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仮初の一年  作者: 肺魚


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19/24

秋3

「ケイランの奴に、いいところを持って行かれてしまいました」

 カップに入った水を一気に飲み干して、近付いてきたレオニウスが言った。

「でも、見事な鹿が仕留められましたよ。他には、兎が数羽と、猪が一頭。これは食べられませんが、狐が三頭。なかなかの成果です」

「お疲れ様でございます」

 マルケリアが本を閉じて迎える。ラヴィアは、黙って隣の席を引いた。すぐに腰を下ろすと、レオニウスは空になったカップを机に置く。

「解体してからだと食事が遅くなるので、他のものを用意させてあります。今、持って来させます。鹿はまた後ほど」

「獲物が獲れなかった時のために、こういう時はあらかじめ他のものも用意しておくんです」

 ラヴィアが付け足す。確かに、もう昼食の時間をとっくに過ぎているので、今から解体して調理するのでは遅いかもしれない。

 天幕の外をチラリと見ると、手際よく鹿の腹にナイフを入れて、臓物を取り出しているところだった。王都の狩猟会では、貴婦人たちは完全に別の建物に集まってお茶会をするので、こういった解体現場を見るのは初めてだ。見慣れない血の赤に、思わずドキリとする。

 そこへ、木の皿を持った料理人がやってきた。レオニウス、マルケリア、ラヴィアの順で前に皿を置く。皿の上には少し厚めに切った大きめの肉が、三切れずつ乗っている。付け合わせに、野菜のピクルスが添えられていた。

「牛の前脚辺りの塊肉を、明け方からじっくり燻製焼きしたものです。とても柔らかいですよ」

 その後ろから、トレイを持った女性がやってきて、木のカップを机に置いていった。カップの中身は、シュワシュワと気泡が湧いている。

「ジンジャーエールだ。ありがたい」

「お肉の脂があるから、こういう飲み物のほうが、口がすっきりして良いかもしれませんね」

 レオニウスが喜びの声を上げ、ラヴィアがマルケリアにそう告げる。

 各々短く食事に感謝する聖句を唱えて、食べ始める。レオニウスはマナーはきちんとしているが、さすがに一口が大きい。あっという間に一枚食べてしまった。

 マルケリアは、ナイフがほとんど抵抗なく入っていく肉の柔らかさに、まず驚いた。柔らか過ぎて、ほろほろと身が崩れてしまうので、フォークに刺すのに少し苦労するほどだ。

 そっと口に入れて噛むと、口の中に燻製のスモーキーな香りが満ちて、肉の脂はプルプルとした塊になっており、ほとんど噛まずに済むほどに柔らかい。

「とても柔らかいのですね。それに、思っていたよりも脂っぽくないです」

 思わず口にすると、ラヴィアも頷く。

「長い時間をかけて低温で焼くことで、脂から余計なものが抜けるそうです」

 レオニウスはさっさと食べ終わって、おかわりを所望している。マルケリアは肉ばかりを食べるのに慣れていないため、少しパンが欲しい気持ちだったが、口に出すのに迷っていると、ラヴィアが心を読んだかのように頼んでくれた。

 かまどの火で炙ったらしいパンは、周りがパリパリとして中がふかふかで温かい。バターが簡単に溶けて染みていく。肉の合間に食べると、バターの塩気がちょうどよかった。飲み慣れないジンジャーエールも、口の中をさっぱりと洗い流してくれる。

「おかわりはいかがですか?」

 マルケリアの皿が空になったのを見て、レオニウスが訊いてくる。レオニウスは二皿目も空にしていた。

 マルケリアは少し迷ってから、「一切れだけ」と答えた。頷いてレオニウスが人を呼ぶ。ラヴィアも、おかわりをするようだった。

「これを食べ終わったら、もう一度狩りに出ます。夕方、陽の暮れる前には解散予定です」

「ほら、多めに本を持ってきて正解だったでしょう?」

 ラヴィアが、得意げに言う。レオニウスは結局、三皿をペロリと平らげて、また狩りに戻っていった。

 解体された鹿が、肉となって料理場に持ち込まれた。料理人たちが肉の塊に塩を擦り込んでいる。

(アッカ)!』

 バシャンと、水音がした。見ると、解体作業をしていた男性が、『(アッカ)(アッカ)』と何度も繰り返し唱えながら、空中に飛び出す少しの水で手を洗い流している。王都式の呪文なら、もう少しまとまった量を出すことができるのに、そう思う。

