第二十八話:慈愛と、十歳の境界線の件
今回のエピソードでは、白雪が「裏の世界」でどのような日常を送っていたのか、そしてなぜ彼女がこの「表の世界」へやってきたのか、その一端が語られます。
平和な託児所の風景の裏側に隠された、壮絶な過去と現在の交錯をお楽しみください。
白雪はテーブルに座り、カリンとリミバアの視線を感じながら、深呼吸した。
(よし、今日はちゃんと説明しなくちゃ…)
「えっとね、私の裏の生活は…まあ、毎日が戦いみたいなものなのだ」
桃太郎はすぐに耳をそばだて、内心でガタガタと震える。
(やばい…これ聞いたら隠居ルート崩壊じゃ…!)
「例えば、おじいちゃんと一緒に魔物を狩るのだ」
白雪の手が自然に膝の上で握った剣に触れる。
「罠を作ったり、武器を手入れしたり…ほとんど自給自足よ。食料も自分たちで確保するのだ」
カリンの目がキラキラと輝いた。
「え、白雪ちゃん、全部自分で作るの? すごい!」
リミバアも微笑んで頷く。
「やっぱり、あの子は戦う生活に慣れているのね…」
白雪は少し得意げに胸を張る。
「もちろん大変だけど、これが私の日常だったのだ。
おじいちゃんと毎日一緒に罠を仕掛けて、魔物の習性を読みながら捕まえるのだ」
桃太郎は内心で頭を抱える。
(……いや、これ完全に戦闘生活だ…俺、隠居希望なのに…!)
「ねえ白雪ちゃん…その、食事とか託児所とか、表の生活とは全然違うんだよね?」
白雪はにこりと笑う。
「そうなのだ。でも表の生活も慣れれば、これも悪くないのだよ。まあ、ちょっと私、家事はポンコツだけど…」
カリンが目を丸くして笑った。
「白雪ちゃん、かっこいいけど…かわいいところもあるのね!」
白雪は少し照れながら肩をすくめた。
「ええ、でもやる時はやるのだ。生きるか死ぬかの世界だからね!」
桃太郎は小声で耳打ちする。
「……これ聞いたら、俺の隠居生活、本当に大丈夫か…?」
白雪は後ろを振り返り、にっこり笑った。
「心配しなくていいのだ、桃太郎。あなたは戦わなくてもいいのだ!」
でも桃太郎の心臓は、今日もドキドキと跳ねた。
白雪の意識は、あの日々へと沈んでいく。
白雪は朝の光に照らされながら、庭先で小鳥を追いかけていた。
ひょいひょいと足を動かすものの、バランスを崩して転ぶこともしばしば。
「うわっ…!」
草むらに手をつくと、何か小さなものが足元で光った。
黄金色に輝く小さな実。思わず拾い、ぽんと口に入れる。
「ん…あれ? 甘いのだ…」
味は悪くない。
でも、白雪はそれが特別なものだとは全く知らない。ただの“おやつ代わり”くらいの感覚だ。
その瞬間、体の奥で微かに“弾ける”感覚が走る。
空気の流れが、風の匂いが、遠くの小枝の揺れが、すべてはっきり見える。
(……え? なんだこれ……?)
――五歳の冬
雪はまだ浅く、森の匂いは乾いていた。
「足音を消すんだ、白雪」
おじいちゃんの声は低く、短い。
白雪は小さく頷いた。
五歳の彼女の手には、まだ身体に不釣り合いな短剣。
重い。でも、毎日振っているから、もう“重い”とは思わない。
罠は三つ仕掛けてあった。
魔物は匂いに敏感だ。
だから風下に回り、足跡を潰し、枝を折らない。
それが日常だった。
⸻
ガサリ。
空気が変わった。
おじいちゃんが振り向くより早く、影が跳ねた。
四足。低い体勢。赤い目。――魔物。
「下がれ!」
言われた瞬間には、もう遅い。
魔物は白雪に向かっていた。
――怖い。
心臓が爆発しそうになる。
足が動かない。
その瞬間。
何かが、体の奥で“弾けた”。
音が消える。
世界が遅くなる。
風の流れが見える。魔物の筋肉の収縮がわかる。次に来る軌道が、はっきり読める。
(……避けられる)
体が、勝手に動いた。
踏み込み。刃を斜めに。
重心を落とす。
小さな剣が、正確に魔物の急所をなぞった。
血が散る。静寂。魔物は崩れた。
⸻
気づけば、息が荒い。
手が震えている。
おじいちゃんが駆け寄ってきた。
「……今のは、誰に教わった?」
白雪は首を振る。
覚えていない。
ただ、“知っていた”。
どうすれば生き延びるか。どう動けば斬れるか。
理由はわからない。でも体は理解していた。
それが――半覚醒の始まりだった。
⸻
それから。白雪は毎日、剣を振った。
罠を作り、魔物を読み、森を歩いた。おじいちゃんと二人。
ほぼ自給自足。
食べ物は自分で確保する。武器は自分で整える。生きるために、剣を振る。
覚えている記憶は少ない。
でも。魔物の呼吸。風の流れ。地面の振動。
それは、忘れない。
十歳の節目の日
森の奥。
白雪の剣が、魔物の爪を受け止める。
金属が軋む。細身の刃が震える。
(重い……!)
