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仮初の一年  作者: 肺魚


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冬5

 『輝ける光の花束亭』というのが、ラヴィアが選んだ食堂だった。カウンターも含めて、十人も入ればいっぱいの小さな店だが、ラヴィアが扉を開けて入ると、他には誰もいない。奥から、店主らしい男性が出てきた。

「フェルナール様、お連れ様も、お待ちしておりました」

 そう言って、恭しくラヴィアとマルケリアにお辞儀をする。あらかじめ貸切にしていたのだと、それでわかった。

 店主の案内で奥のテーブル席にマルケリアとラヴィアが、扉に近いほうのテーブル席に騎士たちが着席する。店主が店の奥の厨房に去って行くと、ラヴィアがこちら向きにメニュー表を差し出してきた。

「ここは、人数が少ない時はレオニウス様もよく来るんですよ。少人数でも貸切にさせてくれるので、勝手が良くて。もちろん、料理も美味しいです。私は昼の定食にしますけど、姫様はどうなさいますか?」

 ラヴィアが言っている昼の定食は、リーキの入った小さなグラタンと、小さな牛肉のステーキに、スープとパン、ケールのサラダのついたものだった。ケールがいまいち好きではないマルケリアは、他のメニューにもざっと目を通す。

 ここは魔物素材ではなく、普通の食肉を扱う店らしい。うずらの丸焼きや、豚のソテー、牛肉のステーキ、牛肉や子羊肉のシチュー、チキンのグラタンなどがメニューに並んでいる。どのメニューにも、別料金でスープとパンがつけられるようになっていた。

「私は、チキンのグラタンにするわ」

「そうですか。飲み物はどうしましょう? 食後のお茶とは別に、食前にも何か頼みますか? ハーブをじっくり漬け込んだ、ハーブ水が口がさっぱりして美味しいですよ」

「では、それをいただこうかしら」

「はい、では頼みますね」

 卓上の小さなベルを鳴らすと、店主が出てくる。ラヴィアが注文をする間、マルケリアは店内を見回した。

 壁には小さな額縁に入った静物画や風景画がいくつか飾られ、別の壁際の棚には様々な茶葉や乾燥したハーブの入った瓶が並ぶ。木の温もりが感じられる四人がけのテーブルと椅子。隅にドライフラワーが飾られたカウンターは、大きな一枚板でできている。小さいけれど、こだわりのある店のようだった。

 ラヴィアが注文を済ませると、店主は騎士たちのテーブルも回って注文を聞いて帰った。聞き耳を立てていたわけではないが、騎士たちがかなりガッツリと肉料理を頼んでいるのが聞こえて、マルケリアは思わず微笑む。視察で街に来た時、レオニウスも肉料理を頼んでいたことを思い出したのだ。朝食をたっぷりとり、昼と夜は軽めにするというのが辺境流だが、やはり若い男性は昼もガッツリ食べたいと思うらしい。

 しばらく待つと、店主がトレイを二つ抱えてテーブルにやってきた。片方のトレイを丸ごとラヴィアの前に置き、それから残ったトレイの上のグラタン皿をマルケリアの前に置く。グラタンの乗っていたトレイから、ハーブ水の入ったグラスも二つ置かれた。

 久しぶりに見るガラス製のグラスに、思っていたよりも気安い店ではないのだと気がつく。辺境に来てからは、午後のお茶の時間を除いて、ほとんど木のカップや皿、分厚い陶器の皿を使っていた。辺境に来てから、陶磁器やガラスの食器が高級なものだと初めて知ったのだった。

「いただきましょう」

 ラヴィアに言われて、食事前の聖句を唱えてからフォークを手に取る。フォークを差し込んでマカロニとチキンを刺して取り出すと、とろけたチーズとホワイトソースが絡まってとろりと伝い落ちた。

 軽く息を吹きかけてから、熱々のグラタンを口に運ぶ。味よりも先に熱さが口の中に広がる。次いで、とろけたチーズの塩気と旨みが追いついてきた。口の中の熱さを逃すように、ハーブ水を口にする。冷たく冷えたハーブ水が、さっぱりと口の中を洗っていった。

