第四十三話: 北の町イグラで宿を選び損ねて結局最初のボロ宿だった件
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今回は北の町イグラを舞台に、桃太郎たちが新たな局面へ向かう話になります。寒さと不穏さが入り混じる中で、それぞれの選択が少しずつ物語を動かしていきます。
「行くのか」
スルニィは振り返らずに言う。
「ああ」
桃太郎も、あっさり返す。
白雪が少しだけ手を振る。
「元気でいるのだ」
「……そっちもな」
スルニィは、ツルハシを置いた。
しばらく見てから、土をならす。
手のひらで、ゆっくりと。
小さな穴を作り、タネを落とす。
土をかぶせる。
風が、静かに抜けた。
「……もう、掘らないのかい」
オババが言う。
スルニィは答えない。
ただ、土を見ている。
白雪が小さく言う。
「育つのだ?」
少しだけ間。
スルニィが頷く。
「さあな」
オババがくすりと笑う。
「……腐るほどあるだろ」
一拍。
「やりたい放題だねぇ」
桃太郎は、扉から視線を外し、青空を見上げた。
「……誰が、何のためにこんなもん封印したんだ」
白雪が、小さく頷く。
「……そうね」
少し遅れて。
オババが肩をすくめる。
「さぁね」
桃太郎が青空を見上げている横で、マギ・オババが肩をすくめた。
「そんなことより……魔法石もたんまり手に入れたんだろ」
一拍。
「北に進むよ」
白雪が目を瞬かせる。
「もう行くのだ?」
オババは前だけを見据えて歩き出す。
「ここで立ち止まってる暇はないさね」
桃太郎は、青空を見上げたまま、小さく息を吐いた。
「……隠居生活したい」
誰に向けたわけでもない。
ただ、空が少しだけ遠く見えた。
白雪がきょとんとする。
「隠居、なのだ?」
オババは笑わないまま歩き出す。
「できると思うかい、あんたが」
「あの山脈の洞窟を抜けると、白銀の世界が待ってるらしい」
桃太郎は空を見て、肩を回した。
「まず準備必要だな、これ」
一拍。
「……絶対ろくでもないやつだろ」
白雪が首をかしげる。
「ろくでもないのだ?」
オババは短く笑う。
「大体そういう場所は、当たりだねぇ」
「北へ行くなら、まずは『イグラ』だね」
オババが地図も持たずに、空の彼方、突き抜けるように青い冷気を纏った街道を指さした。
「氷壁の町だよ。北の山脈を越える準備をする連中が、最後の補給に立ち寄る場所さ。……あんたにはおあつらえ向きだ。魔力を通す防寒具から、凍てつきを追い出す熱の魔具まで、ろくでもない品揃えなら負けないからね」
歩みを進めるうちに、木々の隙間からその町がはっきりと見えてきた。
視界を遮るものは何もない。
荒涼とした岩肌に張り付くように、石造りの低く重厚な建物が、吹き付ける北風を遮るように身を寄せ合っている。町全体が、まるで巨大な防寒壁のような造りだった。
看板には『氷壁の町・イグラ』と刻まれている。
桃太郎は町の入り口に立った瞬間、その威容に眉をひそめた。
「……随分と物々しいな。ここは商業の町か、それとも要塞か」
「どっちでもいいだろ」
オババは歩を止めずに、町のメインストリートへと足を踏み入れる。
その町で、彼らは「風すら武器」である事実を思い知った。
まずは宿を探さねばならない。最初に目に留まったのは、町の入り口にへばりつくように建つ、薄汚れた木造の宿だった。
風を受けるたびに軋み、今にも崩れ落ちそうな外壁。
隙間風を防ぐための布は凍りつき、まるで鎧のように固まっている。
「……なしだな」
桃太郎は一瞥して即答した。
「隙間が多すぎる。あの壁の厚みじゃ、夜中に熱を奪われて凍死する。計算するまでもない」
彼らは一旦、宿探しを切り上げ、町の中心部で魔法石を売却した。桃太郎の理論武装による値引き交渉で見事に金貨をせしめ、その足で「これなら安心だ」と思える高級宿へ向かった。
しかし、結界が張り巡らされたその門の前で、番人に「紹介状がない」という理由で冷たく門前払いを食らう。
結局、彼らが最後にたどり着いたのは、最初に見たあの「ボロ宿」の凍りついた扉の前だった。
