冬12
「そういえば」
口喧嘩をするレオニウスとラヴィアを見ながら、マルケリアは口を開いた。途端に二人がマルケリアのほうを見て黙る。
急に注目されて、少し戸惑いながらも、マルケリアはずっと気になっていたことをようやく口にした。
「辺境での私の衣服や文具などの経費って、今どうなっているのですか? 私の持ってきた王家からの慰謝料は手付かずでしたが、持参金からですか? 新しいドレスが必要になったのですが、それには私の持っているお金を使っていただきたくて」
レオニウスが咳払いをして姿勢を直す。ラヴィアも、新しく紅茶のおかわりの準備を始めた。
「食費や滞在費は辺境が持っておりますが、被服費や必要な買い物代は、実は王太子殿下の私費で賄われております。王太子殿下からの、たってのご希望で」
「えっ、ルキ……王太子殿下が?」
マルケリアが驚いて言うと、レオニウスが頷く。
「さすがに婚約解消した相手の費用を王家が公費として負担するわけにもいかず、しかし、マルケリア様がヴァレリオン王家の庇護下にあることだけは譲りたくないと仰って……。これは、あなたの母君の母国である、ローデリオン皇国を刺激しないために、必要なことでもありました」
亡くなった母親から皇室の血を引くマルケリアを、国が邪険に扱っているわけではないと、見せる必要があったということだ。自分では気にしていなかったけれど、裏ではかなり政治的な事情も絡み合っていたのだと、今になって気がつく。
これまで、自分のルーツというものをあまり深く考えたことがなかったが、皇室の血を引く証としてブローチまでいただいた以上、ローデリオンの皇室には何かしらのお礼をしなければならないだろう。まずは、手紙がいいだろうか。王妃様か、ルキウスに預ければ届けてくれるはずだ。
王都に戻ったら、他にもしなくてはならないことが出てくるだろう。辺境で過ごした日々のように、ゆったりのんびりとは暮らせなくなる。もしも王太子妃になったら、これまではやらなかった公務というものも出てくる。政策にも、もっと積極的に関わっていくことになるだろう。
けれども、辺境で一年暮らして領地経営に関わってきた今なら、実地として領地経営を見てきた今だからこそ、できることがあるかもしれないと、そう思えた。
水魔法の問題のように、一つの事業を始めれば、その先に新しい問題が生まれることがわかった。端切れエプロンのように、ほんのささやかな思いつきが、そこに生きる人々の人生を変えることを理解した。今なら、ただ疑問を、意見を出すだけでなく、国を共に背負えると自分を信じられる気がした。
「政治的な理由はさておいても、新しいドレス代も、きっと王太子殿下が出したがると思いますよ。想い人の装いは、整えたくなるのが男というものでしょう?」
「本当に甘えてしまってもよろしいのでしょうか?」
これまで纏ってきたものたちが、全てルキウスからの贈り物と知って、少し照れ臭い。
「ええ、きっとそのほうが喜ばれます」
したり顔でレオニウスが言う。立派な年頃の男性であるレオニウスがそう言うのならば、そうなのだろうか。
「レオニウス様にも、そんな方が?」
何気なくそう訊いてから、慌てて口を噤む。そのレオニウスの、形だけとはいえ妻なのだということを、急に思い出したのだった。もし、自分を娶らされたことによって、その相手と結ばれなかったのだとしたら、自分はどう償えばいいのだろう。冷や水を被せられたような、そんな気がした。
「婚約者はおりましたが、父と同じ二年前の流行病で亡くしております」
さらりとした口調で言われて、一瞬意味が理解できなかった。
「そん、な、あの……私……失礼を」
「いいえ。マルケリア様が気にする必要はありません。もう、昔のことですから」
あくまでも微笑みながらそう言われて、マルケリアは握った手に力を込めた。触れてはいけないところに触れてしまったように、胸が痛む。口先だけの慰めの言葉など、かけられるはずもない。
「王都で社交を始めたら、そういったことも言われるようになるんでしょうね」
淡々とした調子でレオニウスが言う。どこか、感情を切り離しているように見えた。それができるから、彼は辺境伯なのだろう。この厳しい土地の長なのだろう。
