第三十五話(後編):三トンの怪物に追われたので地形計算で沈めた件
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今回は桃太郎側の視点です。
黒い森の中での逃走と、桃太郎の「計算」が少しだけ見える回になっています。
短めですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
ギギギィィィン!!
巨大な影が崖を滑り落ちてきた。
岩が砕け、黒い土が火花のように跳ねる。
「今だ! 走れ!!」
マギの怒鳴り声が、停滞していた森の空気を切り裂いた。
桃太郎は奥歯が砕けるほど歯を食いしばり、左の岩場へ。白雪は一瞬の迷いもなく、教えられた右の窪みへと飛び込んだ。
影の頭部が、振り子のように不気味に動く。
どちらを追うか――その一瞬の「迷い」を、マギは見逃さなかった。
杖を軽く振る。
埋め込まれた魔法石が、砂時計の最後の一粒が落ちるような、儚くも鋭い光を放った。
「……ほんの少しだけ、運命に色をつけてやるよ」
小さな火花が、導火線のように森の地面を走った。
バチッ――!
乾いた音と共に、影の足元の枯れ枝が爆ぜる。
わずかな閃光、ほんの一瞬の目くらまし。
だが、極限状態の捕食者にとっては、それで標的を定めるには十分すぎる刺激だった。
影の視線が、明確な殺意を持って桃太郎に固定される。
「うおおおおお!? なんで俺なんだよ!!」
桃太郎の悲鳴が森に響き渡る。
その背後で、マギ・オババが三日月のような細い目で静かに笑った。
「さて……」
杖を肩に担ぎ直し、悠然と歩き出す。
「ここから先が、本当の『計算』ってやつだよ」
桃太郎は肺が焼け付く熱さを感じながら、黒い森を全力で駆けた。
背後では、巨大な質量が木々をなぎ倒し、地面を削り取る地響きが迫ってくる。
「なんで俺なんだよぉぉ!!」
叫びながらも、その瞳は絶望に濁ってはいなかった。
むしろ脳細胞は、かつてないほどのクロック数で「生存への解」を演算し始めていた。
(落ち着け……落ち着け俺……! 感情を捨てろ、数値を拾え!)
走りながら、流れる景色を走査する。
黒い木々の硬度、地面の摩擦係数、岩の配置、剥き出しの根の高さ。
(あいつは重い。着地ごとの振動の間隔からして、体重は……少なく見積もっても三トン超え。あの巨体なら、運動量保存の法則で急停止も急旋回も不可能なはずだ。なら――)
背後で、巨木がマッチ棒のようにへし折れる音がした。
「近っ!!」
桃太郎は咄嗟に体を捻り、二本の岩柱の隙間へ滑り込んだ。
直後、巨大な脚がその場所を無慈悲に踏み潰す。
衝撃波で土が舞い上がり、桃太郎の視界を覆った。
「……やっぱりだ。重すぎるんだよ、お前」
泥だらけの顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
再び走り出す桃太郎。今度は“逃げる”ためではない。
“誘導する”ための、緻密なトレース。
(あの斜面……その先の窪地……湿った泥……。さっきの滑落で、俺の身体が覚えている「感触」を信じろ)
脳内に地図が展開される。
(あそこは地形的に水が溜まりやすいボトルネックだ。つまり、見た目以上に地盤が脆い!)
桃太郎は喉を枯らして叫んだ。
「来いよデカブツ!! 計算通りに踊らせてやる!」
わざと大きな音を立て、脆そうな枝を蹴り、石を投げて挑発する。
巨大な影が、その「餌」の揺さぶりに食いついた。
ギギギギギ……!
重い身体が軋みながら方向を変え、桃太郎を追い詰めるべく加速する。
「よし、ハメてやる」
桃太郎は迷わず斜面へ身を投げ出した。
ゴロゴロと身体を打ち付けながら滑り落ち、泥の窪地へ転がり込む。
だが、今度は止まらない。
泥の抵抗を計算に入れ、慣性を利用してそのまま横へ転がり、強固な岩陰へと身を滑り込ませた。
一秒。
二秒。
三秒。
――ドォォォン!!
想定通りのタイミングで、巨大な影が斜面を制御不能なまま滑り落ちてきた。
三トンの質量。それは一度加速すれば、泥の上では凶器でしかない。
ズブッ。
黒い泥が地雷のように爆ぜ、巨大な脚が、その自重によって深く、深く沈み込む。
ギギッ……ギギギッ!?
影が狂ったように暴れる。
だが、抗えば抗うほど、粘り気のある黒い泥が「重力」という名の鎖となって絡みついていく。
「……計算、ピッタリだ」
桃太郎が、岩陰から肩で息をしながら顔を出した。
泥に足を取られた怪物は、自らの重さに裏切られ、滑稽なほど無力に悶えていた。
そこへ、パチンと指を鳴らすような乾いた音。
崖の上には、いつの間にかマギ・オババが立ち、その光景を見下ろしていた。
「ほぉ」
杖をつき、満足げに目を細める。
「やるじゃないか、努力オタク。ただの算数使いかと思ってたよ」
桃太郎は泥を吐き捨て、震える膝を叩きながら笑い返した。
「……誰のおかげで死ぬ思いをしたと思ってんだ。……請求書は、後でグリモワールドまで送ってやるよ」
その時。
反対側の森から、軽快な、それでいてどこか「真面目」な足音が近づいてきた。
「桃太郎ー!」
白雪だった。
普段の無機質な表情を少しだけ崩し、泥だらけになりながら走ってくる。
その胸元には、しっかりと抱えられた――革袋。
「水、確保したのだ!」
誇らしげに掲げられた袋の中で、貴重な水が揺れていた。
桃太郎はその光景を見て、全身の力が抜けるような、それでいて心地よい達成感に包まれた。
「……マジかよ。お前、本当にやりやがったな」
マギが鼻で笑い、崖から軽やかに飛び降りてくる。
「さて」
杖を肩に担ぎ直し、二人の先頭に立つ。
「水も手に入った。怪物も泥遊び中だ」
泥に沈む影を冷たく見下ろしたあと、彼女は迷いのない足取りで、さらに深く、暗い森の奥を指し示した。
「北へ行く準備だね。おじいちゃんの家まで、まだ『計算』しなきゃいけないことは山積みだよ」
白雪が静かに、だが力強く頷く。
三人は、黒い森の奥へと再び歩みを進めた。
カリンたちは今頃、どうしているだろうか。
「──その頃。」 カリン率いる自称勇者御一行様は、別の森を進んでいた。
高評価ブックマークいつもありがとうございます
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は桃太郎の「計算で生き残る力」をしっかり見せた回でした。逃げながら状況を分析し、地形まで利用して逆転する展開は作者としても書いていて楽しかったです。
マギは少しだけ運命に手を加える存在、白雪は任務を確実に果たす存在。この三人のバランスが少しずつ形になってきました。
そして最後にちらっと出てきたカリン一行。
物語はここから、少しずつ交差していきます。
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです!




