アルノー伯爵が恭しく頭を下げる。アルノー夫人もそれに倣った。
レオニウスとマルケリアの未婚の証明が、無事に終わった。