十歳目前の体には、まだ早い。魔物の牙が迫る。
あと半歩、遅れれば終わり。
その時。遠くの工房で、炉の火が揺れた。
おじいちゃんの手が止まる。
風が、逆流する。空気が裂ける気配。
「……来たか」
低く、呟く。森の奥へと視線を向ける。
白雪の気配が、不自然に歪んでいる。
あの子の中に眠っていた“何か”が、開く。
十歳。節目。越えるか、死ぬか。だがこれは――
越え方が違う。
森。魔物の爪が振り下ろされる。
その瞬間、白雪の足元が光る。地面がひび割れ、光が噴き出す。
魔物が怯む。空間が裂ける。
白雪の体が、沈むように落ちていく。
「……っ」
遠くから、気配を感じる。おじいちゃんは走らない。
止められないと知っているから。
あれは、自分が作った“道”の反応だ。
石盤。世界の裏と表を繋ぐために作った装置。いつか誰かが触れれば、開くはずだった扉。
それが、今。白雪と繋がった。
森の奥で、少女が消えかける。魔物の牙が空を切る。
おじいちゃんは、目を閉じる。そして、静かに言う。
「生きろ」
それは命令でも願いでもない。祈りでもない。ただの、選択。
この世界で死ぬか。知らぬ世界で生きるか。
消えゆく光の中、白雪の剣だけが一瞬きらめく。
そして。静寂。魔物は逃げる。森は、何もなかったように静まる。
おじいちゃんは空を見上げる。
「……越えたな」
十歳を。この世界を。生き延びた。
ただし――別の世界で。
後日――表グリモワールド 朝
白雪は、まだ少し眠い目で階段を降りる。
その手には、布に包まれた細長いもの。きゅ、と抱えている。
誰にも見られないように。
台所ではリミバァがパンの様な物を焼いてる。香ばしい匂い。平和な音。
白雪は、そっと包みをほどく。
裏で握っていた剣。十歳を越えるための剣。あの森で、消える直前まで握っていた。
刃は静かに光る。ここには魔物はいない。
けれど、手は自然と構えを作る。足が半歩引く。重心が落ちる。呼吸が整う。
体が覚えている。
その瞬間。
「白雪ちゃん」
優しい声。びくっと肩が跳ねる。
振り向くと、リミバァが立っている。怒っていない。驚いてもいない。
ただ、静かに見ている。剣と、白雪を。
「……それ、大事なものなんだね」
白雪はこくりと頷く。
「七歳を越えるための剣なのだ」
少し誇らしげに。少し寂しげに。
リミバァはゆっくり近づく。そして、白雪の手ごと、剣を包む。
温かい手。しわのある、やわらかい手。
「ここではね」
静かに言う。
「十歳は、ただの十歳だよ」
白雪は瞬きをする。意味が、すぐにはわからない。
リミバァはそっと剣を受け取る。抵抗はしない。白雪も、離す。
「ここでは、越えなくていい」
「……越えなくて、いい?」
「うん。強くならなくても、生きていける場所なんだ」
そのまま、戸棚を開ける。大切に布に包み直し、奥へ、そっと置く。
鍵はかけない。ただ、閉めるだけ。
「必要になったら、また出せばいい」
振り向く。笑う。
「今は、ごはんの時間だよ」
台所の匂いが戻ってくる。白雪はしばらく戸棚を見る。
胸の奥が、少しだけざわつく。でも。怖くない。手は、震えていない。
「……ここ、変なのだ」
「そうかい?」
「強くなくても、生きていいなんて」
リミバァは笑う。「それが“普通”なんだよ」
白雪は、椅子に座る。足がぶらぶらする。十歳目前の、ただの子供の足。
裏ではありえなかった光景。
リミバァはパンを置く。湯気が立つ。
「さあ、いただこう」
白雪は小さく呟く。
「……おじいちゃん、聞こえるのだ?」
返事はない。でも。あの時の声は覚えている。“生きろ”
生きるために戦う、だけじゃない。生きるために、休むこともある。
白雪はパンをかじる。「……おいしいのだ」
剣の代わりに、パン。森の代わりに、朝の光。
それを、リミバァは何も言わず守っている。
触れないことで。戦わせないことで。
それもまた――慈愛。
白雪が抱えてきた「強くなければ生きられない」という呪縛が、リミバァの優しさによって少しだけ解かれた回でした。
彼女にとっての「普通」が、これからどう変化していくのか、見守っていただければ幸いです。
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