エピローグ
族長の新しい部下オルウェンが族長宅を訪問した。道中にすれ違った大長老から、族長を何としてでも苦境から助け出せと命令に似た依願を受けたばかりだ。
ネデルの実弟でもある彼はネデル一家として身分を落とされるはずだったが、彼がマーシャの縄を解き、式場でも実兄たちに真っ先に一緒に反抗したのを目撃して知っていた牢の守り番や鍛冶屋の男が長老たちに直談判し、彼だけが刑を免れ、ネデルの後任としてその地位に引立てられたのだ。
彼は実兄や義弟の行為を自分の事のように恥じており、族長の下で働くことさえ申し訳ないと一度は断ったものの、長老たちに説得され、身内の横暴で愛する者を失った族長を何とかして支えようと献身的にカレブに仕えていた。
居室や支度部屋をのぞいて族長の姿を見かけなかったので、オルウェンは裏口を抜けて家の外に出た。視線の先に、大岩の上にぼんやりと座るカレブがいた。西風に髪を吹かれ、彼はしきりに左手を気にして、肘のあたりをなでていた。
『族長!』
カレブが戸口の方を振り向いたのでオルウェンは明るい笑顔を見せ、大股で近づいていった。
『オルウェン』
『ここで何をしていたんですか? たまには、東の岩棚にでも行きましょうよ』
彼の提案にカレブはただ寂しそうに笑い、彼から視線を外して南の空を見上げた。
『ねえ、族長?』
『放っておいてくれ』
人を寄せ付けない雰囲気を作り、カレブが彼に背を向けた。
オルウェンは、元気で豪快だった族長の変わり果てた姿にあらためて心を痛めるとともに、この族長にかけられた村の未来も心配だった。カレブはまだ若いがカリスマ性があり、族長としては彼の他に適任となる人物はない。現在の族長の様子ではその職から放免されてしまいかねず、そうなったら、村は治める者を失ってますます混迷を極めてしまうだろう。長老たちも連日集まって相談をし、族長と村の将来を案じているのだ。
『族長、私は族長のお体が心配です。このままでは病になってしまいますよ』
『俺のことなど気にかけるな』
『そんな。マーシャだって、今の族長を見たらきっと嘆かれますよ』
彼女の名が出されたことに彼は気分を害したらしく、むっとした目をしてオルウェンに振り返った。
『おまえに、あいつの何がわかる?』
『わかりますよ、自分の好きな人にはいつでも元気でいてもらいたいものでしょう? 彼女だってそうですよ! 自分の体も一族の事も気にかけず、自分を失った悲しみにだけ浸る事を、彼女が族長に望んでいると思います? そんな男を彼女は愛したとでも?』
『俺は・・・・・・マーシャが戻るなら族長の地位などいらん。奥方と離婚してその権利を捨てるのも全く惜しくない。大長老にもそうやって伝えたところだ』
カレブの表情にあった怒りが悲しみに取って代わるのを見て、オルウェンも胸がきりきりとした。
『そうですか。ええ、奥様とは離婚なさるべきです、その方がいい。でも、たとえ離婚されたとしても、私たちの族長はあなたに変わりはありませんよ』
カレブが訝しげにオルウェンを見ると、彼は陽気に笑って頷いた。
『おまえ、そんな事ができると思っているのか? 前族長の娘と離婚した後も俺が族長でいられると?』
『ああ、族長、常識にとらわれないあなたが、そんなふうにおっしゃるとは! あなたは女神に愛された方です、目には見えなくても、あなたの側には女神がいつもついておいでだ。私は、村を救出しようという族長の後押しをするために彼女が現れ、その役目を終えたから彼女は去って行ったのだと思っているのです。――前族長の娘が何です? 慣習は常に正しいのですか? 正しくないと明かしたのは、他でもない族長じゃないですか。女神が目をかけた方が私たちの族長でいれば、一族はいつまでも安泰ですよ!』
オルウェンはそう言って大きく笑ったが、カレブは眉をひそめ、しばらく部下の顔をだまって見つめていた。オルウェンは、族長から困惑した表情が無くなるのを忍耐強く待ち続けた。カレブはしばらく無言で俯いていた。
やがて、カレブが涙をにじませた目を閉じ、そして、何かを思い出したように目を開けた。
『――オルウェン、明日か明後日に雨が降るぞ!』
『は?』
『雨が降るんだ!』
