秋1
晩夏の頃に、マルケリアのちょっとした疑問から生まれた火吹き蜥蜴の端切れを使ったエプロン事業は、実際に新たな商売として動き始めた。それに伴い、新たな問題が起こり始めている。
「議会から、火吹き蜥蜴をもっとたくさん狩って、納品を増やすように要請が来た。あいつら、売れそうなものにすぐに群がるところが、野良犬より躾がなってなくて始末におえんな。森の生態系を崩すつもりか」
珍しく怒気を帯びたレオニウスの声がして、マルケリアは執務机のほうを見た。王都からの鼠がいなくなって、最近は直接執務室に書類を探しに来ても良くなったので、何か読ませてもらおうと思ってやってきたところだった。
「そんな深くまで考えていないのでしょう。彼らの関心は、今儲かるかどうかです」
「商会をやっていても、未来まで見据えて計画を立てる者もいないではないんだが、いかんせん王都の商人たちはがめつすぎるのが困り者だな」
そうして、カシアンとため息を吐く。
「もちろん、返事は否だ。そもそも、議会には辺境の自治に口出しをする権利がない」
「王家ですら、要請はしても王命は滅多にありませんからね」
その、滅多にない王命であるマルケリアとしては、少し居心地が悪い。王太子であるルキウスからの命令で、レオニウスはマルケリアを『白い結婚』相手として庇護している。
「何だか……申し訳ありません」
マルケリアは小さく詫びた。火吹き蜥蜴——イグニラケルタの皮は、端切れがエプロンとなって王都に入るまでは、辺境が独占する素材として王都では知られていなかった素材だ。マルケリアのもったいないという気持ちがなければ、知られぬまま議会から口出しをされることもなかっただろう。
「いや、新しい事業を辺境は歓迎しています。特に、女性たちの新たな内職先として、斡旋が始まったのが良い。これでまた少し、庶民の暮らしが豊かになるでしょう」
マルケリアの卑屈は、すぐに否定される。自分の一言が思ったよりも大きな事業になって、少し驚いているところだ。
これまで、ルキウスが拾い上げてくれた疑問や意見が元で政策が組まれることはあったが、どれもマルケリアにとっては間接的なものだった。けれども、辺境ではマルケリアの疑問がすぐに事業として立ち上がった。王都の政治と違って、辺境はトップであるレオニウスの鶴の一声で、すぐに事業や政策が開始されるのが大きいのだろう。
他にも何か思いつくものはないかと、屋敷に帰ってから色々な魔物素材の廃材を一覧で見せられたが、端切れエプロンほどのものは思いつかなかった。
「マルケリア様は、狩りに参加されたことは?」
なおも書類を裁きながら、レオニウスが尋ねてくる。マルケリアは小さく首を傾げた。
「王都にいた頃に、秋の狩猟会に参加することはありましたが、女性たちはその場で集まってお茶会をするだけでしたので、現場は見たことがありません」
「辺境でも、城塞都市の中にある森で狩猟会が開かれます。騎士団の連中も参加するので賑やかなものですが、よろしければマルケリア様も見学に来ませんか。獲物は時の運なので確約できませんが」
「そういうことでしたら、喜んで」
騎士団の人たちが集まるということは、ケイランも参加するのだろうな、そう思いながらもマルケリアは了承した。確かにマルケリアのことを警戒してはいるが、悪意はなく、直接何かを言ってくることはないという、ラヴィアの言葉を信じたのだ。
「もし獲物が獲れなくても、ちゃんとご馳走は用意しますから安心してくださいね」
ラヴィアが補足する。
「お前は狩る側だろうが」
レオニウスが言うと、ラヴィアは首を振った。
「今年は姫様のそばにいるので、参加はしません」
「そんな……良いのよ? 私、少しぐらい一人でも」
驚いてマルケリアが言うが、ラヴィアはまた首を振る。
