秋2
狩猟会の当日は、よく晴れた天候に恵まれた日だった。
今日もコルセット付きの、外出用の淡い紫色のドレスを着て、念のために深く帽子を被る。このドレスといい普段の服といい、青系のものが極端に少ないなと思っていたら、ラヴィアが「レオニウス様の青灰の瞳に近い色は、誤解を生まないために最初から避けるように言われている」という。同様に、髪色の黒に近い服も出されたことがない。気遣いがすごいなと、感心してしまった。
会場は城塞都市の中にある森で、王都の狩猟会と違って、貴婦人たちが待機するための建物がなく、入り口に近い広場に天幕を張ってそこで待つ形らしい。マルケリアが馬車から降りると、そこには天幕を張った下にテーブルと椅子が並べられていた。近くには、簡易のかまども用意されていて、料理人たちが作業をしている。
天幕の外には、大勢の男性たちが馬の手綱を引いて集まっていた。何人かは女性も混じっている。
マルケリアは、ラヴィアについて天幕に入ると、すぐに係の者に隅のほうの席に案内された。他の席からは少し離れた場所に、丸いテーブルと椅子が数脚並んでいる。こちらに背を向けて座っているのはレオニウスだ。今日は乗馬服を着ている。
「おはようございます」
マルケリアが声をかけると、レオニウスが振り返って「おはようございます」と返事を返してきた。手元には温かいお茶が、ほのかな湯気を立てていた。机の上には、他に茹でて剥いた栗と、炙った胡桃の大きな実が木の器に盛られている。
すでに朝晩は肌寒い日が続いていて、もうすっかり秋なのだなとマルケリアは思った。森にも、黄色や赤色に紅葉した木がまばらに見えている。
「我々はそろそろ出発しますので、狩りの成功を祈っていてください。この席には、王都からの賓客をお連れしているので勝手に近付かないよう、他の者たちには言ってありますから、安心してお過ごしいただけるかと」
口に放り込んだ胡桃を噛み砕いてから、レオニウスが言う。他の席から少し離してあるのは、マルケリアが周囲に気を遣わずに済むように気配りしてくれたかららしい。辺境の貴婦人たちに紹介されないのも、下手に辺境伯夫人として紹介されてしまっては、マルケリアが王都へ戻れなくなると考えてのことだろう。よく見ると、他の席から見えにくいように、衝立のようなものも置かれていた。
「お気をつけて」
「美味しい獲物をよろしくお願いしますよ」
マルケリアとラヴィアが声をかけると、軽く手を挙げて応えて、人々が集まるところへ向かって去っていった。あっという間に人々に囲まれる姿を見て、本当に辺境伯として敬愛されているのだなと思う。
レオニウスの飲んでいたカップが下げられ、マルケリアとラヴィアの手元にも温かいお茶が届けられる。今日の日のために、朝食は辺境にしては軽く、目玉焼きとベーコン、きのこのスープに、バターの添えられたパンが一つだけだった。待っている間に軽く摘めるものとして、各テーブルには栗と胡桃が置かれている。
やがて、高らかに笛の音が響き渡り、狩猟が始まった。犬たちがまず一斉に森に放たれ、その後を馬に乗った人々が追う。ケイランを従えたレオニウスも、森に入って行った。鳴らされる笛の音が、徐々に遠ざかっていく。
待ち時間が割と長いと聞かされていて、勧められていたために本を持ってきている。最近読み始めた、昔から人気の長く続く冒険譚だ。劇にもなっている有名な作品だが、これまできちんと読んだことがなかった。あらすじだけは、社交のための教養の一環で覚えたために知っている。マルケリアには、そういう半端に知っている物語が多い。
「それに出てくる、竜の肉のステーキが美味しそうなんですよね」
