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第18章:資本の断末魔と、深淵からの招待状

 地下指令室のモニターが、激しく明滅する。

 急落していた特区ポイントのチャートが、物理法則を無視したような垂直の跳ね上がりを見せていた。ヘキサゴン・キャピタルの空売りポジションが、世界中の名もなき個人投資家たちの「買い」によって焼き尽くされているのだ。


「ヘキサゴン、主要口座の証拠金維持率が限界を突破しましたわ!……強制決済ロスカットの連鎖が止まりません! 今、この瞬間にも、彼らが世界中から吸い上げた血のような資本が、私たちの特区へと逆流しています!」


 玲華の叫びは、戦場を支配した勝利の凱歌だった。彼女の指先はなおも鍵盤の上を舞い、逃げ惑う巨大資本の残党を執拗に追い詰め、その資産を特区の復興財源へと強制的に組み替えていく。


「湊くん、見て! 世界中の人たちが、紬ちゃんの炊き出しの動画を見て『自分もその場にいたい』って……! 寄付だけじゃなくて、特区への移住希望者まで爆増してるよ!」


 陽葵が、興奮で紅潮した顔を湊に向けた。彼女が紡いだ「物語」が、冷徹な数字の羅列に命を吹き込み、世界中の人々の心を動かしたのだ。


 湊は、椅子の背もたれに深く体を預けた。

 経営眼ビズ・アイを解除した後の世界は、ひどく静かで、どこか非現実的だった。脳を焼くような熱は引いたが、代わりに全身を激しい倦怠感が襲う。


「……湊、大丈夫ですの?」


 玲華が端末から手を離し、湊の傍らに膝をついた。彼女は自身のハンカチで、湊の額に滲んだ脂汗を丁寧に拭う。その手つきは、有能なアナリストのそれではなく、ただひたすらに夫を案じる献身的な妻のものだった。


「ああ、少し……出しすぎただけだ。……紬は、まだ外か?」


「ええ。村のみんなと、自衛隊の人たちにもお粥を配ってる。……湊くん、みんな泣いて喜んでるよ。自分たちが信じたものは、間違ってなかったって」


 陽葵が湊のもう片方の手を握り、その温もりを分かち合う。

 癒やしの紬、知性の玲華、希望の陽葵。

 この三人がいなければ、俺はとっくに数字の海に溺れ、化け物になっていただろう。


 だが、安堵の溜息をつく暇は、一通の漆黒のメールによって遮られた。


「……湊。ヘキサゴンのメインサーバーから、一通のダイレクトメッセージが。……送信者は『創始者ファウンダー』。ヘキサゴンの頂点に君臨し、世界の富の半分を掌握していると言われる、正体不明の存在ですわ」


 玲華の顔から血の気が引く。

 画面に表示されたのは、たった一行のテキストだった。


『九条湊。君は、ボードを壊しすぎた。……直接会って、この世界の「清算」について話そうではないか』


 場所は、公海上に浮かぶ超巨大な海上都市「アビス」。そこはどの国家の法も届かない、文字通りの治外法権であり、世界経済の真の心臓部だ。


「罠よ、湊くん! 行っちゃダメ!」


 陽葵が湊の腕を強く引く。玲華も、唇を噛んで首を振った。


「……ええ、罠ですわ。ですが、これを無視すれば、彼らは次は特区そのものを物理的に消し去りに来るでしょう。……彼らにとって、九条湊という存在は、もはや許容できない『システムエラー』なのですから」


 重苦しい沈黙が指令室を包む。

 そこへ、割烹着姿のままの紬が、息を切らして駆け込んできた。彼女は部屋の空気を察したのか、真っ直ぐに湊の元へ歩み寄り、その両頬を柔らかな手で挟み込んだ。


「……行くんだね、湊くん」


「……ああ。ここで終わらせないと、この国の夜明けは本物にならない」


「わかった。……だったら、私も行く。玲華ちゃんも、陽葵ちゃんも。……湊くんを、一人で地獄に行かせたりしないから」


 紬の瞳には、一切の迷いがなかった。

 湊は、自分を支える三人のパートナーたちの顔を順番に見つめた。

 国家を揺るがし、世界経済を敵に回した十六歳の少年。だがその実態は、愛する女性たちに支えられ、彼女たちのために世界を買い戻そうとする、ひたむきな守護者だった。


「……よし。準備をしろ。……九条家の『総戦力』で、世界の深淵を買い叩きに行くぞ」


 特区の空に、完全な朝日が昇る。

 黄金色の地平線の先にあるのは、絶望か、それとも本当の自由か。

 

 九条湊と三人の妻たちによる、世界の運命を賭けた最終決戦の幕が、静かに上がろうとしていた。

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