2-11
「やっぱり、警察には届けた方がいいんじゃないかしら?」
亜希子が祐輔に言う。
「それはそうだけど、あの子が帰りたがらないのは何かあると思う」
「何があるというの?」
「たとえば虐待とか。それなら帰りたくないのも納得できる。警察から逃げたのも連れ戻されるからだろう」
祐輔はヒルダの方を見た。ヒルダはこちらを見ていないが、その横で茉唯が真剣な顔を向けていた。よほど心配なのだろう。
「それでも返さないわけにはいかないわ。あとは家庭の問題よ」
「行方不明者届が出ていないらしいじゃないか。探してもいないのかもしれない」
「それでも警察に任せるべきよ」
亜希子は祐輔の態度が不満だった。そして、宗和にも不満をぶつける。
「本当にいいと思ってるんですか?」
「無理に返す必要はない。言葉もわからんようだからな」
「――」
今度は亜希子が絶句した。祐輔は驚きながらもヒルダに視線を移した。
「どうやって会話してるんですか?」
祐輔が宗和に訊く。
「茉唯がつきっきりで教えとるよ。あの子も真剣に覚えようとしとる。陶芸もな」
「陶芸も……」
祐輔はもう一度ヒルダを見た。本当にここにいたいということか。しかし、何故なのかはわからない。本当に虐待なのか。それとも家出なのか。そうだとしても、言葉がわからないとはどういうことか。
(日本語がわからない?)
祐輔はそう思ったがしっくりこない。外国人なら日本語がわからなくてもおかしくはない。旅行者はもちろん。日本在住でも話せないことはあるだろう。しかし、言葉が通じないだけであれば帰りたいとは思うはずだ。帰りたくないのか、それとも帰れないのか。
(帰れない?)
祐輔は帰れない理由を考えてみた。
たとえば家がなくなってしまったとしたら。家がなくなったとしても家族はいるだろう。それとも家族もいなくなったのか。それなら天涯孤独になったということだが、その境遇で落ち着いていることはないだろう。
あるいは家がわからなくなったとしたら。つまり迷子ということだ。この場合も落ち着いていられるわけがない。
(帰りたくても帰れないわけではないのか)
やはり帰りたくないのだろうかと思った時、祐輔はもう一つの可能性に気付いた。
記憶喪失だ。症状によっても異なるだろうが、考えられるのではないか。
「ねえ聞いてるの?」
亜希子は声を荒げていた。何度話しかけられても、祐輔は返事をせずに考え込んでいたのだ。いつの間にか宗和はいなくなっていた。
「ごめん。何?」
「あなたからも警察に届けた方がいいって説得してよ」
亜希子の言葉に祐輔はしばらく考えてから答えた。
「いや、おじいちゃんに任せよう。何か考えがあるはずだ」
そうは言ったが、祐輔も宗和が何を考えているかはわからない。しかし、祐輔と同じようなことは考えたはずだ。
「本当にそれでいいの?」
亜希子は強い口調で言う。
「おじいちゃんは何日かあの子を見ている。タイミングを見計らっているのかもしれない」
「タイミングって何のタイミングなのよ?」
亜希子に訊かれて祐輔は少し考えた。
「たとえば警察に連れて行っても大丈夫か見定めているとか。無理に連れて行ったらまた逃げ出すかもしれない。それなら目の届くところに置いておいたほうがいい」
「そうかもしれないけど……」
亜希子は納得できなかった。年の功とは言うが、宗和は少し浮世離れしているように見える。警察に届けない危険性を本当に考えているのか。
「うちに連れてはいかないでしょう?」
亜希子は改めて訊く。
「もちろんだよ。連れて行くのはさすがにまずい。ここにいる分には言い逃れできるかもしれないし」
「言い逃れ?」
「さっきも言ったように、すぐに警察に連れて行かなかった理由とか」
「そうね……」
不安はあったが、亜希子は渋々納得した。
「問題は茉唯をどう説得するかだな……」
「連れていけないのは茉唯もわかっていると思うわ。警察に連れて行くのは猛反対でしょうね」
亜希子はそういうと茉唯の元へ向かった。
近づいてくる亜希子を、茉唯は不安そうに見つめる。
「茉唯。やっぱり連れていけないわ。警察にも行かないわ。その子はここにいるの。それでいい?」
茉唯はすぐには返事しなかった。黙ってヒルダを見る。ヒルダは先ほどから二人の成り行きを見ていた。
「うん、わかったよ」
茉唯は言い終わると、口をきゅっと閉じた。




