夏3
午後の時間に、マルケリアが書類を見ていて不思議に思っていたことについて、カシアンから講義めいた説明を受けること、数回。だいぶ、辺境の生活の成り立ちにも、詳しくなってきた。それでも、まだラヴィアから何気ない日常で、辺境の不思議を知ることもある。
その日は夏の最中で、王都よりは気温の低い辺境でも、朝から暑さを感じるような気温だった。用意された着替えの中に靴下がなくて戸惑うマルケリアに、ラヴィアはサンダルを差し出した。よく見ると、ラヴィアの足元も、飾り気こそないが似たようなサンダルだ。
「え、素足で履くの?」
マルケリアが驚いてラヴィアの足元を見ていると、ラヴィアはヘーゼルの瞳を眇めて、不思議そうに首を傾げる。
「こんな暑い日に靴下なんて履いたら、暑いじゃないですか」
王都では、妙齢の女が素足を晒すのは夫の前だけである。素足を隠す靴下は、貞淑の証でもあった。
「ごめんなさい。ちょっと……さすがに抵抗があるわ」
何度か考えた末にマルケリアがそう言うと、ラヴィアは「そうですか」と納得した様子で頷いた。いつもの靴下と、柔らかい皮の靴を出してもらって、マルケリアはホッとして足を通す。コルセットなしの服には慣れたが、どうしても譲れないものもある。それを受け入れてもらえて、マルケリアは安心した。
ここに来てから、辺境流を受け入れているつもりの自分だったが、王都の常識から完全に逸脱することはできないことを、マルケリアは自分でも意外に思った。
「着替え終わったら、朝食をお持ちしますね」
マルケリアが辺境流を受け入れられなくても、変わることのない態度がありがたかった。使用人と親しくすることが初めてで、まだ距離感に戸惑うことも多い。しかしラヴィアはマイペースだが、無神経なわけではない。むしろ、とても気の利く侍女だ。
初めての専属侍女が彼女で良かったと、マルケリアは思う。彼女をつけてくれた、レオニウスにも感謝しかない。
レタスときゅうりとトマトのサラダに、『猪もどき』の肉のソテーと、ズッキーニと玉ねぎのスープ、目玉焼きにベーコン、焼きたてのパン。
塩と油だけの味付けのサラダは、シャキシャキとした歯触りと、トマトの甘味が絶妙で、ズッキーニと玉ねぎのスープは、夏の暑さに程よい塩味だ。カリカリに焼いたベーコンは程よく脂が落ちていて、塩味が効いている。塩を振った目玉焼きは、今日も両面をしっかり焼いてあった。『猪もどき』のソテーにも、夏の野菜であるトマトのサッパリとしたソースがかかっている。噛み応えのある歯触りと、脂の乗った肉のジューシーさが口の中に広がる。ソースの残りをパンにつけて食べると、口の中の脂っ気がスッキリとした。
夏の食事は全体的に塩っ気が強い。汗をかくからその分塩を、ということらしい。
相変わらず盛りだくさんの辺境式の朝食を食べてから、ラヴィアに日傘をさされながら腹ごなしに中庭を散歩していると、とても健康的な生活を送っているなと感じる。王宮は広くて、歩く距離だけは長かったけれど、行き帰り以外に外を歩く機会はほとんどなかった。暑い夏などは特に、涼しい室内に閉じこもることが多くて、夏の陽射しを眩しく思う。
ルキウスは乗馬が好きで、夏でも冬でも、空いている時間があるとよく愛馬に乗って、王宮の裏にある草原を走らせていた。子供の頃に誘われたこともあったが、マルケリアは大きな馬の身体に萎縮して、近付くことができなかった。馬車に乗る時も、馬はあまり見ないようにしている。目が合って、何か起きたら怖いと感じてしまうのだ。
ルキウスが外に出ている時間は、マルケリアは王宮の図書室で過ごすか、王妃様からお茶に誘われたりしていた。王妃様は厳しいところもあったけれど、一切の関心を示さない継母と違って、マルケリアに淑女としての教育や手配などを惜しみなくしてくれていた。母親がすることになっている、デビュタント用のドレスへの祝福の模様の刺繍も、王妃がやってくれた。おかげで、マルケリアは惨めな思いをせずに済んだ。あのドレスは、どうなったのだろう。
父親の用意した年嵩の相手への縁談に割り込むようにして北の辺境へ嫁ぐように王命が下って、それを幸いと家から放り出されたマルケリアは、最低限の荷物だけを積んで辺境へやって来た。母親の形見の宝石類も、大半を王都の屋敷に置いてくることになった。あれらは、娘であるマルケリアに引き継がれるのが常識だが、今はいったいどうなっているのか。
