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仮初の一年  作者: 肺魚


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冬10

 詰め込むように昼食をとってから、マルケリアは王妃とルキウスからの手紙に手をつけた。

 王妃からの手紙は、ひたすらにマルケリアの健康と心を案じるもので、辺境で元気に暮らしているのかと、終始そういった心配に満ちていた。最後のほうに、王都の最近の政治について知りたいのならアルノー伯爵に、社交界について知りたいのならアルノー夫人から聞くと良いという、アドバイスが書かれている。

 厳しいけれど、同時に優しい方でもあった。もしも母親が生きていたら、こんな感じなのだろうかと思ったこともある。ルキウスと婚約した、七歳の頃からの付き合いだ。マルケリアに関心がない実の家族たちよりも、王族の方々はよほど近しい存在だった。心配をかけていたのだな、と、素直に思うことができた。

 そうしてから、ようやくルキウスの手紙を手に取る。封蝋のされた正式な手紙は、婚約していた時に何通か受け取っただけだ。ペーパーナイフでそっと封筒を切って、中身を取り出す。これまで辺境で受け取っていた手紙よりも格式ばったレターセットには、ルキウスの使う香水の香りがほのかに染み付いていた。懐かしさに、目を細める。

 ロザリアとの婚約が白紙になって、ようやくちゃんとした手紙が出せることについての喜び。勝手にローデリオンの後ろ盾を使ったことに対する謝罪。そして、婚約解消以来、何度も今ここにマルケリアがいれば良いのにと考えていたこと。ロザリアが相手では、政治の話ができないのを寂しく思ったこと。会いたいと、何度も思ったこと。今もっとも王太子妃に相応しいのは、マルケリアだということ。

 そういったことが、便箋八枚に丁寧に書き綴られていた。

 これまでの手紙とは明らかに温度が違う。これまでは言えなかったことを、言えるようになったのだと、そう告げるような雄弁な手紙だった。

『最後に。春になったら君に会いに辺境へ行きたい。どうか、君の知った辺境を、僕にも見せてもらえないだろうか。レオニウスではなく、君から教えてほしい』

 迎えに行く、ではなく、会いたいと、ただそう書かれた手紙を、マルケリアは目を細めて見つめた。文末に書かれたルキウスの名を指でなぞる。何度も、何度も読み返した、お守りのようなあの紙片に書かれた署名より、ずっと丁寧で美しく書かれたその名前を。

『一年後、必ず迎えに行く。信じて待っていてほしい。ルキウス』

 あの紙片に殴り書かれた文章は、あまりにも短くて、繰り返し読んですっかり胸に刻み込まれてしまっていた。だから、ルキウスからの手紙には、絶対に迎えに行くと、そう書かれていると思っていた。

 けれども、ルキウスはそうはしなかった。ただ、会いたいと、そう書いてきた。一年近い別離が、ルキウスをより思慮深くさせたのだろうか。離れていた時間は、無駄ではなかったのだろうか。ルキウスにとっても、マルケリアにとっても、必要な一年だったのだろうか。

 あのメモを渡された夜を思い出す。心細くて、不安で、悲しくて震えた春の夜。ラヴィアに渡されたあの手紙とも言えない紙片を、お守りのように握って眠った夜。

 今は、すっかり辺境の暮らしに慣れて、帰るのが惜しくなっている自分に気がつく。特に、ラヴィアと別れることになると思うと、身を引き裂かれるように思えた。初めての侍女で、初めての友人のように思えた、大切な人。家で温かく迎えられることを、丁寧に扱われることを、マルケリアはこの一年で思い知ってしまった。

 あの冷たく無関心なグラシエル家の屋敷に戻る。それを考えると気が重たい。けれども、戻らないという選択肢はないのも理解している。自分で決めて良いとは言われたけれど、最終的には王都を選ぶべきだという理由も、理屈も、理解できてしまっていた。

「今日のお茶はどうされますか? レオニウス様が、もしよければサンルームで少し、お話ししたいと言ってます」

 手紙を読み返していると、少し席を外していたラヴィアが戻って声をかけてきた。マルケリアは何度か瞬きをして、それから了承した。少し、気持ちが手紙の内容に向いていて、一瞬判断ができなかったのだ。

