冬4
「明日あたりに、街に出ませんか?」
ラヴィアからそんなふうに提案を受けて、マルケリアは読んでいた書類から目を上げた。午前中を体力作りを兼ねたダンスの練習に当てて、いつも通りの午後の『お勉強』の時間のことだった。
「街に?」
「ええ、もうじき雪が降り積もり始めるので、そうしたら外には出掛けられなくなります。その前に、街に出て買い物をしに行きませんか? 新しい毛糸を選んで、レターセットとかの文具を見て」
このところ、思い悩んでいたマルケリアの気分転換になるよう、提案してくれたのかもしれなかった。それほど心は浮き立たなかったが、うじうじと思い悩んでいる自分に、自分でも少し飽き飽きしていたので、受け入れることにする。
「わかったわ。明日、街に出掛けます」
「そう来なくっちゃ」
了承すると、ラヴィアが嬉しそうに微笑む。ラヴィアも、街で何か見たいものがあったのかもしれない。ふと、そう気がついた。
彼女はずっとマルケリアのそばについていて、休みをとっている様子がないのだから、もっと気を遣うべきだったのだと、今さらながらに気がつく。それでも、彼女がいないとどう暮らしていけばいいのかわからない。他の侍女を受け入れることができるのか、危うい。ラヴィアを手放せない、強欲な自分を自覚した。
翌日の朝。マルケリアは朝食を終えると、明るい茶色のウールのドレスに、焦茶色の襟の高いコートを着込み、髪を帽子に詰め込んで、同じようにウールのドレスの上にコート姿のラヴィアと連れ立って馬車に乗り込んだ。馬車の中は冷えるので、熱した石を布で包んだ温石を膝の上に置く。
「今年の冬は、大きな浴場があるから、屋敷の者たちは喜んでいますよ。特に夜、充分にお湯に浸かって、温まってから寝ると寝つきも良いのです。姫様のおかげだって、皆、感謝しています」
世間話の合間に、不意に言われて、マルケリアは戸惑う。自分では大したことをした気はなかったが、屋敷の人々に感謝されていると知って、どこかこそばゆい気持ちになった。
「私がしたのは、水魔法を教えたことくらいよ?」
「その水魔法だって、王都に許可を取ってくれたのは姫様ですよね? それに、水魔法の使い手が余るってレオニウス様が悩んでいた時に、お風呂に使えばいいって提案したのも姫様です。謙虚すぎるのも、良くないと思いますよ?」
「そう……なのかしら?」
「そうですよ」
押し切られるように言われて、改めて考える。確かに、マルケリアはルキウスに水魔法を辺境の民に教えても構わないか、確認をとった。そして、学園で習った呪文を覚えていたので、水の生成呪文を屋敷の人間たちに教えた。どれも、マルケリアにしてみれば自分にできそうだからやったことで、それを大したことだと言う自覚は薄い。
そういう感覚は、王都でも何度かあった。一箇所だけ、治癒魔法の効率の良い神殿を見つけて疑問を持ったことも、ルキウスだけがやたらと誉めてくれていた。結果的にそれは、神殿全体の治癒魔法の効率化に繋がったけれど、それは神殿に実際の調査を命じたルキウスの手柄だという意識が強い。
けれども、そういったことを、ルキウスと同じようにラヴィアも誉めてくれている。実際に動いたのはレオニウスなのに。そう思う自分と、もしかしたら少しは自分も役に立っているのかと願う自分がいる。
話はそこからまた、騎士の中には、自分の装備を編む者だけでなく、趣味としてレース編みが得意な者もいるのだという話や、そういった冬の手仕事は各家庭の冬の内職にもなっているという話、レオニウスやラヴィアが子供の頃に流行った遊びの話、などといったものにも膨らんでいった。
最初に街行きの馬車に乗った時に酔ってしまったせいか、ラヴィアはマルケリアと馬車に乗る時、いつも世間話をしてくれるのだった。
そうしている間に、馬車は街に着いた。今日も、前後を挟むように騎乗した護衛騎士が二人、ついてきている。下馬した騎士が素早く馬車に近付き、扉を開けて手を貸してくれる。その手を借りて馬車を降りると、マルケリアは街を見渡した。
