冬2
王都から早馬が到着したとマルケリアが知ったのは、いつもよりも屋敷の中が騒がしかったためだ。ラヴィアの話によると、迎え入れられた使者は疲れ果てて、レオニウスに書状を渡すとすぐにその場に崩れ落ちたと言う。
それほどの急ぎの案件とはどんな内容だったのか。気にはなるが、客人でしかないマルケリアに知る方法はない。
落ち着かない気持ちで夕食を食べる。せっかくの脂の乗った猪の肉の揚げ焼きも、カブのスープも、あまり楽しむことなく胃の中に収まった。食後のハーブティーと共に、添えられたナッツの入ったクッキーを齧る。砂糖を控えめに使ったほの甘さと、ザクザクとしたナッツの香ばしさ、バターの香りが、口の中に広がつた。
部屋の扉をノックされて、ラヴィアが扉を開けて確認する。扉の外にいたのはエヴァルドで、レオニウスができれば早めに会いたいと言っていると伝えにきたのだった。
「旦那様は、サンルームでお待ちです」
そう言われて、慌てて身繕いをする。夜のサンルームは冷えると言われて、エヴァルドが編んでくれた毛糸編みの肩掛けを、厚手のウールのワンピースの上から肩に羽織った。
エヴァルドについて、ラヴィアと共にサンルームに向かう。サンルームの中には、すでにレオニウスが椅子に腰を下ろして待っていた。手元に、いくつかの書類を広げているようだ。
「こんな時間にお呼び立てして、申し訳ありません」
エヴァルドが椅子を引き、マルケリアがレオニウスの向かいに腰を下ろすと、まずそう謝罪を受けた。マルケリアは気にしないように首を振って応える。理不尽な理由で呼び出すような人間でないことは、この辺境での生活ですっかりわかっていた。
「何かあったのですか?」
まさか、王都のルキウスの身に何か起きたのか、と、最悪の事態を想定して尋ねる。そうすると、レオニウスは難しい顔をしたまま、わずかに青灰の瞳を眇めた。
「どこからお話しすれば良いのか……。まず、あなたの義理の妹君であるロザリア様が、その身を守っていた聖騎士の一人と結ばれることを選ばれて、グラシエル家を飛び出して神殿に出奔されました」
「えっ?」
理解の及ばない話が出て、一瞬固まってしまう。なぜロザリアが聖騎士と? ルキウスと婚約していたのではなかったか。それに、家を出るなんて、いったい彼女に何があったのだろう。そもそも、そんなことをあの父が許すだろうか。
頭が真っ白になって、うまく考えがまとまらない。
そんなマルケリアのほうをじっと見つめて、うまく消化できていないのを見たのか、レオニウスが少し気遣わしげに眉を下げる。
「……その結果、神殿はロザリア様を、正式な聖女として認定する動きを見せています」
さらに続けられた内容に、戸惑いがますます大きくなる。ロザリアは、王都で聖女としての名声を恣にしていて、議会も彼女が王太子妃になるべきだと推して、それでマルケリアとルキウスの婚約は解消されたのだ。だから、今、マルケリアは北の辺境にいる。
それなのに、神殿に正式に聖女として認定されたら、聖女・聖人は政治と距離を置くべしという慣例から、彼女は王族との婚姻は不可能になる。
春先の、王宮での婚約解消の時のことを思い出す。王の苦渋に満ちた声、頭を下げるルキウスの金髪が、そんな時でもキラキラと美しかったこと。詫びる声が震えていたこと。
王家からの贈り物を整理する時の虚しさ。辺境へ送られる時の不安と心細さ。道中の食事のことを覚えていないほどに、震えながら一人きりで馬車の座席に座り込んでいた十日間。
辺境に着いて、ルキウスと初めて長い間会うことがなくなって、感じた寂しさ。小さな紙片をお守りのようにして過ごした夜の数々。
「な、なぜそんなことに……だって、ルキ……王太子殿下はそんなことちっとも」
声がみっともなく震える。そんな都合のいいことが本当に起こるはずがないという確信が、マルケリアの思考を縛っていた。だって、もしもそんなことが起きたのなら、ルキウスとロザリアの婚約が解消されるということで——。
『一年後、必ず迎えに行く。信じて待っていて欲しい』
マルケリアのお守りの紙片に書かれたあれが、現実になるというのか。
「王太子殿下があなたに王都側の……ロザリア様の情報をあまり知らせていないということはわかっていたので、私も今までマルケリア様にお話ししていませんでしたが、ロザリア様が王太子妃に向かないという話は、ずいぶん前から問題視されていました」
震えるマルケリアに、レオニウスがゆっくりとした口調で話す。
