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第3章:氷の令嬢と、逆転の財務表

 一週間後。九条屋の門前に、この寂れた温泉街には似つかわしくない黒塗りの高級セダンが止まった。


 車から降りてきたのは、鋭い知性を感じさせる眼鏡をかけ、隙のないスーツに身を包んだ少女だった。白金玲華。弱冠十七歳にして、外資系ファンド「レヴィアタン」の極東支部でシニアアナリストを務める天才だ。かつては国内最大手の証券会社を率いた白金家の令嬢だが、実家が外資に買収された際、彼女自身も「資産」の一部としてレヴィアタンに徴用されたという経歴を持つ。


 俺は、紬と共に玄関で彼女を迎え入れた。


「あなたが、九条湊さんね。鰐淵から、無謀な再建計画をぶち上げた少年がいると報告を受けて来ました」


 玲華の声は、磨き上げられた氷のように冷たかった。彼女の視線がロビーを走る。その瞬間、俺は彼女の瞳の奥に、俺の「経営眼」とは質の異なる、だが同等に鋭い「鑑定の光」を見た。


「査定時間は三十分。その後、この土地の接収手続きに入ります。情に訴える時間は、一秒もありませんわよ」


 俺は無言で彼女を、リニューアルしたばかりの特別室へと案内した。


経営眼ビズ・アイ


視界が深紅に染まる。脳を突き刺す痛みを堪えながら、俺は玲華のステータスを読み解いた。


「対象:白金玲華」

「思考:レヴィアタン社の理論に順応(偽装)」

「本音:日本経済の再興を望むが、実現性は0.001%と算出」

「特殊能力:完全合理計算パーフェクト・ロジック


 なるほど、彼女もまた絶望しているのだ。この国の数字に、そして自分の無力さに。

 俺は彼女の前に、一冊の分厚いファイルと、紬が淹れたばかりの静岡茶を置いた。


「三十分も必要ありません。この五分間の体験と、この一頁の数字で十分だ」


 玲華は鼻で笑いながら、差し出された茶を口にした。その瞬間、彼女の眉がわずかに動く。


「……温度、濃度、抽出時間。計算され尽くした完璧なバランス。ですが、ただの茶で評価が覆ると思っているのなら」


「茶じゃない。俺が売っているのは、その茶を『美味しい』と感じられる、精神的な安全保障だ」


 俺はファイルをめくり、彼女に見せた。そこには、一般的な会計ソフトでは決して生成されない「感情資産」の計算式が並んでいた。


「九条屋の真の資産は、土地でも建物でもない。租借地での過酷な競争に疲弊したエリート層が、自分をリセットするために支払う『再生費用』の独占権だ。玲華さん、あなたはレヴィアタンのやり方で、彼らの心を救えると本気で思っているのか?」


 玲華の手が止まる。俺はさらに畳み掛けた。


「GDP67位。それは表面的な数字だ。だが、この国にはまだ、他国が模倣できない『情緒のサプライチェーン』が生きている。俺はそれを統合し、多妻婚法を逆手にとって、一つの巨大な経済圏を作る。九条屋はその第一号店に過ぎない」


 玲華の瞳に、初めて動揺の色が浮かんだ。彼女の脳内で、俺が提示した異常な計算式と、彼女の「完全合理計算」が激突しているのがわかった。


「……バカげた理論ですわ。そんなもの、国家規模の資本の前では一瞬で飲み込まれる」


「なら、賭けないか? あなたがレヴィアタンを裏切り、俺の『家族パートナー』としてこの国の帳簿を書き換える方に」


 多妻婚法の本来の目的。それは才能の集約だ。俺には、紬の「癒やし」という現場力と、玲華の「計算」という戦略眼の両方が必要だった。


「湊くん! 大変!」


 そこへ、紬が血相を変えて飛び込んできた。


「外に、黒い服を着た人たちがたくさん来て……! 鰐淵さんが、今日から工事を始めるって!」


 窓の外を見ると、大型の重機を連れた作業員たちが、九条屋の門を強引に破壊しようとしていた。三ヶ月の猶予など、最初から守る気はなかったらしい。


「法も契約も関係ない。それが租借地における、彼らの正義ですわ。……さて、九条湊さん。あなたの言う『逆転』は、この暴力の前で何を見せてくれるのかしら?」


 玲華は試すような視線を俺に投げた。

 俺は静かに立ち上がり、脳内のリミッターを外した。視界の数字が、赤から黄金色へと爆発的に変化していく。


「ああ、いい機会だ。玲華、お前に見せてやる。数字が、時として銃弾よりも鋭い武器になることを」


 十六歳の九条湊は、絶望の淵で、世界を買い戻すための本当の「宣戦布告」を口にした。

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