「なるべく早くドレスを増やさないと、足りませんね」

 隣の部屋(ドレスルーム)へ続く扉を見ながら、ラヴィアが言う。王都から来たアルノー夫妻の前で、シュミーズの上にコルセットもなしのワンピース姿で出るわけにはいかないと、マルケリアが考えているからだ。着慣れた楽な厚手のワンピースが恋しいと言う気持ちはあるが、それでもドレスを着ずに済ませる気にはなれない。

「急に用意させることになってごめんなさい」

「それは別に構わないんですが、さすがにオーダーのものはすぐにご用意できないので、既製品に手を加えたものになってしまいます」

「それは仕方ないわ。私も、ほとんど持ってこられなかったのだし」

 父親に追い立てられるように辺境へとやってきたので、最低限の荷物しか持ってこられなかった。ドレスも、そうだ。手持ちの数着を、畳んで持ち込むのがやっとだった。春物のドレスは、今着るのには少し薄い。だから、用意してもらうしかない。

「そうだ。ドレスを用立てるお金は、私の持ってきた分から支払ってほしいのだけど」

 王家から出た慰謝料は手付かずだ。辺境での衣服や文具など、誰が負担していたのか、今度こそレオニウスに訊かなくてはならない。

「そういった手配は、レオニウス様からエヴァルドさんが一任されているので、私には何とも」

 ラヴィアが申し訳なさそうに答える。

「そう。なら、このあと、私からレオニウス様に伝えるわ」

 マルケリアはそう言って、手紙を丁寧に畳んで封筒に戻し、引き出しにしまってから席を立った。そのままラヴィアを伴い、サンルームに向かう。

 サンルームに入ると、窓から差し込む午後の陽の光に軽く目を細める。冬になって中庭の散歩をやめてから、外界との接触はサンルームから見える景色がメインになっている。暖炉には火が入っていたが、レオニウスはまだ来ていないようだったので、先にテーブルに着く。お茶の用意をしに、ラヴィアが出て行った。

 マルケリアの自室に近いここにはアルノー夫妻は来ないので、少し気を抜ける。この一年近くで、中庭に並んで、サンルーム(ここ)は自分の領域(テリトリー)であると認識していた。

「お邪魔します」

 自分の屋敷の中なのに、客のようなことを言ってレオニウスが入室してくる。普段通りの、タイをせずにシャツの上に毛糸で編んだベストを着て、厚手の黒いコールテンのジャケットを羽織っただけの姿だった。この格好でアルノー夫妻と昼食をとったのだろうか。そんなことが気になってしまう。

 レオニウスは向かいの席に腰を下ろすと、それからしまった、というような表情をした。

「決して二人きりにならないと言ったのに、申し訳ありません」

 言われて初めて、二人きりだと気がつく。けれど、それは大して気にならなかった。

「構いません。すぐにラヴィアが戻ってきますから」

 そう言ってる間に、カチャカチャと物音を立てて、ラヴィアがお茶とお茶請けの乗った皿を乗せたカートを運んできた。

「レオニウス様。どうして私がいないのに、部屋に入るんですか」

「すまない。うっかりしていた」

 呆れた様子でラヴィアが言うと、レオニウスが肩を落とす。相変わらず、兄妹のように仲が良い。これだけ距離が近いのに、ちっとも男女の関係に見えないのが不思議だった。

「仕方のない人ですね。今はアルノー夫妻もいるのですから、本当に気をつけてくださいよ」

「わかっている。気をつける」

 くどくどと言うラヴィアに、レオニウスがおとなしく答える。ラヴィアはため息をついてから、二人に給仕を始めた。二人の前に空いているカップと一切れずつのパウンドケーキの乗った皿を置き、ポットから紅茶を注ぐ。温かな湯気と紅茶の香りが、辺りに漂った。

 蜂蜜とミルクを注いでかき混ぜてから、一口飲む。そうして、マルケリアは切り出した。

「話があるとお伺いしましたが」

「ええ。この先のことについて、先にお話ししておきたいと思いました。マルケリア様が安心して決めることができるように」

 レオニウスはそう言って、ラヴィアのほうを意味深に眺めてから、マルケリアに小さく微笑んだ。

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