秋7
中庭で、向かいに座ったレオニウスが難しい顔をしながら、栗の皮を剥いている。領主なのだから、皮剥きくらいメイドたちにやらせても良いと思うのだが、この手の無心でできる指先の作業は嫌いではないとのこと。
涼しくなって、氷作りから逃れられたと思ったら、今度は栗の皮剥きなどをやっているのだから、相当な仕事中毒だ。自分の書類を読む癖を棚上げにして、マルケリアはそんなふうに思った。
「領民への水魔法の伝播は、その後いかがですか?」
気になっていたことを尋ねると、皮を剥く手がピタリ止まった。
「順調です。順調すぎるほどに」
剥いた栗を机の上のボウルに放り込んで、そう答える。
「調べさせたら、思っていたよりも水魔法の適性が高い者が多くて……正直言って困っています」
「困る? 適性が高い者がたくさん見つかるのは、良いことではないのですか?」
「そのこと自体は喜ばしいことです。ですが、神殿で買い取れる水の量には限りがあります。このままでは、仕事の奪い合いになる。何か、他にも水を買い取る事業を始めないといけません。せめて、飲用に使えれば良かったんですが」
魔法で生成した水は、生で飲めるほど安全だが、驚くほど不味いのだという。
「他の用途だと、普通に浅い井戸の水でも構わないものですから、わざわざ金を出して水を買う者がおりません。辺境としては、少しでも雇用を増やしたいのは山々ですが、必要のないものに金を払うのはさすがに無理があるので」
「水を大量に使う用途が必要、ということでしょうか?」
「何か、そういうものがあれば、それに使うための水を買い取るという形で、水の生成魔法を使う者を雇えると考えています。辺境ではここ数年、騎士と農民以外の雇用を増やすために、色々なことを試しているのです。火吹き蜥蜴のエプロンもそうですが、ああいう性別や年齢を問わない働き口というのはとても大事です」
火吹き蜥蜴のエプロン事業では、服飾専用の工場に頼むのではなく、家にいる女性たちへの内職として斡旋していたのを思い出す。
「女性の社会進出を狙っているのですか?」
それは、王都でもまだ先進的な考えだ。職業婦人がいないわけではないが、専門的な仕事に限られているし、まだその数は少ない。
「そこまで大袈裟なものではありませんが、女性の働き口が増えれば、単純に民の生活が豊かになるでしょう? 北の辺境は外部への魔物素材の売上でかなりの金を稼いでいますが、それをなかなか住民に還元しきれていないのが現状ですので」
辺境を少しでも豊かにしたいというレオニウスの考えが、よく出ている話だった。マルケリアはしばらく考えを巡らせて、やがて一つ思いついた。
「あの、これはまだちゃんとした統計結果が出ていないのですが……お風呂を増やすのはどうでしょうか?」
「風呂を?」
レオニウスが訝しげに声を上げる。マルケリアは一瞬怯みながらも、続けて言った。
「ええと、王都にいた時、毎日の入浴習慣のある人のほうが、ない人よりも流行病にかかりづらいという統計をとっている最中だったのです。まだ結果ははっきりしておりませんが、手洗いやうがいなどで清潔を保つことが流行病の伝染を防ぐのではないかという研究が、すでに先にありまして。お風呂はその延長です」
「お風呂、良いじゃないですか! 屋敷にも、騎士たちが入るみたいな大勢入れる大きな浴場を作りましょうよ。井戸から運ぶのは大変ですが、魔法で水を出すのなら、大きなお風呂も面倒じゃなくなります」
「まあ、風呂を沸かすのは、焼いた石をたくさん放り込めば不可能じゃないが……」
貴族の屋敷の一般的な風呂は、床に置いたバスタブに沸かした湯を入れて、後から水を入れて調整するやり方だ。魔法で出した大量の水を湯にするのには、レオニウスが言うような方法か、火の魔法で熱を入れる方法のどちらかになる。
「どうせなら、もっと範囲を広げるか。街に湯を売る店を作るのはどうだ? 不味い水は売れなくても、風呂用の沸かした湯なら、買う者もいるんじゃないか?」
「それならいっそ、温泉地や湯治場にあるような、大勢が入れる公衆浴場のようなものを作るのも良いかもしれません。値段を安めに設定すれば、お風呂がない家の人が入りに来るかもしれませんし、魔法で水を出す人と、石を焼く人の両方を雇うことができるのではないですか?」
「姫様が言うように、身体が温まる場所は喜ばれるかもしれませんね。これから冬ですし」
マルケリアの意見にラヴィアが賛同する。レオニウスは、「公衆浴場か……」と言って唸った。