それからは、レオニウスが当たり障りのない話をして、マルケリアはそれに頷くばかりだった。自分ばかりが幸せになることへの引け目のようなものを感じて、同時にそれはひどく烏滸がましい思いなのだとも思った。
二杯目の紅茶を飲み終わって、そろそろ引き上げようとなった時に、レオニウスが何気ない口調で尋ねてきた。
「どうですか? まだ、王都に戻るのは怖いですか?」
こうして内面に踏み込まれるのは、初めてだと思った。これまでレオニウスは、ひたすらマルケリアに対して礼儀正しく、距離と節度を持って接してきた。ともすれば、娘を信じる父親のように振る舞っていた節がある。
けれど、今は違う。明らかに、踏み込んだ話をしてきた。それも、王都に戻るように言うのでも、このままいても良いと言うのでもなく、マルケリアが怖くはないかと訊いてきたのだった。
「私、は……」
口籠る。王都に戻りたい気持ちと、辺境にいたいと思う気持ち。どちらも本物で、どちらも大事で。でも、いつまでもこのままではいけないことだけはわかっている。ラヴィアが王都に来ると聞いて、レオニウスとも王都でまた会えると知って、今そのバランスはだいぶ王都に傾いていた。
「戻る……戻りたい……と、今はそう思います」
決意を固めるように、そう口にする。言葉にすると、それこそが本心だったような気持ちになった。
「その言葉が聞けて、ホッといたしました。それでは、今後はそのつもりでこの冬は準備をいたしましょう」
「私も、お手伝いしますね」
マルケリアの答えを聞いて、レオニウスとラヴィアが言う。二人とも安堵したような表情だった。これで正解だったんだと、マルケリアは思う。背中を押された気持ちになった。
そうと決まれば、動き始めなくてはならない。マルケリアは、翌日から午後の勉強の時間を、アルノー夫妻と会う時間に切り替えた。王妃のアドバイス通りに、アルノー伯爵からは王都の最近の政治の動きを、アルノー夫人からは社交界の動きの話を聞く。
「公衆浴場ですか」
それと同時に、北の辺境で得た知識をアルノー伯爵に話すのも忘れなかった。これまで王都でも、政策の相談に乗ってもらっていたのだから、当然である。
「王都は水が豊かですから、水魔法の使い手を増やさなくても実現できそうではありますが……。冬の間は人気があるとして、夏はどうなるんでしょうね。石を焼く者も、夏は嫌がりそうだ。ただ、関節痛や古傷に効くというのは良いですね。年配の者たちが喜ぶでしょう」
「まだ、辺境でも今年の秋に始めたばかりなので、実際の効果や問題が出揃うのには、時間がかかるとは思います」
「そうですね。王都で実現するのは、先に辺境で情報が出揃ってからでも良いかもしれません。先行している都市があるのは助かりますね。戻ったら王太子殿下にお伝えします」
「ええ、お願いします」
マルケリアが頭を下げると、アルノー伯爵は畏ってそれを受けた。
アルノー夫人とは、これまで詳しく聞けなかった話をした。
「ロザリア様と聖騎士ヴァレンツ卿のお二人は、民と若い令嬢の間で、王族になる権威と名誉を捨ててまで選んだ真実の愛として、評判になっています。民の間では、お二人の名前を別の名前に変えて、劇として興行している者までいるとか」
「神殿で、ロザリアを警護していた聖騎士様ですよね? いつの間にそんなことになったのですか?」
「社交界で評判を落としてからも、ロザリア様の民の間での人気は凄まじく、ヴァレンツ卿も早い時期にロザリア様に忠誠を誓われていたそうですから……夏頃から、王太子殿下にパートナーを断られたパーティーに、彼を伴って参加していたのを見ていた者も多いです」
「王太子殿下との婚約が白紙撤回された時には何と?」
「清々した! と、仰られていたと、聞いております。秋にはもう、体調を崩されるので王宮に上がることも難しくなっていましたから、神殿で生きるのがあの方の幸せだったのでしょうね」
すでにレオニウスから大体の事情は聞いてはいたが、手紙で読んだり伝聞で聞くのと、実際に見てきた人間から聞くのでは全く違う。自分が辺境で暮らしている間に王都で起きていたことの実態を、今さらマルケリアは知った。こうした情報も、王都に帰った後には必要なものだった。
そうしているうちに気持ちがだんだんと、王太子妃教育を受けていた頃に近づいていく。高い踵とコルセットを締めたドレス姿にも、また馴染んできた。帰るための準備が始まっていた。