最初に来た時はレオニウスの視察で職人街。前回来た時は収穫祭のメインストリートの手前だったために、今回来た商店街はまた少し、違った雰囲気だ。王都の商店街ほどではないが瀟洒な建物が並び、少し着飾った感じの人々と、馬車が行き交っている。
「まずは毛糸を見に行きましょうか」
ラヴィアが言って、先導する。少し歩くと、看板に刺繍された布と針を描いた店があった。手芸店のようだ。
ラヴィアが扉を開けて入るのに続く。騎士たちは店の前で待つようだった。
店に入ると、そこには色とりどりの布や、糸や、毛糸が並ぶ。色の洪水に、少し圧倒されてしまう。王都で手芸店に入ったことがないので比べようもないが、かなり商品の取り揃えは豊かなようだ。
「たくさんあるのね」
マルケリアが言うと、ラヴィアが答える。
「辺境は冬になると雪で長く家に閉じ込められますから、手仕事が盛んなんです。だから、品揃えは多いと思いますよ。こっちです」
ラヴィアについて行くと、そこには色とりどりの毛糸が山と積まれていた。
「このへんが、姫様が編んでいた毛糸と同じ太さの毛糸です。私も適当に見て回っていますから、姫様も好きに選んだり、見て回ってください」
そう言って、ラヴィアは刺繍糸のコーナーに行ってしまう。マルケリアは、圧倒されたまま毛糸の山を眺めた。
ようやくマフラーを二本編んだところで、次は何を編むか迷っていたところだ。レオニウスに編むのは何か違う気がしていたが、ルキウスの瞳の色に似た鮮やかな緑色の毛糸を見つけて、マルケリアはハッとした。
ルキウスにマフラーを編んだら、彼は喜んでくれるだろうか。しかし、その想像は長く続かなかった。王家の人間に、素人の手作りのものなんて、相応しいはずがない。マルケリアは手に取った毛糸を、そっと棚に戻した。
店内をフラフラと見て回る。たくさんの刺繍糸に、布の見本。レース編み用のかぎ針と糸。様々な図案集。
図案の中に、魔術めいたものを見つけて手に取る。ぱらりとページを捲ると、守護の紋、愛の紋、健康の紋、といった名称と共に、様々な刺繍の図案が載っていた。王都では見た覚えのない図案だ。辺境ならではのものなのかもしれない。少し興味を惹かれて、それを買って帰ることにした。
会計に向かうと、そこで刺繍糸を何本も買っているラヴィアがいた。刺繍が好きだとは知らなかった。案外、知らないことが多いのだと気がつく。
「あ、辺境に伝わるおまじないの図案集ですね」
自分の会計が終わって、品物を包んでもらうのを待っているラヴィアが、マルケリアが手にしている図案集を見て言う。
「騎士たちの妻は、今でもそういった図案集の、守護の紋とかを騎士の服に刺繍するんですよ。その刺繍が彼らの身を守ってくれると、信じられています。レオニウス様によると、実際、ちょっとした効き目はあるようです」
「まあ……まるで、王都の魔法で研究されている、魔法陣みたいね」
魔法陣を使うと、呪文を知らない人間でも魔法陣に記された魔法を使うことができるという。使い捨てだし、魔法を実体化するための魔力は必要だが。今の国王陛下の御代になってから、研究されている新しい分野だ。
「ほんの少し、怪我が軽く済んだりする程度みたいですけどね」
「それでも、騎士様たちにとってみれば大きな違いでしょう」
前線で命をかける騎士たちのことは、マルケリアにはよくわからないが、それでも家族が刺した守護の紋は心強いものだろう。それくらいはわかる。
「次の店に行く前に、昼食を食べましょう。もう、お昼ですよ」
店を出て、ラヴィアが言う。言われてみれば確かに、少しお腹が空いていた。ラヴィアを先頭に、騎士たちを引き連れて街を歩く。
二人が買った荷物は、騎士のうちの一人がまとめて持ってくれていた。貴婦人は、基本的に扇以外の物を持つことがないのだ。
ラヴィアが案内してくれたのは、商店街のすぐ裏手の通りにある小さな食堂だった。