 前からラヴィアが灯りの魔法や氷の魔法などを使うのを身近に見ていたが、辺境の魔法は短い単語だけで発現させている分、魔力が無駄に弾けてしまっている気がする。王都式の呪文だと、制御系の部分を唱えている間に魔力を練るので、細く長く魔力を出力するため、消費魔力を抑えることができる。そこを、辺境式は発語と共に勢いよく魔力をぶつけて、無理やり現象を起こしている印象がある。

「辺境は魔力の多い人が多いのね。騎士の方だからかしら」

「騎士が魔力が多いと言うよりも、魔力が多いから騎士になる感じですね。騎士は広く平民からも集められていますが、剣の腕前と同時に、攻撃魔法の適性も見ます」

「辺境では、平民も魔力を持っているの?」

 驚いて尋ねる。王都では、魔力を持つのは貴族の血を引くものがほとんどだ。平民で魔力を持つものも、大抵はどこか先祖に貴族がいるというのが定説である。

「貴族の血筋のほうが魔力が高い人間が多いのは確かですが、平民でも簡単な魔法なら使える人間が多いです。魔物の湧く(フィド)が近いからかもしれませんが」

「そう……そうなのね。辺境では、平民でも魔法が使えるほどの魔力があるの……」

 それなら、もしもマルケリアが辺境の人々に王都式の水の生成魔法を広めたら、前に言っていた神殿で使う清浄な水の件が解決するのではないだろうか。そんなに魔法を使える人間が多いのなら、深い井戸がなくても、水の生成魔法で出せばいいのだ。

 しかし、マルケリアはそれをすぐに口にすることはしなかった。辺境の民に王都の魔法を広めることが、法律的に許されるかわからなかったからだ。レオニウスを、ぬか喜びさせたくはない。

 これは、一度王都にいるルキウスに確認をとったほうがいい問題だ。マルケリアはそう思った。

 狩りは夕方に予定通り終わった。特に怪我人も出ず、戦果も充分で、解散前に昼に獲れた鹿肉のローストが全員に振る舞われた。マルケリアも食べたが、帰りにかなりお腹いっぱいになってしまった。

「今日は夕食は軽めにしますね」

「スープだけでもいいくらいだわ」

 帰りの馬車で、そんな会話をする。今日の行き帰りも、レオニウスとは別の馬車だった。徹底して、接点を表には出さないように注意を払っている。屋敷の中でも最初の宣言通り、決して二人きりになることはない。いずれマルケリアが王都に戻る際に、ほんの少しでも醜聞にならないための配慮だった。

 最初に「あなたを愛するつもりはありません」と言われた時は、ここでも必要とされていないのだとひどく落胆したが、今では本当に良くしてもらってると思うことばかりだ。辺境に、何かを返したいとマルケリアが思うのは当然のことだった。

 次の手紙で、ルキウスに水の生成魔法のことを確認しよう。生活魔法だからそんなに厳しい制限はないはずだが、それでも万が一それが元で辺境が中央から責められるようなことになったら、マルケリアはいくら後悔してもしたりないだろう。

 気がつけば、辺境に来てからもう季節は二つも巡っている。ルキウスの声を、忘れかけている自分に気がつくたび、胸が切なく疼いた。しかし、それと同時に親身になってくれるラヴィアの献身に胸が暖かくなったし、夏に自分の言葉がきっかけになって辺境の事業が生まれたことは、マルケリアの小さな自信にも繋がった。

 残りの半年足らずを、丁寧に暮らそう。思いついたことは、何でも言って、やってみよう。レオニウスも辺境も、それをきっと許してくれる。

 マルケリアはそんな思いで、馬車の窓から秋の暮れていく空を眺めた。

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