「私が、姫様のそばにいたいんです。姫様が一人になりたいのでしたら、狩りに参加しますが」
「本当にいいの?」
「はい」
ラヴィアの献身に、胸が熱くなる。どうしてこんなに親切にしてくれるのだろう。辺境に、政治的な問題を持ち込んでいる自覚はある。レオニウスは自分で決めたことだと言っていたが、王太子の元婚約者のマルケリアを抱え込むのは、議会派と余計に摩擦を生むような選択だ。ケイランのように、歓迎しない人間がいるのも尤もなことなのだ。
「そうか。お前が参加しないとなると、弓の射り手が少し不足するが、仕方ない」
レオニウスが残念そうに言い、それでその話は終わった。狩猟会は、秋が深まる来月の頭だそうだ。木の実を腹いっぱい食べた獲物の脂が最も乗る季節。王都でも同じような時期に開かれていて、乗馬が趣味のルキウスが毎年張り切っていた。
王都にいる彼を想う。手紙では相変わらず、恋心のかけらもない内容しかお互いに書かないが、それでも想う気持ちはなくならない。出会ってからこんなに長く会わないことはなかった。けれども、こんなに距離を隔てていても、わずかな繋がりでも、決して恋心が消えることはなかった。まるで自分の一部のような顔をして、ルキウスの存在が頭の隅にある。
もしも本当の意味で辺境へ嫁入りをしていたのなら、殺して埋めなくてはならなかった想い。それを生かしたのは、ルキウスとレオニウスだ。マルケリアが再び王都へ返り咲くと信じた彼らだけが、この恋心を諦め悪く生かすことを許してくれている。
どうやって報いればいいのだろうか。そんなことを考える。問題を抱えたマルケリアを受け入れて、守ってくれているレオニウスに、この土地に、何か恩返しがしたい。
端切れのエプロンが辺境の役に立ったことを、嬉しく思う。自分の意見が形になるのはそれだけでも嬉しかったが、自分が辺境の役に立てたことも嬉しかった。してもらってばかりの自分が、何か返せたことが。
「そういえば、王太子殿下からの手紙で、以前関わっていた神殿の治癒魔法に関する調査結果が出て」
マルケリアは、レオニウスに持っている情報を開示しようとした。遠征ではポーション頼りだが、辺境の地にも神殿はある。日常の怪我を治すのは、やはり神殿の治癒魔法なのだから、その効率を上げる方法はきっと辺境の役に立つ。
「清浄な水で、あらかじめ傷口を洗うことで、治癒魔法の消費魔力を抑えて、高い効果が得られるというものなのですが」
「清浄な水というのは、どの程度ですか? 煮沸した井戸の水でも問題ない?」
レオニウスが興味を持ったように訊ねてくる。
「ええと、神殿では主に聖泉の水を煮沸したものを使ってもらっています。王都では、深い井戸から湧く水は聖泉として神殿が管理するので、大抵の神殿には深い井戸が併設されていて」
「うーん、そうすると辺境では、今すぐには難しいかもしれません。こちらの神殿には深い井戸がないので」
「そう、ですか」
レオニウスの答えに、マルケリアは少し肩を落とした。
「ただ、発想としては良いですね。私の氷魔法も、本来なら無から氷を生むものですが、近くに氷にするための水を置くことで消費魔力を抑えています。事前準備をすることで、魔法の効率が良くなるというのなら、そういうものを研究する価値は充分にある」
レオニウスが、慰めるようにそう言ってくれるが、マルケリアは先ほどまでの辺境の役に立ちたいという気持ちが、少し空回りしてしまったと反省した。王都と同じように考えてはいけないのだ、きっと。辺境には辺境のやり方がある。
もっと観察をしよう。観察を積み重ねた上で、思考を回すのだ。これまでだって、王都で長年やってきたことだ。ここでも、できるはず。
マルケリアはこれからの小さな目標を決意した。