「ラベンダーやクチナシはもう終わりですが、次はトケイソウやヒソップが咲きはじめましたね。ヒソップも肉や魚の臭み消しと、ハーブティーにも使えて、便利なハーブなんですよ」
のんびりとしたラヴィアの声に、ハッとする。考える時間がありすぎるのも問題だ。辺境暮らしに慣れてくるほどに、王都の記憶は懐かしく蘇るようになっている。王都にいた頃には思い出さなかったようなことや、思い至らなかったこと。そんなものにも、気持ちが向いてしまう。
距離は離れても、簡単に気持ちは離れないのだな、と、マルケリアは静かに思う。
「ハーブは王都でも料理には使われていたけど、お茶にして飲むというのはあまりなかったの。薬草を煎じて飲むことはあるけれど、それはあくまで治療用で、辺境みたいにお茶の代わりに飲むものではなくて」
「辺境だと、紅茶葉は領地の外から輸入するしかないので、どうしても贅沢品扱いになりますね。その点、ハーブはどこにでも植えられますから、庶民でも手に入りやすいですし、身体に良い効能もあるのでよく飲まれます」
「レオニウス様も?」
「あの方は、飲めるのならお茶でも水でも何でもいい感じですね。嗜好品としてなら、子供の頃から辛めのジンジャーエールがお好きですが」
「お酒はあまり召し上がらないの?」
「嗜むことはしますが、それほどお好きではないようで、酩酊するほどは飲まないようにされています。いつ、何があるかわからないので」
ずいぶんと自分に厳しい方のようだ。唯一の休暇に氷を量産していた姿に重なる。辺境伯であることを最優先に生きているのだ。享楽にふける王都の貴族や議会のお偉い様方とは、意見が合わないだろう。逆に、王家の権勢と貴族の立場が揺らぐ王都から引き上げて、領地に閉じこもって領地経営に精を出している領主たちとは、気が合うかもしれない。
少し息苦しいほどに自分を律しているレオニウスと、優雅さと軽妙さを表面に出していながらも、根は真面目で思い詰めるタイプのルキウスとは、気が合うだろうこともわかった。王家を敬いながらも辺境を一番に考えるレオニウスは、ルキウスの理想の領主なのだろう、きっと。
「もしかして、姫様はお酒を好まれますか? もし飲まれるのでしたら、夕食の際か、寝る前にでもお持ちしますが」
「私も、嗜む程度だわ。酔っ払うのは怖いもの」
「それでは今度、氷を浮かべて瓜やブラックベリーの果汁を混ぜた、白ワインをお持ちしますね。それならあまり酔うこともありませんし、夏の飲み物として、辺境でよく飲まれているんです」
ラヴィアが笑顔でそう提案してきたので、マルケリアも微笑んで頷いた。素足にサンダルは無理だが、そういう辺境流なら大歓迎だ。
「今朝、庭のカラントとラズベリーをたくさん摘んだそうなので、昼食はサマープディングです。しっかり固くなるまでかき混ぜた生クリームと、紅茶を用意しますね」
サマープディングは、すでに一度食べている。薄い食パンを敷き詰めた器の中に、煮詰めたたくさんのベリー類を詰め込んで冷やし固めたものだ。 ケーキのようなものだが、辺境では軽食に当たるらしく、軽い昼食として出されることもある。辺境での昼食は、それ以外だとほぼサンドウィッチだった。
「食べてばかりで太ってしまいそう」
マルケリアが言うと、ラヴィアは真面目な顔で答えた。
「姫様は少し痩せすぎなので、もっと食べて運動して、肉をつけたほうが良いと思いますよ」
健康的に日焼けして、肉付きも良いラヴィアから見ると、そうなのだろう。ただ、王都での貴婦人としてはマルケリアは平均的な体型である。ロザリアのように小柄でもなければ、特に大きくもない。そんなところも個性らしい個性がなく、地味なのだ。
「もう少し歩いたほうが良いのは確かかもしれないわね」
すでに昼食の話題が出たが、まだ胃の中にはたっぷり食べた朝食が残っている。辺境の重い朝食には最近ようやく慣れてきたが、運動不足気味の身体では消化も難しい。
マルケリアは、昼食を美味しくいただくために、中庭をもう一周することに決めた。