ラヴィアが言うのにクスリと笑う。実際には飛竜と呼ばれる竜の亜種だって、普通の騎士団では倒すのがやっとだ。本物の竜などが出たら、食べるどころではないだろうが、物語の中ではその竜ですら主人公の敵ではない。雷と炎と氷の魔法を使い、剣を一振りするだけで魔物を倒す、そんな勇者じみた主人公に憧れる子供は多いのだと、ラヴィアは言う。
「レオニウス様も、めちゃくちゃ練習してましたもん。炎の魔法だけは、適性がなくて着火のための呪文しか習得できませんでしたけどね」
「氷と雷の魔法が自在に扱えるだけでも、すごいことだわ」
「確かに威力の高い氷の魔法があれだけ使えるのはレオニウス様くらいですが、騎士団の連中は基本的に何かしら攻撃魔法を持っていますからね。獲物に大きな傷をつけずに仕留められるので、雷魔法を好んで使う者が多いです」
「攻撃魔法の適性がある人間は貴重だわ。王都では、貴族の屋敷での生活魔法はかなり一般化されているけれど、攻撃魔法を使うのは近衛や軍でも全体の半数くらいよ。さすが、魔物との最前線である辺境ね」
パラパラと本を流し読みながら、ラヴィアと会話をする。マルケリアは昔からながら作業に慣れているため、本を読んでいる間も話しかけてもらって構わないと、ラヴィアに言ってあるのだった。むしろ、口を動かしながらのほうが、読書は進みやすいという発見があった。書類を見ながら討論することに慣れているからだろうか。
「マルケリア様は攻撃魔法は使えないんですか?」
「攻撃魔法の呪文は、騎士や兵士たちのものよ。王都では許可をもらわないと使えないし、そもそも知ることも許されていないわ。生活魔法は、学園でも基礎は習うし、ある程度周りに使う人間がいれば、勝手に覚えてしまうこともあるけれど」
本の中では、主人公が海で山のような魚の怪物と対峙している。
マルケリアは海を見たことがない。この国で海に面しているのは、王都の南の方の領土だけだ。一つだけ、大きな港がある。海を隔てた他国からの輸入品が届く、貴重な土地だ。海で作られる塩も、この土地の特産物だ。王太子妃教育で覚えた知識が、こんな時も頭をよぎる。
「王都はやっぱり魔法の運営が厳しいんですね。辺境では、口伝で簡単な魔法は子供にも伝わりますから、その扱いも雑なものですよ」
「子供の頃に、腕を凍らせて泣いたり?」
以前ラヴィアから聞いた、レオニウスの失敗を思い出してそう言うと、ラヴィアは声を立てて笑った。
少し席が離れてはいるが、他の席でも女性たちの和やかな会話が、そこかしこで花を咲かせている。うるさくない程度の声量で、夫や、子や、恋人の話や、秋の実りの話、冬の社交の話などが、漏れ聞こえてくる。
社交が冬なのも、北の辺境の特徴だろう。王都では、新年のパーティーを除いて、社交は春から秋にかけて行われる。しかし、北の辺境では春から秋まで、定期的に騎士団による森での魔物の間引きが行われるため、その間の社交は控えられるのだ。
今日は気を遣ってもらったけれど、冬の社交が本格的に始まったら、自分も表に出なくてはならなくなるかもしれない。場合によっては、この地の貴婦人たちとも、交流する必要が出てくるかもしれない。すべてはレオニウスの采配次第だが、覚悟だけはしておいたほうがいいだろう。
そうこうしているうちに、持ってきた本は二冊目に入り、お茶も三杯ほどおかわりをした。犬を呼ぶ笛が、途切れ途切れに聞こえ始める。馬の蹄の音がして、帰って来た者も出始めたようだった。太陽はすでに中空を過ぎている。いつもなら、とっくに昼食の時間だ。
「何人か帰って来たようですね」
ラヴィアが言う。かまどの近くにいた料理人たちが慌ただしく動き始めた。何か、獲物が届けられたのかもしれない。
天幕の外で、複数の蹄の音と馬の嘶きが聞こえた。どさり、と重たい何かが置かれる音。小さな歓声。人々の騒めき。
下馬した男性たちが、馬の首を撫でている。引かれていく先で、草むらに放たれているようだった。
「鹿だ、大きいぞ」
そう声が聞こえた。