桃太郎が、軋む木の扉に手をかけようとしたとき。
白雪がその服の裾を、くいと小さく引いた。
「……やめておくのだ」
彼女は、雪の中にぽつんと立つ宿をじっと見つめ、きょとんとした瞳を少しだけ細めた。
「お化けが出そうなのだ……」
「……はあ?」
桃太郎は手を止めて振り返る。
「幽霊などという非科学的な存在を信じているのか。これは単に、建材が経年劣化と温度差で収縮して鳴っているだけだ。……計算上、この建物が倒壊する確率は、お前が考えているよりもずっと低い」
桃太郎は理屈を並べたが、白雪は動じない。彼女は宿を見上げ、少しだけ首を傾げた。
「桃太郎は……お前、怖いのかな?」
「……俺が? 誰が何のために、こんなところで怖がる必要があるんだ」
桃太郎が苛立たしげに鼻を鳴らすと、横からオババがけらけらと乾いた笑い声を上げた。
「あらあら。計算高い英雄様が、幽霊ごときにビビって強がってるのかい? それとも、自分の計算通りにいかないことが怖いのかな?」
「……どっちでもない。ただ、効率が悪いと言っているだけだ」
桃太郎は不服そうに唇を尖らせたが、改めてその宿を見つめ直した。
……確かに、風の音とは別に、不規則に扉を叩く音と混ざり合い、まるで誰かが内側から呼びかけているかのような不気味なリズムが聞こえる。雪に半分埋もれた窓枠は、人の目のようにこちらを覗き込んでいるようにも見えた。
「……確かに、嫌な感じはするな」
桃太郎は強がりを口から零しながら、宿の入り口付近に漂う冷気が、他の場所とは明らかに異なる淀み方をしていたことに気づく。
「……ここで凍死するのと、お化けに出るかもしれない場所で寝るのなら、どちらが確率的にマシか」
彼はぼやきながらも、扉から手を離した。
扉の先は、拍子抜けするほど“人の気配”があった。
薄暗いが、確かに灯りがある。薪の匂い、湿った毛布、そして古い木造特有の、どこか安心する生活の匂い。
カウンターの奥に、無精髭の男が一人。頬杖をついたまま、こちらを見上げた。
「……泊まるのか?」
それだけだった。
白雪が小さく瞬きをする。
「生きてるのだ……」
「生きてるな」
桃太郎は即答したが、どこか肩の力が抜けている。
オババが鼻で笑った。
「なんだい、幽霊宿じゃなかったのかい。つまんないねぇ」
男はそのやり取りを聞いても特に反応しない。ただ、カウンターの上に指を置いて軽く叩いた。
「一泊。飯付きか?」
「……普通の宿か」
桃太郎が小さく呟く。
だが、その“普通”が、この町ではやけに異質だった。
イグラの外はあれだけ凍てつき、風が刃みたいに吹いていたのに、この建物の中だけは妙に静かで、妙に“人間的”だったからだ。
白雪が一歩だけ近づく。
「ここ、あったかいのだ」
男はちらりと暖炉を指さした。
「火、絶やしてないだけだ。北じゃそれが一番高い」
その言い方も、やっぱり普通だ。
桃太郎はしばらく考えてから、ようやく頷いた。
「……合理的だな。ここにする」
オババが肩をすくめる。
「計算結果、ようやく人間側に寄ったかい」
桃太郎は無視して、部屋代を置く。
そのときだった。
男が、金貨を数える手を止めて言った。
「この宿は、夜になると少しうるさいが……気にするな」
白雪の耳がぴくりと動く。
「うるさいのだ?」
男は淡々と続ける。
「風だ。あと、壁が鳴る。それだけだ」
桃太郎は一瞬だけ男を見た。
「……それ、さっき外で聞いた音と同じか?」
男は答えない。
ただ、金貨を奥にしまいながら一言だけ。
「この町じゃ、どの建物も少しは喋る」
その言葉だけが、やけに引っかかる形で残った。
でも少なくとも――ここには“人間”がいる。
それが今の彼らにとっては、十分な事実だった。
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今回は北の町イグラでの一幕でした。寒さの中での宿選びや小さなやり取りも含めて、少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。
次回も引き続きよろしくお願いします。




