第三十五話(中編):水を取りに行ったら怪物に追われた件
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過酷な環境に放り出された桃太郎と白雪が、絶体絶命のピンチに追い込まれます。
「努力オタク」の桃太郎が、理屈では分かっていても納得できない「あの瞬間」が見どころです。
物語の緊張感が一気に高まる展開、ぜひお楽しみください!
煤煙の混じった、重苦しい風が吹き抜ける。
桃太郎は、肺の奥まで鉄の錆びたような臭いに満たされるのを感じて、激しく咳き込んだ。
「ごほっ、ごほっ……! なんだよ、この空気……」
泥だらけの服を払い、よろよろと立ち上がる。
桃太郎は、焦燥感に突き動かされるように指を動かした。
「アルカナ数理魔法、展開……! 数値化しろ、座標、生体反応、全部だ……!」
虚空にノイズの混じった数式が浮かび上がるが、次々とエラーを吐き出し、虚しく消えていった。どれほど計算を回しても、反応は一向に返ってこない。
「いくら探しても無駄だよ。石盤に選別されたのさ」
背後から、低く乾いた声が響いた。マギ・オババが、杖で地面を叩く。
「そんなことより、無駄に魔法を使うのはこれから先は御法度だよ。杖の魔法石は使い捨てだって、忘れたかい?」
桃太郎の動きが止まった。杖に埋め込まれた石を見つめる。
(……しまった。今の探索で、貴重な残量を無駄遣いしちまった。これ切れたら、魔法を垂らし込めなくなる……)
マギ・オババが、今度は白雪に視線を向けた。
「白雪。あんた、道はわかっているんだろうね?」
冷や汗を拭う桃太郎の横で、白雪が静かに北の空を見上げた。
「……北なのだ」
白雪は、確信を持って告げる。
「おじいちゃんの家は、北なのだ。……でも、今のままじゃ辿り着けないのだ。桃太郎、水の確保。食料。それに、この先の旅に必要なものを確保する必要があるのだ」
「え? いや、でもまずは合流とか……」
「死ぬのだ」
白雪が短く、断定した。
「水がないと三日。食料がないと三週間。火も、寝床も、予備の靴も必要なのだ。生きるために必要な計算。……おじいちゃんが、そう言ってたのだ」
「計算……。そうか、これも『計算』のうちか……」
桃太郎は、自分の「努力オタク」の血が反応するのを感じた。
「……よし、分かった。まずは資材調達だ。水と、燃料。この黒い木が燃えるかどうかの検証からだ」
黒い森の入り口で、桃太郎は立ち尽くしていた。
見渡す限り、植物というよりは「錆びた鉄」に近い質感の樹木が、不気味な沈黙を保って並んでいる。
「……計算が狂うな。湿度が低すぎる。この環境で、どうやって水を探せって言うんだ」
桃太郎は額の汗を拭ったが、その汗さえも、乾いた空気に一瞬で奪われていく感覚に襲われた。
「……苔を探すのだ」
白雪が、膝をついて地面を凝視した。
「おじいちゃんが言っていたのだ。水は恥ずかしがり屋なのだ。石の裏や、日陰の苔の中に隠れているのだ。それを辿れば、いつか喉を潤せるのだ」
白雪は、這いつくばるような姿勢で、黒い土のわずかな変色を指先でなぞり始めた。その姿は執念に近いほど真面目だった。
後ろから、マギ・オババが杖を突きながら悠然と歩いてくる。彼女は鼻を鳴らし、二人を急かすこともなく眺めていた。
数時間後。
桃太郎の足が悲鳴を上げ始めた頃、白雪が指差した先に、わずかな光の反射があった。切り立った岩の裂け目から、一滴、また一滴と、黒ずんだ岩肌を伝って水が溜まっている。
だが、桃太郎はその水場のすぐ脇を見て息を呑んだ。
そこには、この世のものとは思えない不気味な造形をした、巨大な「何か」が、沈黙して鎮座していた。
「……おい、最悪だ。白雪、あれはダメだ。俺の計算だと、あの距離で水を汲む間に、間違いなく三回は殺される。別の場所を探そう」
「ダメなのだ」
白雪は、真顔で革袋を握りしめた。
「おじいちゃんが言っていたのだ。『水を見つけたのに逃げ出す奴は、自分の命を捨てているのと同じなのだ』。……今の歩幅なら、あの置物みたいに動かない奴の死角を突いて近づけるのだ」
「置物って、あれ絶対生きてるだろ!? 待て、白雪!」
「いいからやらせておきな。この娘の『真面目』は、一度火がついたら消えないよ」
マギ・オババがニヤリと笑う。
白雪は「おじいちゃんの教え」を完璧に遂行しようとして、極限まで神経を研ぎ澄ませた。右足を出す角度、重心の移動速度、瞬きの回数まで、過剰なほどに「真面目」に制御し始める。
だが、その「真面目さ」が仇となった。
