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ロイネは急いで自室に戻った。パウリの死体はそのまま放置した。自身の痕跡だけでも消したかったが、長居は無用と判断した。
(何らかの痕跡は出てしまうかもしれない)
それでも、姿を見られるよりは良いだろう。少しでも早く現場を離れて対応を考えたい。
しかし、廊下で誰かの気配は感じていた。あの部屋の前ではないがそれほど離れてもいない。
(誰かに見られただろうか?)
だとしても部屋から出るところは見られていないはず。
(あの男の仲間なら厄介だな)
あの男とはもちろんパウリだ。パウリの仲間ならすぐにパウリを発見するかもしれない。そうなればロイネと関連づけるだろう。
仲間でなければ、そこからロイネには辿り着かないかもしれない。しかし、痕跡が発見されることは想定しておきたい。
(確かクリスタの研究室があの先にあったはず)
ロイネは以前の助手の研究室を思い出した。所長室を経由すればあの区画を通らずに辿り着ける。
すぐにその研究室に向かう。理由はその最中に考えれば良い。
問題は誰かに見られてしまうことだ。先ほど本当に誰かに見られたのであれば、短時間でまったく別の場所を歩いたことを知られる可能性がある。かといって、あの区画を今は通りたくない。もっとも、クリスタ・サラマの研究室からの帰りは、あの区画を通るつもりだった。髪の毛くらいなら、それで誤魔化せる可能性がある。疑惑を持たれるくらいなら構わない。
(あとは皮脂や汗、繊維片はどうだろうか)
いずれも痕跡を消すのは厄介だ。時間をかけなければならないので諦めるしかない。薄手だが手袋をしていたので、指紋については問題ないだろう。
クリスタの研究室の近くまでくると、歩いている姿が目に入った。クリスタもロイネに気づく。
「久しぶり。順調かしら?」
ロイネが先に声をかける。
「ええ。どうかしたの?」
クリスタはロイネより少し年上の女性だ。
「所長と話していたら、あなたの名前が出たからどうしているかと思って」
もちろん嘘だが確認されることはないだろう。
「所長が? ……中へどうぞ」
クリスタは研究室の扉を開けてロイネを促した。
「ロイネはピエタリ・ランタサマリのことを何か知ってる?」
クリスタは二人分の飲み物を用意してソファに座ると、開口一番にそう言った。所長が何を話していたかは気にならないようだ。それとも、それ以上に気になることなのか。
「情報局からの? 確か……この隣よね?」
「そうそう。隣なんだけどあまり姿を見かけなくて」
クリスタは隣の部屋の方を振り返る。もちろん、見えはしない。
「研究に没頭してるんじゃない? あなただって頻繁に部屋を出入りしているわけじゃないでしょう?」
「そうだけど、情報局の人はよく見かけるのよ」
あの男のことだとロイネは思った。頻繁に来ているということか。
「情報局にとって重要な研究なのかもね」
ロイネは興味なさそうに言った。
「それがね……隣には入らずにまっすぐ奥の方に行っちゃうの」
「奥の方?」
奥の方というとあの区画のあたりだ。パウリと遭遇していたロイネにとっては不思議なことではない。
「後をつけたりはしていないから、どこに行っているのかは知らないけど。それで、何日か前に所長に話したの。聞いてない?」
「私は何も。だからあなたの話題が出たのかな。最近話をしたかと聞かれたから」
ロイネは言ったが、もちろん嘘だ。
「そうだったんだ。何か調べてるのかな……」
後半は独り言のようになっていた。
国立研究所の各ラボの所長は、研究者などの職員を束ねているだけで、研究所の建物自体の権限を持っている訳ではない。政府から認められた者であれば、所長をはじめ研究所職員の許可を得ずに出入り可能になっている。出入りにはIDカードが必要なので、正当な理由があれば出入りを禁止することは可能だ。また、履歴を調べることも可能だった。もっとも、記録されるのは出入口と一部の部屋のみで、内部での行動を詳細に把握することはできない。
(所長はそれを調べていた?)
それで総統の件に気付いたのではないかとロイネは思った。
ロイネとしてはクレメッティが総統の監禁に関わっているとは思えない。しかし、可能性を排除できないのも確かだ。クリスタの進言から調べているうちに、知ってしまったという可能性もある。その場合、救出の方法を考えるのではないか。あるいは反対に距離を取るか。どんな人間が関わっているかわからない以上、無闇に首を突っ込まない方が良い。クレメッティにも命を賭してまで総統を救出する義理はないだろう。
しかし、総統を監禁するような連中だ。自身にも影響があるかもしれないので無関心でもいられないのではないか。
(それとなく所長に探りを入れてみよう)
ロイネは結果的に首を突っ込んでいる。クレメッティが何かを知っているのなら情報を共有したい。
「……どうかしたの?」
考え込んでいるロイネに、クリスタが遠慮がちに声をかけた。
「たぶん同じ人だと思うけど、情報局の人は何度か見かけたから、どこに行ったのかと思って」
ロイネは誤魔化した。行き先は知っている。ついさっき殺害したばかりだ。