 向かいの席では、優雅な手つきでナイフとフォークを扱い、ラヴィアがステーキ肉を美味しそうに食べている。食事の時は毎食ラヴィアが立ち合ってはいるが、こうしてラヴィアと一緒に食事をするのは、視察についてきた時以来だ。誰かと向かい合って食べる食事が久しぶりで、とても新鮮な気持ちになった。

 食べている間はラヴィアも無口で、でもその沈黙が重くない。王宮の晩餐会や、社交のお茶会などで食べる時とは全く違う。楽しい、と思う。嬉しい、とも思う。

 食べながら、マルケリアと目が合うと、その瞳は笑みに細まる。「美味しいですね」、瞳が、そう告げていて、マルケリアも口を動かしながら黙って頷く。それだけが、こんなに楽しい。

 食べ終えると、見計らったように店主が出てきて、空いた皿を下げていった。もう一人、エプロンをした中年の女性が奥から出てきて、騎士たちのテーブルの食器を下げる。

「ここは、食後のケーキも美味しいんです。まだ、お腹に余裕はありますか?」

「先に言って欲しかったわ。でも、多分大丈夫」

 悪戯っぽい表情でラヴィアが言うのに、軽口のようなノリで答える。一緒に食事をしただけなのに、前よりも距離が近くなったような気がした。

 友人、というものがいたら、こんな感じなのだろうか。そんなことを思う。

 公爵令嬢で、王太子の婚約者、という地位に幼い頃からついていたマルケリアには、王都に親しいと言える友人はいない。誰も、どこか何かを含んでいるようで、話していても一定の距離と、節度があった。

 マルケリアが、彼女たちの関心の先である、ドレスや宝石の話題にあまり興味を示さなかったことと、恋愛小説や観劇をあまり好んでいなかったせいもあるのかもしれないが、話があまり合わず、表面だけの付き合いが多かったのだ。

 王都に戻ると、ラヴィアとも会えなくなる。それは、今のマルケリアにとって、ひどく不安を覚えることだった。

 いつの間に、こんなに依存してしまったのだろう。ルキウスに会いたいという気持ちは嘘ではない。でも、代わりに彼女と会えなくなることを考えると、心臓のあたりがギュッと締め付けられる。知らないうちに、ひどく欲張りになってしまっていた。

「ねえ、姫様」

 出された紅茶にミルクを注ぎながら、ラヴィアが言う。

「一つだけ、申し上げておきます。私は、姫様が何を選ばれても、決して一人にはならないと思いますよ。私も、レオニウス様も、辺境も、姫様の味方です。それだけは、信じてくださいね」

 『私も、レオニウス様も、辺境も、姫様の味方』。それは、マルケリアが辺境に来た晩にも、ラヴィアから告げられていた言葉だった。かつて聞いたのと同じ言葉なのに、今はずっしりと重たい。

 辺境に来てから、ラヴィアがずっとついていてくれたこと。レオニウスの気配りと、エヴァルドの親切、カシアンの教え。

 この一年近く、いつでも辺境は彼女を尊重し、大切に扱ってきた。ケイランの警戒するような冷えた眼差しが、決して辺境が簡単な覚悟でマルケリアの身を引き受けたのではないことを教えてくれた。今のマルケリアは、その重みを身を以て知っている。

「栗のクリームのケーキ! これ、美味しいんですよ。今日はラッキーです」

 店主が持ってきた皿を見て、歓声を上げるラヴィアには、そういった悲壮な覚悟のようなものは見えない。いつだって、そばにいるのが当然のように、それが仕事ではなく楽しいとでも言うように、寄り添ってくれていた。それを、とても得難いと思う。ともすれば、ルキウスへの想いと争うように、ラヴィアの存在が胸の内を占めてしまっていた。

「ねえ、ラヴィア。私、あなたのことがとても好きよ」

 マルケリアは、絞り出すようにそう告げた。とても勇気のいることだった。

「え、本当ですか。嬉しい! 私も、姫様のこと大好きです!」

 鮮やかな笑顔で答えてくれるラヴィアを見て、なぜか少し涙が込み上げてくる。グッと目を瞑ってそれを堪えると、マルケリアも精一杯の笑顔を向けた。

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