冬7
屋敷に帰った後、マルケリアはエヴァルドに取り次ぎを頼んで、レオニウスの執務室に向かった。もう、夕食まで間がない時間帯だったが、レオニウスから承諾されてそのまま訪ねる。すぐには良い方法は思いつかなかったが、公衆浴場の問題をそのまま放ってはおけないと思ったからだ。
「話はわかりました」
マルケリアが公衆浴場でローレンから聞いた話をすると、机の上で手を組んで聞いていたレオニウスはそう言った。
「しかし、私はあなたがそれを解決する必要を感じません」
続けられた言葉に、マルケリアは急いていた思考を一気に冷やされたような気持ちになる。
「他の村では起きていない問題ですから、街の人口が多いせいでしょう。混んでしまうのは、物珍しさと、今の時期は寒くて冷えるから需要が上がっているせいですね。単純に、人口の多い街にはもう一つ、公衆浴場が必要なのかもしれない。水魔法の使い手は、あの後も少しずつ適性がある者や魔力の多い者を探しているところですから、いずれ解決します」
「私などが考えるようなことは、すでに考えていらっしゃるということですね……」
空回りしてしまったことを後悔して、悄然とした気持ちでそう呟くと、レオニウスは物言いたげに片目を眇めてみせた。
「いえ。今、お話を聞きながらそう思っただけですが。詳しいことはこれからカロンの話も聞きながら、カシアンや家臣たちと相談します。それより、私はマルケリア様がなぜ、そんなことを気にするのかということのほうが気になります」
「え……。それは、だって、辺境に水の生成魔法を持ち込んだのは私ですもの。責任を感じるのは当然だと思います」
マルケリアが言うと、レオニウスは組んだ両手の上に顎を乗せて、マルケリアをじっと見上げてくる。そうして、しばしマルケリアを観察してから、口を開いた。
「本来、功績と責任はセットのはずなんですよ。それをあなたは——」
「レオニウス様!」
レオニウスの言葉を、ラヴィアが鋭く遮った。初めて聞くラヴィアの声音に、思わずびくりと肩を揺らす。ラヴィアのこんなふうに固い声を聞くのは初めてだった。レオニウスも、わずかに両目を見開いて、マルケリアの斜め後ろに立つラヴィアを見ている。
ため息をついて、レオニウスが組んでいた両手を離した。
「すまない。私が立ち入るべきことではなかった」
レオニウスがラヴィアに向けてそう言うと、ラヴィアがなおも厳しい声で続ける。
「姫様は、あなたの部下でも子供でもありません」
「そうだな。悪かった」
レオニウスはそれを聞いて、素直に謝罪する。マルケリア一人だけが、意味がわからないままぼんやりとそれを聞いていた。
「ただ、これだけは伝えておきます。あなたが提案してくれたことは、辺境の役に立つことでした。それは間違いない。けれど、それをやると決めたのは私です。この辺境で起きたことの全ては、辺境伯である私の責任です。誰かに肩代わりしてもらうようなことではありません」
今度は、ラヴィアは何も言わなかった。言われた意味を考える。レオニウスは、責任を負うのは領主である自分だと言った。それを否定することは、確かにマルケリアにはできない。
そして、自分のものの捉え方が、何か間違っていたのではないかと、そんな気がし始めた。
「マルケリア様、そろそろお夕食の支度ができております」
タイミングを見計らったのか、執務室の外からエヴァルドが声をかけてきた。マルケリアは少し迷いながらも、レオニウスに退室の挨拶をして引き上げる。ラヴィアがついてくるのを確認して、自室に向かう。
「楽な服装に着替えてきますね」
部屋まで戻り、暖炉の火を調整すると、ラヴィアはそう言って、早足で部屋を出ていった。マルケリアは一人、ぼんやりとした気持ちのままでソファに腰を下ろす。深く被っていた帽子を外して、テーブルの上に置いた。
あの時、レオニウスが言おうとしていたことは何だったのか。そんなことを考える。ラヴィアが止めて、形にはならなかった言葉。
『本来、功績と責任はセットなんですよ』
あの言葉に、何かヒントがあるのか。功績。マルケリアが欲しいものだろうか。
それがあれば、自信を持って王都へ帰れると、そう思ったことはないかと言えば嘘になる。でも、自分がやったことと言えば、新しい問題を起こした水魔法の伝播だけで、それを本当に功績と言ってしまって良いのかと、そう考える自分がいる。
集会所で感謝されたことを思い出す。エプロンの提案は確かにマルケリアがしたけれど、それはレオニウスが実現したものだ。公衆浴場だってそう。その功績と責任がセットだとしたら、責任を負う時には功績もあるということ? 自分は、責任だけを負おうとしていたのが駄目だと、レオニウスは、あの時そう言いたかったのだろうか。考えれば考えるだけ、よくわからなくなっていってしまう。
そうこうしているうちに、ドレスから楽な服に着替えたラヴィアが戻り、マルケリアもドレスを脱いでいつものワンピース姿に着替えた。その後すぐに、夕食の時間となる。
ベーコンとカブのスープと、黒パン、ソーセージ。量が少ない代わりに、夕食には腹持ちの良い黒パンが出ることが多い。酸味と噛み応えのあるパンにも、だいぶ慣れた。温かいハーブティーを飲みながら、パンを飲み込む。デザートに、胡桃の入った小さなパウンドケーキが一切れついていた。蜂蜜の少しねっとりとした甘さにホッとする。
「ハーブティーのおかわりはいかがですか?」
「ありがとう。いただくわ」
ラヴィアの問いかけに、頷いて答える。昼は一緒に向かい合って食事をしたのに、今は主従として給仕されている。それを少し寂しく感じるのは、我が儘だろうか。
食後のお茶を飲んでいると、ダンスの練習で何度か顔を見かけたことのある侍女が部屋を訪ねてきて、昼間買って騎士に預けていた荷物を置いていった。辺境のおまじないの図案集と、年始用のカードを数枚。ラヴィアがそれらをまとめて、壁際にある机の上に置く。ラヴィアが買ったものに関しては、すでに自室に届けられているらしい。
それを見て、マルケリアは自分の生活費がどうなっているのかを、レオニウスに訊くのを忘れていたことに気がついた。昼間気になっていたことだったのに、公衆浴場の件で頭がいっぱいですっかり忘れてしまっていたのだ。
今から訊きに行けるような時間ではないし、それに今は少し、顔を合わせづらい気持ちだった。別にレオニウスに嫌なことを言われたわけではないのに、モヤモヤとした何とも説明のしづらい、すっきりとしない感覚だ。
何かを見ないふりをしているのか、気付きたくないのか。自分でも、よくわからない。
それでも夜は更けて行って、やがて寝る時間になった。いつものようにラヴィアが灯りを少し雑な呪文で小さく絞っていき、熾火の残る暖炉の火が部屋を小さく揺らす。
ラヴィアが用意した布で巻かれた湯たんぽを抱いて、ベッドに入ってしまえば、昼間に街まで外出したこともあって、すぐに眠気がやってきた。昼間にあったこととレオニウスに言われたことを考えながら、マルケリアは深い眠りに落ちて行った。
翌日の昼時。王都から帰ってきた商隊が帰還した。
その一行には、王都からの正式な使者として宰相補佐セヴェリウス・アルノー伯爵と、マルケリアのお目付役として、その妻で王妃付きの女官でもあるクラリシア・アルノー夫人の姿もあった。
マルケリアがそれを知ったのは、その日の午後遅くになってからのことだった。




