第四十一話(中編⓶):裏の現実を聞いた直後に襲撃された件
雪に閉ざされた世界を進む中で、カリンたちはついに「裏の現実」の核心へと足を踏み入れていきます。
これまで断片的に語られてきたこの世界の仕組みですが、今回でひとつの輪郭が見えてきます。
ただしそれは、決して優しいものではありません。
そして――理解する間もなく訪れるのが、この世界の“日常”です。
言葉で知るのと、実際に体験するのとでは、重みはまったく違う。
その落差も含めて、楽しんでいただければ幸いです。
雪は、村を離れるほどに深くなっていった。
一歩踏みしめるたびに、凍てついた雪の層が「ぎりり」と重い音を立て、膝下まで沈み込む。その冷たさは、まるで生者の温もりを拒絶する世界の意志のようだった。
「……静かだね」
セレナがぽつりと呟く。
その唇から漏れた白い吐息は、氷を含んだ風に一瞬で攫われ、混じり気のない銀世界へと溶けていった。
エドリックは視線を正面に固定したまま、短く、断ち切るように言う。
「静かすぎる、の間違いだ」
「え?」
カリンが顔を上げる。
その瞬間――。
遠く、視界の届かない森の暗がりの奥で、凍った枝が何かの重みに耐えかねて弾ける音がした。
――パキン。
乾いたその音が、張り詰めた空気を切り裂く。
一瞬だけ、全員の足が止まった。雪を踏む音すら消えた静寂の中で、カリンの背負い袋の中にいるモモは、全神経を研ぎ澄ませていた。
(……この音の響き、ただの着雪による折損じゃない。質量のある何かが動いている)
だが、エドリックは振り返りもしない。ただ、剣の柄に置かれた指先が、わずかに深く沈み込んだ。
「走るな。音を立てるな。ここから先は“魔物の領域”だ」
セレナが小さく息を呑む。
「……そんなに簡単に出るの?」
「簡単じゃない。だが“いるのが普通”だ」
エドリックの声は、雪の冷たさに馴染むほど淡々としていた。その言葉には、日常と死が隣り合わせである「裏」の現実が剥き出しになっていた。
カリンが眉をひそめる。
「ねぇ……前から思ってたんだけど、“裏のグリモワールド”って何なの?」
その問いに対し、エドリックは少しだけ間を置いた。一歩、また一歩と、死の領域へ踏み込む足取りを緩めない。
「表のグリモワールドは、“選ばれた側”の世界だ」
「選ばれた?」
セレナが言葉をなぞる。
エドリックはようやく、一度だけ横目で三人を見た。
「石盤がある。あれは世界の仕組みそのものだ」
雪の中から、黒く、歪な岩が墓標のように突き出ている。
エドリックはそれを避けるように進みながら、冷酷な世界の理を説く。
「魔法を扱える者は“適合”と判断される。表へ送られる」
「じゃあ……使えない人は?」
カリンの声が少しだけ低くなる。
エドリックは、迷いなく答えた。
「落とされる。ここへ」
風が急に勢いを増し、三人の外套を乱暴に揺らした。
「……落とすって、どういう意味よ」
セレナの声が、わずかに震える。
エドリックは歩みを止めない。
「役に立たないものを、管理しやすい場所にまとめただけだ」
その言葉は、雪よりも鋭く、そして冷たかった。
カリンが息を呑む。
「そんな……それじゃ、ここにいる人たちは……」
「ゴミ、だと思ってる連中もいるだろうな」
即答だった。
だが次の瞬間、エドリックの声がわずかに低く、重くなる。
「だが実際は違う。ここで生き延びてるのは、選ばれなかった側じゃない」
エドリックは前を見据えたまま、その背中で語り続ける。
「“捨てられても死ななかった側”だ」
一瞬、誰も何も言えなかった。
(……捨てられても死ななかった側、か)
背負い袋の中で、モモはその言葉を咀嚼する。前世で二浪し、社会のレールから外れかけた自分。そして今、魔法の使えない赤ん坊として「裏」にいる自分。
(神頼みなんて、この世界には届かない。生きていること自体が、こいつらにとっての勝利なんだ)
⸻
やがて一行は、森の縁に差し掛かる。
そこに立つ木々は、天を呪うようにねじれ、幹には黒く焼けたような痕が刻まれていた。
「ここから先は森だが……普通の森じゃない」
エドリックが初めて立ち止まる。
「魔物の縄張りだ。音も光も、油断すればすぐ寄ってくる」
セレナが無意識に杖を強く握り直す。
カリンが肺に溜まった冷たい空気を、小さく吐き出した。
「……やっと旅って感じがしてきたわね」
その言葉に、背後でリミバァが鼻を鳴らした。