「まず、作る場所を探すところからだな。それに、先に屋敷で試してからのほうが良いだろう。屋敷の一階で、浴場にするのに潰していい部屋をまず選定しよう。水場になるから、床がしっかりしているのが条件だ」
「西棟の倉庫になってる場所とかどうですか?」
「あとでエヴァルドに調べさせよう」
「え、本当にお風呂を作ってしまうんですか?」
するすると実用化が決まって、また驚く。
「せっかくの意見ですからね。試してみても損じゃないでしょう」
なんて事のないようにレオニウスが答える。端切れエプロンの時といい、マルケリアのちょっとした思いつきを、実現することを躊躇わないのが本当にすごい。
「でも、まだ統計の結果は出ていなくて……もしもあんまり効果がなかったら無駄になってしまうのでは?」
モジモジとマルケリアが言うと、レオニウスは笑って首を振った。
「有用だと思ってやると決めたのは私ですから、その先はマルケリア様が気にすることではありません。それに、もしも流行病の防止に効果がなくても、温かい湯に浸かるのは気持ちの良いことだ。もしも街や村にそういう施設ができたら、きっと民も喜ぶでしょう。雇用も増えるし、良いことだらけです」
「そう……なら、良いんです。少しでもお役に立てたのなら、光栄ですわ」
「ええ、全部マルケリア様のおかげです。特に、水生成魔法の許可の件と習得への手助けは、本当に助かりました。辺境を代表して御礼を申し上げます」
レオニウスから御礼を言われて、頬がじんわり熱くなる。照れくさいが誇らしくもあった。
政治的に難しい立場にいるマルケリアの身を預かって、守ってくれているレオニウスに、辺境に報いたい。ずっと考えていたことだ。水魔法の伝播と、入浴施設の考案で、それが少しでもできたのなら、マルケリアにとってとても嬉しいことだった。
「これで、水魔法の使い手が増えても、仕事の取り合いにはならなくて済みそうだ。屋敷の風呂を作ってみて、公衆浴場を作るという案が行けそうなら、もっと適性がある者と魔力が多い者に水の生成魔法を積極的に広めよう」
「冬までに間に合うと良いですね。手足が伸ばせる広くて大きなお風呂、考えただけで気持ちよさそうです!」
レオニウスに続いて、ラヴィアが喜びの声を上げる。
結局、屋敷の西棟にある倉庫を潰して、男女別の大きな浴室を作ることになり、屋敷の中で水魔法を使える者たちが特別手当をもらって、交代で水を充填することになった。メイドや侍従たちに石を焼く仕事は増えたが、大きな風呂場は使用人たちに好評で、レオニウスは街や主な村にも、公衆浴場を作ることを決めた。
「公衆浴場を作る仕事でも人を雇えて、良い還元材料になりました」
機嫌良く煎ったピーカンナッツを摘みながら、レオニウスが報告してくる。今日は中庭ではなく、屋敷の中庭に面したサンルームでのお茶だ。いよいよ秋も終わりが近付き、寒くて外でのお茶が難しくなってきたため、最近のマルケリアはこのサンルームでお茶をしているのだった。
「マルケリア様が辺境に来てくださって、本当に良かったです」
そう言うレオニウスの言葉には嘘がまるでなくて、マルケリアは自分がここに居ても良いのだと安堵する。来たばかりの時が嘘のように、すっかりマルケリアは辺境での暮らしに馴染んでしまった。
朝は山盛りの朝食を食べ、昼までに庭を散歩して午後は書類や本を読み、ラヴィアに風呂に入れられ髪を梳られる。気がつけばそんな毎日が、当たり前になっている。未来の王太子妃として、勉強と政務漬けだった王都では考えられない、ゆったりとして豊かな生活だった。
ここはとても居心地が良い。レオニウスの立場を慮る一部の人たちに歓迎されていないのは理解しているが、それでも直接接する人たちは皆優しく親切で、誰もマルケリアを地味で目立たぬ令嬢と笑わない。生活魔法を教えただけで喜ばれ、ちょっとした思いつきはレオニウスの手によって簡単に実現する。
ここに、このまま居る自分を想像することがないでもない。きっとそれなりにうまくやっていけるだろうという、予想もできる。それでも、枕元に置かれた紙片が、まだ諦めるのは早いと、マルケリアの中の恋心に火を灯すことをやめない。
辺境はとても厳しいけれど懐が深くて、居心地も良い。けれども、自分の帰る場所はここではないと、本来の居場所はここではないのだと、心の中で叫び続ける自分がいる。
選択の時が、近付いていた。




