冬1
冬の始まる直前に、北の辺境では最後の森への遠征が行われた。これは、これまでのように狩りが目的ではなく、単純に森を見回るためのものだ。寒くなり、動きの鈍くなった魔物たちが森の奥に潜んでいるのを確認するために行われる。
帰還したレオニウスは、遠征の行われた春から秋までの森の様子をまとめた書類を王家に提出し、この一年の防衛任務を終える。そして、また来年の春になるまでは、何か森に異常が起きたりしない限り、原則的に遠征は行われない。
長かった防衛任務が終わると、北の辺境は冬の季節に入る。辺境の冬は、家に閉じこもっての冬仕事と、社交のシーズンだ。冬の間は、新年の挨拶の手紙だけは送るが、それ以外には王都への商隊も出ないとのこと。
今年最後になる手紙を書くにあたって、マルケリアは散々迷った末に、手紙の最後に小さく「またあなたに会いたい」と、一言添えた。
これを書く勇気を振り絞るのには、とても時間がかかった。ロザリアという婚約者がいる王太子に向けて書いては、万が一外に漏れた場合に、王太子の立場を危うくする危険性がある内容だからだ。
けれども、今年最後の手紙になると言われて、マルケリアがルキウスに一番伝えたいことは結局それだった。何度も諦めようとして、けれども最後まで消えずに燃え残った想い。それを、この細い糸を通じて一度だけちゃんと伝えたいと、そう思ったのだ。
手紙を託して待つ間、マルケリアは新しい物事に挑戦していた。冬の間、女性だけでなく、辺境では騎士たちも編み物をすると聞いて、自分もやってみようと思ったのだった。騎士たちが編むのは、自分たちの着用する鎖鎧の下に着るベストや、分厚い靴下などで、女性たちが編むのはその他に膝掛けや肩掛け、マフラー、帽子、子供用の衣服などらしい。
とにかく真っ直ぐに長く編めば良いという理由で、まずはマフラーを編んでみることにした。編み物は、ラヴィアよりも執事のエヴァルドが得意だというので、彼にお手本を見せてもらって編むことにする。
二本の編み棒と毛糸だけで、するすると編んでいくのがまるで手品のようだ。編み目を数える手つきも様になっていて、マルケリアはその横で必死に真似をして指先を動かした。
慣れていないと、指先が攣って、編み目を追う目も疲れる。少しずつ、編んでは解き、解いては編み直し、進めていく。途中で毛糸を繋ぐのにまた手間取って、それでも根気よく編んでいくと、だんだん目も揃って、一週間ほど経つと、あまり考えずに編み進めることができるようになってきた。
十日ほどかけて、マルケリアはやっと一本のマフラーを編むことができた。何度も編み直したので、それなりにきちんとした出来だ。記念すべきそれは、ラヴィアに贈ることに決めていた。ヘーゼルの瞳に合わせて、深い緑色をしたマフラーを差し出すと、ラヴィアは信じられないといった様子で感極まっていた。
「姫様、私、一生大事にしますね!」
大袈裟なほどに喜ばれて、マルケリアは嬉しさ半分、照れ臭さ半分で笑顔になった。
二本目は、ラヴィアとお揃いで自分のために編もうと決める。瞳の色の紫は目立つ色なので、瞳の色より少し淡い紫色を選んだ。こうして手を一心に動かしていると、手紙を待つ時間を忘れていられる。
寒さのため、日課から中庭の散歩がなくなって、代わりにマルケリアは辺境のダンスの練習を始めることにした。これは、ラヴィアが教えてくれた。
自室のすぐ近くにある、空き部屋で暖炉に火を入れてもらって練習する。王都の男女が一組となって身を寄せ合って踊るものではなく、男女入り乱れて、十人から二十人ほどが大きな輪になって踊る群舞らしい。
手を両隣と繋いで、いくつかのステップを組み合わせて踊るそれは、軽快で、陽気だ。その軽やかさの反面、ステップは跳ねるようで、結構体力を使うため、運動不足気味のマルケリアにはやや堪えるものだった。
ラヴィアと、もう一人呼ばれてきた侍女がマルケリアの両隣で手を繋いで手本を見せてくれる。侍従が吹く笛の音に合わせて、それを真似て踊る。何度か繰り返すと、息が上がって暑くなってきた。
ラヴィアが、カップに入った水を渡してくれる。シュワシュワと弾ける炭酸水は、この屋敷の深い井戸から出る天然水だ。ごくごくと飲み干して、布で汗を拭う。膝が、ガクガクと震えていた。
「少し休みましょう」
