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仮初の一年  作者: 肺魚


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冬9

 ドレスを着る予定があったので、今朝の朝食は控えめにとった。これからは朝食も三人でとるのかと身構えていたが、レオニウスが朝食は各自でとるように指示をしたとのことで、マルケリアは少しだけホッとした。

 深い緑色のベルベットのドレスに、ヒールのついた靴。上からショールを羽織る。髪は編み上げて、金の髪飾りで留めた。どことなく、金髪に新緑の瞳をした、ルキウスを思わせる色合いだ。

 ラヴィアを伴って、応接間に向かう。サンルームと迷ったが、あそこには王都の人間を呼びたくなかったので、エヴァルドに応接間を用意してもらった。

 まだ、気持ちは落ち着かないままだ。昨夜のうちに、明日の午前中に会ってお話をしたいとアルノー夫妻から告げられていた。

「おはようございます」

「おはようございます」

 応接間に入ると、すでにアルノー夫妻が待っていた。暖炉にも火が入っていて暖かい。冷えた廊下を歩いてきたので、凍えていた身体が緩んだ。入り口で軽くカーテシーをしてから、向かいのソファに座る。

「まずはこちらを。王太子殿下からお預かりしてまいりました」

 アルノー伯爵が、恭しく一通の手紙を差し出した。両手でそっと受け取る。これまでのようにレオニウスの手紙に紛れさせたものではなく、王太子の印が押された封蝋で閉じられた正式なものだった。

「確かに受け取りました」

 マルケリアが答えて手元に置く。中身が気になるが、さすがにこの場で読むことはできない。背筋を伸ばして、アルノー伯爵を見つめた。

「ロザリア様のことは、お聞きになっておりますか?」

 そう尋ねられて、マルケリアは喉が詰まるような感覚を覚えた。

「神殿に……出奔したと聞きましたが」

 絞り出すように答えると、アルノー伯爵は硬い表情で頷いて見せる。

「私共が王都を出立する五日前に、正式に神殿に聖女として認められ、同時に王家との婚約は白紙撤回されました。それに伴い、王家はマルケリア様を改めて次期王太子妃として認めるよう議会に呼びかけ、議会もそれを承認いたしました。そして私共が、使者として辺境へ行くよう王家より命じられた次第です」

「王妃様より、こちらをお預かりしております」

 アルノー夫人がもう一通の手紙と、手のひらに乗るサイズの布の貼られた箱を差し出す。

「王妃様からマルケリア様に宛てられた手紙と、ローデリオン皇国皇室からマルケリア様に贈られたブローチでございます」

「ローデリオン皇国の皇室から? 私に?」

 マルケリアは驚いて声を上げた。ローデリオン皇国は、三歳のころに亡くなった母親の母国という以外、何も関わりのないはずの国だ。これまで、手紙にしろ物にしろ、何かをやりとりした記憶はない。

「皇国の皇室の血を引く者としての証明となるものだと、お伺いしております」

 アルノー夫人の言葉に、恐る恐る箱を手に取って開ける。蝶番の音がキッと鳴って、開けられた箱の中には布のクッションの上に、皇国の皇室の紋章のモチーフ、獅子とペガサス、王冠、蔓薔薇が組み合わされ意匠として使われている、白銀のブローチが入っていた。

「これはいったい……」

 戸惑うようにマルケリアが呟くと、アルノー夫人が答える。

「王太子殿下が、父君であるグラシエル公爵の代わりに、ローデリオンの皇室にマルケリア様の後見をお認めくださるよう、お願いする書状を夏頃に送られていたと伺っております」

 ルキウスが——。マルケリアは、息を呑む。ロザリアが出奔する以前から、自分を王太子妃として返り咲かせるために、ルキウスは本気で動いていたのだ。

 父親であるグラシエル公爵がマルケリアを蔑ろにしようとしても、西の大国ローデリオンの後ろ盾があれば簡単には手出しはできなくなる。そして、後ろ盾がローデリオン皇国ならば、もし今後マルケリアが王太子妃になっても、グラシエル家は実家としての口出しがあまりできなくなる。

