第七章 魔法使いと呼ばれた男
十八世紀中頃フランスはリヨン、マティス・ラクロワは筆記具の店先で一冊のノートに目を止めた。表紙にミモザが描かれた赤茶色した革表紙のノート。どこかで目にしたような記憶がある。
(どこで見たんだろう?)
マティスは思い出そうとした。懐かしい感じはするのだが、どこで見たのかは思い出せない。
当然だ。目にしたことはない。祖父が話していた昔話に出てきたのだ。五年前、マティスが九歳の時に、祖父の家で聞いた昔話。
マティスは祖父の話が好きだった。祖父の家は馬車で数時間かかるので、年に数回しか訪れることができない。いつも家族で行くのだが、祖父はマティス一人だけにその話を聞かせた。
ラクロワ家にまつわる話なのだが、何故かマティス以外には話さなかった。そして、マティスに対しては、誰にも話してはいけないと伝えた。マティスにとってはそれが嬉しかった。ラクロワの家で自分だけが特別な存在。毎回少しずつ話を聞かせてくれるので、マティスは祖父の家に行くのが楽しみだった。馬車に乗っている時間は苦痛だったが。
「これ、買いたいから取っておいて。お金持ってくる」
ノートの値段を確認すると、マティスは店主に声をかけた。持ち合わせでは足りないが、貯めていた金があれば買えるかもしれない。家に帰って、持って戻ってくるつもりだ。
家に帰る道すがら、マティスは祖父のことを思い出していた。去年亡くなったので、もう二度と会うことはできない。馬車は間に合わず、祖父の家に着いた時には、すでに息を引き取っていた。
マティスが家に着くと、飼っている犬のダントンが足元にじゃれついてきた。いつもなら少し遊んでやるのだが、ノートが売れてしまうのが心配で、マティスは見向きもせずに部屋に向かう。貯金箱を手にすると急いで先ほどの店に戻り、カウンターの上に貯金箱の中身を取り出す。
「少し足りないねぇ」
店主がマティスに言う。マティスは足りないことを予想していた。予想していたからこそ、貯金箱ごと持ってきた。これで全部と示すために。
「足りない分は後払い……駄目だよね?」
無理だろうとは思ったが、マティスは店主に言ってみた。店主は表情を変えずに黙っている。
沈黙の中、マティスは金を貯金箱に戻そうとした。
「君はラクロワの子だろ?」
「うん」
突然の店主の言葉に、マティスは手を止めて店主を見た。
「君の父親には贔屓にしてもらっているよ。足りない分は、君の父親から少しずつ回収するよ」
店主は意味ありげな笑みを浮かべてマティスを見た。マティスの父親が買いに来た時に、本来の価格より高く売るという意味だ。もっとも、店主にそれを実行するつもりはない。
「いいの?」
マティスには店主の真意は伝わっていない。父親には悪いが不足分を払ってもらおうと思っていた。
「その代わり、君の父親が気づいたら本当のことを話すよ」
店主は真顔で言う。
「いいよ」
絶対にバレるだろうとマティスは思った。だが、父親は間違いなく払うだろうと確信もしていた。マティスのためではない。父親自身のプライドのためだ。
「君は良い父親を持ったね」
店主はそう言うとノートをマティスに手渡した。
「ありがとう」
「大切にするんだよ」