ロザリアが王太子妃教育から逃げ回っていたこと。社交でも失態を繰り返したこと。議会派が無理にやらせた教養とマナーのお披露目が失敗し、それがとどめとなってロザリアが王宮に上がることができなくなったこと。治癒を褒めてくれる、居心地の良い神殿に傾倒していったこと。
「彼女には王太子妃となる適性がなかった。それが、原因です。誓って言いますが、我々は確かにマルケリア様が王都に返り咲くことを目標に動いていましたが、企んでロザリア様を追い詰めたわけではありません。これは、彼女が選んだ結末です」
「そんな……元々、ロザリアが勉強やマナーを苦手にしていたのは、最初からわかっていたことではないですか」
まるで自分が裏切られたような気持ちで言う。ルキウスの婚約者という自分の立場を奪った人間だが、マルケリアにはあの異母妹を心から憎むことや恨むことはできなかった。聖女として目覚めた彼女の力は本物で、その治癒にかける情熱だけは、敵わないと思っていたからだ。
「議会派の連中は理解していなかったんでしょうね。いえ、そんなことは大した問題にはならないと、見誤っていたのか。でも、結果的に手に負えないとわかって、手のひらを返したんですよ」
「ひどい……ロザリアを利用するだけ利用して、あとは知らんぷりなんて」
「あなたの怒りの向きはそこなんですね」
「えっ?」
苦笑してレオニウスが言う意味がわからなくて、声を上げる。レオニウスは首を傾げるマルケリアに、微笑んで見せた。
「普通、少しは自分を追い出したロザリア様が失態を重ねて王宮から追われたと知ったら、ざまあみろと思うものだと考えていましたが……あなたはそこで、ロザリア様が政治の駒として消費されたことに怒りを感じている」
言われて、確かにそうかもしれないと気がつく。マルケリアは、ロザリアが追われたことを、素直に嬉しいとは思えなかった。彼女を政治の場に引き出しておきながら守らなかった、議会派に対しての強い怒りがあった。
そうでなければ、なぜ自分が北の辺境に追放のようなことをされたのか、それに意味があったのか、それらが揺らぐ。この追放が無駄だったと、そう思いたくないのかもしれなかった。
「結果的に、ロザリア様は自ら神殿に身を寄せ、近いうちに正式に聖女として認定されます。そうなれば、王太子殿下との婚約も、解消と言うよりは『なかったことになる』可能性が高いです。それに合わせて、王太子殿下は議会派に攻勢をかける準備をしています。冬の議会で、貴族派を議会に引っ張り出して、議会派の権勢を削り取るおつもりです」
「そんなことが可能なのですか? 貴族派の大半は、王都の議会政治に嫌気を差して、領地に引きこもっていますよね?」
「そこは、辺境の魔物素材を領地に卸すことを餌にしました。どの領主も、喜んで意見を変えてくれましたよ」
少し企むような人の悪い表情で、レオニウスが言う。「でも」と、マルケリアは声を上げた。
「森の生態系を考えたら、魔物素材の量を簡単に増やすことはできないのに、そんな空手形を切って良いのですか?」
「あなたの端切れエプロンをきっかけに、これまでそのまま乾燥させて砕いて肥料にしていた廃材を、もう一度見つめ直すことにしました。その結果、いくつかの素材で二次利用ができる目処が立って、それらを中心に当てる予定です」
領地経営の書類をずっと見せてはもらっていたが、マルケリアが見せてもらっていたものが全てではなかったということだ。レオニウスは、マルケリアが思っていた以上に、やり手の領主だったらしい。
「マルケリア様を王都にお返しするという王太子殿下との約束が果たせそうで、私は嬉しいです。マルケリア様も喜んでくれると嬉しいのですが」
「私……私、は」
約束が果たされることを喜ぶより先に、不安が浮かぶ。このまま帰っても良いのか。他にもっと相応しい相手がいるのではないか。王都に返り咲いたとして、そこでまた地味で目立たぬ婚約者として扱われるのか。ルキウスの役に立てるのか。
「少し急すぎましたね。今夜はゆっくり寝て、しばらくお考えください。どのみち、冬の間は辺境から出るのは難しいのですから。——おやすみなさい。良い夢を」
レオニウスが言い、机の上に広げていた書類を手に、席を立つ。その後を、エヴァルドがついて行った。
「おやすみなさいませ」
マルケリアも反射的にそう答えて、つられて席を立ち、どこか空を踏むような気持ちで自室に帰った。ラヴィアも今日は静かだ。マルケリアが一人でじっくり考えられるように気を遣ったのか、テキパキと寝る準備をして「おやすみなさい、姫様」とだけ言い置いて部屋を出ていく。
暖炉の熾火と小さな灯りだけが浮かび上がる薄暗い部屋の中で、マルケリアは途方に暮れたように立ち尽くした。