ラヴィアが言って、部屋の隅に置かれたソファを勧められる。一度座ったら、立ち上がれなくなりそうだった。しばらく身体を動かしていなかったツケが来たのだ。これでは、王都のダンスすらも満足に踊れないかもしれない。もっと体力をつけないと駄目だな、とつくづく思う。
晩秋から続いているサンルームでのお茶も、日課の一つだ。最近は、書類を持ってレオニウスが訪れることも増えてきた。清浄な水による洗浄を取り入れた神殿の治癒魔法や、公衆浴場が今どうなっているのか、律儀にマルケリアにも報告してくれるのだ。
「街と、二つほどの村で銅貨五枚で入れる公衆浴場を始めてみましたが、どちらも好評ですね。冬の寒さによる関節や古傷の痛みに効くと、年寄りや騎士たちが噂しています。これは、ちょっと予想外の効果です」
「まあ、それは良かったですわ。温めるのが、やはりよろしいのかしら?」
「そうみたいです。これまでは毛糸で編んだ膝当てや、湿布などくらいしかできなかったようですが、湯にゆっくり浸かることで、痛みの軽減が見えたそうです。残りの村でも、雪が積もる前に営業が開始できるように、急いで建てている最中です」
「水の魔法使いは足りていますか?」
マルケリアが尋ねると、レオニウスは少し困ったような顔をした。
「今はギリギリ回している感じですね。公衆浴場用に、もう少し増やしたいと考えています。給料も、公衆浴場自体は元が取れれば充分採算に合うので、辺境から出す形で多めに設定しています。冬の間の副業としても、人気が出ると良いのですが」
「神殿のほうが足りなくはなりませんか?」
「神殿のほうは、公衆浴場よりも高い料金で水を買い取るように設定しています。治癒の効果が上がって、治癒を受けられる人数が増えるのは民にとっても良いことなので、こちらが優先されるでしょう」
マルケリアのちょっとした疑問にも、スラスラと答えが返ってくる。マルケリアが予測することなど、とっくに考え済みなのだろう。現場での実務経験が長いことが伺える。
「今年最後の王都への商隊は、王都で冬越えのための買い物をしてから帰るので、いつもより帰還まで時間がかかる予定です。冬の間に辺境で使われる紅茶や砂糖といった嗜好品や、塩や胡椒、毛糸や布といった必需品をまとめて仕入れてくるので、どうしても時間がかかるのです」
マルケリアの内心の焦心を見透かすように、皿の上に盛られた干し葡萄と干しイチヂクを摘みながら、レオニウスが言う。
「流行の恋愛小説も頼んでありますよ!」
「それはお前の趣味だろう」
ラヴィアとレオニウスの明るい掛け合いが、今はありがたい。マルケリアは、知れずに緊張していた気持ちを、意識して解いた。焦っても、返事はすぐには来ないのだ。ただ待つしかない気持ちは急くばかりだけれど、焦っても仕方がない。
「公衆浴場のアイデアはとても良いものでした。王太子殿下への手紙でも報告させてもらったので、いつか王都でも実現すると良いですね」
「王都でも?」
「ええ、水の魔法が使える者がいれば、王都でも作れるのではありませんか? 流行病が怖いのは、城塞都市に住む我々ばかりではないでしょう」
「そう、ですね。確かに。ただ、流行病に効果があるかはまだ、統計がきちんと出ていないので」
マルケリアが少し遠慮がちに言うと、レオニウスは青灰の瞳でじっとマルケリアを見つめて、言い聞かせるように言った。
「辺境で実現して、民に人気が出たという事実があれば、それなりに評価がされると考えます。実際に、古傷には効果があるという報告もあることですし、全くの無駄にはならないと思いますよ」
「そのようなことも、王都へ報告されているのですか?」
「はい。王太子殿下には伝えてあります。マルケリア様の功績であることも」
マルケリアは驚いて、レオニウスをじっと見つめた。あんな些細な意見を出しただけなのに、マルケリアの功績として報告されているとは思ってもみなかったからだ。
「その評価は、過分に過ぎますわ」
「私はそうは思いません。それはきっと、王太子殿下も同じだと思います」
自信のありげなレオニウスの言葉に、マルケリアは少し恐ろしいものを感じた。自分の知らないところで、何かが大きく動いているような、そんな予感がした。
王都からの早馬が到着したのは、それから四日後のことだった。