足元の角度を気にしすぎるあまり、頭上から垂れ下がっていた細い「枯れ枝」の存在を失念していたのだ。
パキィッ――。
「……あ」
白雪の頭が枝を折り、静まり返った森に乾いた音が響き渡った。
その瞬間、岩陰にいた巨大な影が、ギチギチと音を立ててこちらを向いた。
「……計算が合わなかったのだ」
「お前の真面目が裏目に出てんだよ! 逃げるぞ!!」
森の中で、水場を狙う二人の背後に、もう一つの視線があった。
杖を握ったまま、マギ・オババは黒い木々の影に紛れ、悠然と立っている。桃太郎も白雪も、彼女の存在を感じはするが、行動に制限を与えられることはない。
枝が折れ、白雪が小さく「あ……」と声を漏らした瞬間も、オババは微動だにせず、ただ鼻先で小さく笑うだけだった。
「フフ、そろそろ二人に森の洗礼を受けさせるころだね」
その視線は、冷たくも温かい。介入は必要なときだけ、最小限。
彼女の存在が、影の威圧と同じくらい、二人の心理に圧力をかける。
桃太郎が焦り、マギ・オババの「冷徹な監視」が、未熟な二人の生を裏で計算し、支えている。
桃太郎は白雪の手を掴むと、泥を蹴り上げ、黒い木々の間をがむしゃらに駆け抜けた。
背後では、あの「巨大な何か」が木々を押し倒しながら、ギチギチと地面を追ってきていた。
「はぁ、はぁ……っ! 白雪、お前、さっきの隠密の計算はどうなったんだよ!」
「おじいちゃんが言っていたのだ! 『敵より速く足を動かせば、捕まる確率は零になる』……。全力で足を回すのだ!」
「根性論じゃねーか! 理屈じゃ死なない計算をしろ!!」
桃太郎は、心臓が喉まで競り上がってくるのを感じながら、必死に周囲の地形を観察した。
(……この先の斜面、あの角度なら……。重いあいつは重心を崩すはずだ!)
「こっちだ、飛べ!!」
二人は斜面へ身を投げ出した。
ごつごつした岩や乾いた土に身体を打ち付けながら、一気に下へと滑り落ちる。最後は湿った泥の堆積した窪みに突っ込み、ようやく二人の身体は止まった。
頭上を見上げると、巨大な影が崖の縁で止まり、不満げな音を立てて闇の中へ消えていくのが見えた。
「……はぁ、はぁ……。逃げ、切った……か」
桃太郎は泥だらけの顔を上げ、肺が焼けるような呼吸を繰り返した。
隣では、白雪が衣服についた泥を「真面目な顔」で払い落としながら、静かに呟いた。
ふとした沈黙。
――その時だった。
「感傷に浸るのは後にしな」
頭上の岩の影から、しゃがれた声が降ってきた。
桃太郎が顔を上げると、二人が崖を滑り落ちる間に、マギ・オババも器用に岩肌を伝って降りてきていた。
「……オババ。見てたのかよ」
「見てたさ。あんたらの計算ごっこをね」
ニヤリ、とマギが笑う。その不吉な笑みに桃太郎が嫌な予感を覚えた、その瞬間。
――ギチ……ギギギ……。
崖の上から、鼓膜を逆撫でするような嫌な金属音が響いた。
桃太郎の背筋が凍る。
「……嘘だろ」
崖の縁から、さっきの巨大な影がゆっくりと身を乗り出していた。
どうやら、完全に諦めてはいなかったらしい。
節くれだった爪が岩肌を深く削り、逃げ場のない「窪み」にいる二人を、逃がさぬよう追い詰めようとしている。
「計算が外れたのだ……」
白雪がぽつりと呟いた。
だが、マギ・オババが杖で地面を叩く。
コツン。
その音は、小さいのに妙に響いた。
「重い奴は崖を降りるのが苦手だ。だが、降りられないわけじゃない。……追い詰められたネズミは、袋の叩きにされるのを待つだけかい?」
「じゃあどうすんだよ……!」
桃太郎が叫ぶ。マギの目が細くなり、一瞬だけ、森の空気が張り詰めた。
「二手に分かれな」
短い命令だった。
「桃太郎、左の岩場へ走れ。白雪、お前は右の窪みだ」
「分かれたら危ないだろ! 集中攻撃されたら終わりだ!」
「いいから走れ。あいつの巨体じゃ、急な方向転換はできない。どちらか一方が『餌』になれば、もう片方は確実に安全圏に逃げ込める。……誰が餌になるかは、あいつが選ぶことさ」
白雪が、納得したように頷いた。
「なるほどなのだ。二つの解を同時に提示して、敵の演算を飽和させるのだ。合理的なのだ」
「納得すんな! 確率的に俺の方が美味そうだろうが……俺が、囮なんて……!!」
桃太郎、本当に踏んだり蹴ったりですね……(笑)。
理不尽な命令を出すマギ・オババですが、彼女の「監視」こそが今の二人の唯一のセーフティネットでもあります。
さて、囮(?)にされた桃太郎の運命、そしてお気楽なカリンたちの前に現れる異変とは……?
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