「命が軽く感じるの間違いじゃないのかい?」
「それは言わないでください、おばあちゃん!」
一瞬だけ、凍りついていた空気がわずかに緩む。
だが、エドリックの声がそれをすぐ引き戻した。
「笑うのはいいが、今のうちだ」
彼は森の奥を見据えた。
「この先は、“戻れる場所”じゃない」
雪が、沈む。
エドリックの言葉が消えぬ間に、異変は起きた。
次の瞬間。
地面が割れるように激しく揺れた。
「くるよ!」
カリンが叫ぶ。
森の奥から、黒い濁流のような影が雪を蹴り上げ、飛び出してきた。
一体。
二体。
三体――。
止まらない。
「フォレストボアだ」
エドリックが低く言う。
「……群れね」
「数は?」
「28」
短い答え。瞬時に戦場を計算し、敵の数を弾き出す。
セレナが息を呑む。
「そんなの……」
「全部相手にする気はないよ」
リミバァが悠然と前に出る。
「まとめて焼く」
エドリックが一瞬だけ振り返る。
「配置は」
リミバァが、不敵に笑う。
「昔のあんたの仕事だろ」
「……囮か」
「そうだよ。全部引っ張ってきな」
次の瞬間、突進。
エドリックは真正面から踏み込む。
斬り伏せるのではない。ましてや、避けるだけでもない。
流れるような動きで獣の突進を受け流し、その軸をずらしていく。
“流れを変える”。
一体、二体。
進路が歪み、群れの向きが一点に向けて揃い始めていく。
「こっち来る!」
カリンが叫ぶ。
「来させてるんだよ!」
リミバァが杖を鋭く振る。
空間が、空気が目に見えるほどに押される。
見えない魔力の潮流が、群れを一方向へ寄せていく。
「カリン、無駄撃ちするんじゃないよ」
「分かってる!」
カリンが魔法石に魔力を流し込む。
《フレイム・ストライク》
狙うのは魔物じゃない。横にそびえる大樹だ。
数本まとめて撃ち抜く。凄まじい轟音とともに木が倒れ、雪煙を上げながら、魔物を追い込むための「壁」が出来上がる。
「向こう岸、開いた!」
追い詰められた群れが、唯一残された出口――リミバァの正面へと流れる。
エドリックが外側を走る。逃がさない。押し込む。
「セレナ」
リミバァの声が落ちる。
「撃ちな」
セレナが杖を握る。魔法石に凄まじい密度の魔力が流れ込み、石の表面にひびが走る。
「――大地を焦がす、灼熱の奔流よ」
熱が滲む。だが、セレナの制御を離れた力は定まらない。
「それ……当たるの!?」
カリンの声。
「当たらないよ」
リミバァが即答する。
「だからやるんだろ」
覚悟を決めたセレナの声が落ちる。
「――焼き尽くせ」
放たれる。破壊の奔流、爆裂が飛ぶ。
一直線じゃない。右へ逸れ、上へ跳ねる。
「外れる!」
「まだだよ」
リミバァが杖をひねる。
空間そのものがぐにゃりと歪んだ。空を飛ぶ爆裂が、その歪みに絡まり、軌道が強引に、かつ正確に曲げられる。
エドリックが最後の一頭を、その「渦」の中心へと蹴り込んだ。
「入ったぞ!」
一点に集まる。
リミバァの目が、猛禽のように細くなる。
「逃がすかい」
歪みが強まる。空間そのものが押し曲げられ、暴れる
爆裂が一点へ無理やり引きずり込まれる。
そして――。
《イグニッション・レイズ》
直撃。
一点に集められた群れを、空間ごと噛み砕くような爆炎が飲み込んだ。
刹那の静寂の後、視界を塗りつぶす純白の爆炎が咲く。
凄まじい衝撃波が吹き荒れ、積もった雪も、土も、そして魔物たちの影も。
すべてが一瞬のうちに、形を失って吹き飛んだ。
爆炎が、ゆっくりと収束していく。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
そして、いつも高評価・ブックマーク・感想、本当に励みになっています。ひとつひとつしっかり読ませていただいています。
今回は、「裏の世界とは何か」という説明と、その直後に実際の脅威に直面する構成にしてみました。
エドリックの語る“捨てられても死ななかった側”という言葉が、この先の物語のひとつの軸になっていきます。
また、戦闘としては初めてしっかりとした連携を描いた回でもあります。
それぞれの役割や強みが噛み合うことで、単純な力押しではない戦い方になっているのもポイントです。
この先はさらに危険度が増していきますが、その分、見えてくるものも増えていきます。
引き続き、見守っていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。