 ルキウスは、そこまで考えて動いていたのだ。そして、そんな手間をかけてでも、マルケリアを取り戻そうとしてくれている。胸がジンと熱くなった。目が少し潤む。

 箱を閉じて、ルキウスと王妃からの手紙に重ねて大事にテーブルに置く。アルノー夫妻を見ると、二人とも心配するようにマルケリアを見つめていた。

「王太子殿下からは、無理に引き戻すようなことは一切口にするなと言われております。しかし、王都にマルケリア様を呼び戻す準備が整っていることだけは、お伝え申し上げます」

 伯爵が、緊張した様子で告げる。

「私が王都に戻る年明けまでに、ゆっくり考えてお決めくださいますよう、お願いいたします」

 てっきり、だから戻れと、そう言われると思っていた。しかし、そうではないのだとアルノー伯爵は言う。

「私が決めて構わないと……王太子殿下がそう仰ったのですか?」

 信じられない思いでそう口にする。そこまで用意しておいて、帰るかどうかはマルケリアに委ねるというのか。

「王家の誠意でございます。王家の都合で振り回して済まないと、国王陛下も独り言を仰っておいででした」

「私も、王妃様より王家からのお目付けとして辺境へ行くよう命じられましたが、マルケリア様の生活のお邪魔はしないように命じられております」

 揃って、頭を下げられる。マルケリアは慌てて顔を上げてくれるように伝えた。

「私は王家からのフィニステラ辺境伯の客人として滞在しますが、妻であるクラリシアは、辺境でマルケリア様をお支えするよう言付けられております。どうか、おそばに置いてくださいますよう、お願い申し上げます」

「王妃殿下に対するようにお仕えするよう、言い付けられております。どうかよろしくお願いいたします」

 そう続けられて、困惑する。あの居心地の良い自室に、ラヴィア以外の人が入ってくるのに、少し抵抗があった。

「失礼いたします。私、この辺境にてマルケリア様のお世話をさせていただいている、ラヴィア・フェルナールと申します」

 すぐに返事ができないでいると、後ろに控えていたラヴィアが突然、慇懃な口調で声を上げる。アルノー夫妻が、初めてそこに人がいると気がついたように顔を向けた。

「王都からの大事なお客様であるアルノー伯爵夫人の手を煩わすことのないように、主であるレオニウス様から言いつかっております。生活をお支えするのは私にお任せいただいて、アルノー伯爵夫人にはお話し相手となっていただくのがよろしいかと存じます。王都の懐かしい方々のお話など、きっとマルケリア様もお知りになりたいかと愚考いたします」

 辺境らしい、厚手のワンピースにエプロン姿で口上を述べる。その姿はいつもよりも堂々としていて、ドレス姿だったのなら、歴とした淑女に見えただろう。いつも親しげに姫様、姫様、と呼ぶその声が、他人行儀にマルケリア様と呼ぶのを、どこか不思議な感覚で聞く。

「そう……そういうことでしたら、無理に側仕えはせぬことにいたしましょう。辺境伯のご意向通り、話し相手として滞在することにいたします」

「恐縮でございます」

 あくまで慇懃な態度で、ラヴィアがカーテシーをする。レオニウスの命令ということにして、ラヴィアがうまく断ってくれたのだと、ようやく気がついた。そうして、二人との面談は終わった。



 部屋に戻って、二通の手紙と布張りの箱を机に置く。そろそろ昼食の時間だった。しかし、びっくりするほどお腹が空いていない。アルノー夫妻が来てから、食事を楽しめなくなっている。帰る前からこの調子でいったいどうするのかと、少し自分を情けなく思った。

「姫様、そろそろ昼食をお持ちしますね」

 いつも通りの声音で、ラヴィアが言う。先ほどまでの妙な慇懃さはない。マルケリアは、それだけで深く呼吸ができるように感じられた。

「アルノー夫妻とはご一緒しなくても良いのかしら」

 マルケリアが訊くと、ラヴィアは小さく肩をすくめて見せた。

「レオニウス様が接待されるようですよ。あの方は、誰が相手でも気にかけず食事をとれる図太い方ですから、気にせずにお任せすると良いです」

「まあ、そんなことを言って」

 思わず小さく吹き出すと、ラヴィアもニヤリと笑って見せる。

「王都の方は、食事もおちおち楽しめそうになくて、色々と大変そうですね」

 延々と表面をなぞるような世間話に終始していた、昨日の夕食の席のことを言っているのだろうか。本心からそう思っているように言われて、マルケリアは苦笑した。

「そうね……私も、そう思うわ」

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