『族長? まさか、雨を予言できて・・・・・・?』
『そうじゃない、これはマーシャが教えてくれた事だ! 予言なんかじゃない、雨が降るかどうかは誰にでもわかる! そうだ、この事は一族全員が共有すべき知識なんだ!』
オルウェンが戸惑っている横で、カレブがいきなり立ち上がった。
『オルウェン、大長老の所へ行くぞ! 第二のヨーダが出てこないよう、この知識を一族の者全てに広めなきゃならない。それに祈祷所の弟子たちを解散させ、誰か一人だけが力を持って不正を働く事がないよう、祈祷師の制度自体を廃止させたい。村には、心の平安を得るために祈る場所があるだけで充分だ!』
カレブがオルウェンの隣を通り過ぎ、ふと振り返って、彼を不思議そうに見つめた。
『オルウェン、行くぞ。おまえは、俺を手伝ってくれるんだろう?』
『え?』
オルウェンが我に返って息を呑むと、カレブがにやりと笑った。
『ついて来い!』
『はい!』
オルウェンが族長の隣に追いついて彼を見上げると、カレブが目の縁に笑い皺を作って大きく笑った。
それから数週間後、カレブは一族の歴史が始まってから初めての、継承権によらない族長として承認された。
その二週間前、カレブの妻は彼の子どもを無事出産したが、生まれた男児は出産から数日たってひどい高熱を出し、女たちによる必死の看病の甲斐なく、一週間というはかない命を閉じることになった。彼と離婚した前族長の娘は息子の死を含む一連の不幸から半狂乱となっていたが、少したって、カレブや自分の身分をすっかり忘れて村の年若い少年と恋に落ち、すぐに妊娠して再婚した。
オルウェンは族長の良い右腕として彼をうまく支え、彼からも大きな信頼を得た。
村は平安を取り戻し、近辺の部族の中でも祈祷師を持たない、めずらしい慣習を持つ部族として生まれ変わった。
それでもオルウェンは、族長が時々遠い目をして南の空を見てはそっとため息をつくのを知っている。
あの時以降、カレブの口からマーシャの話が聞かれることは一度もなかったが、彼が片時も彼女を忘れたことがないのもわかっている。族長はせっかく自由な独身に戻ったというのに、一族の女には見向きもしない。
突然に消えてしまったマーシャは族長の心に大きな傷痕を残したが、同時にそこまでの深い愛を彼にもたらして、彼は、幸福でもあるのだとオルウェンは思っている。
オルウェンも彼女が二度と帰ることはないと察してはいるものの、もう一度だけでも会って彼女とちゃんと言葉を交わしてみたいと漠然と思っていた。村人たちが噂し合うような神としての威厳よりも、親近感のある彼女の微笑む姿が思い出される。
彼が大長老宅にあったラズリをぼんやりと眺め、誰かの視線に気づいてふと目をあげると、そこに立っていたカレブがくるりと背中を向け、去っていった。
ラズリの濃青色を見て、おそらくは彼と同じように彼女の事を思っていたのだろう。
大長老宅の裏口にまわると、暗闇の中で壁を背に佇んでいるカレブがいた。オルウェンはその隣に音を立てて体を預け、彼の笑顔を引き出した。
『ああ、お腹が空きましたよ。今夜の食事は何でしょうねえ?』
カレブは彼がお腹をおさえる様子に笑ったが、少しして笑顔を消し、遠い目をして南の空を見上げた。
『オルウェン、俺は思うんだ。俺が正しい統治をしていれば、彼女がいつか俺の前にもう一度現れるんじゃないかと』
彼の想いを邪魔しないように、オルウェンは返答することなく、無言で彼に頷いた。
『俺はそれを信じて、俺自身が元気に幸福でいて、一族も元気に幸福でいられるように努めようと思う。それが彼女の望みでもあるだろう。ちがうか?』
『・・・・・・いいえ。その通りだと思いますよ』
オルウェンがにっこりと笑うのに安心したように、カレブがゆっくりと微笑んだ。
『なあ、おまえが女だったらと時々思う。そうしたら、俺はおまえと結婚したのに』
『本当ですか? それは光栄です。・・・・・・族長、結婚をお考えで?』
『はは。おまえが女に変わりでもしたら、考えるさ』
『族長!』
カレブは大笑いし、追いかけようとするオルウェンの手から軽々とすり抜けていった。
やっと完結しました
最後までお付き合いいただき、本当にどうもありがとうございました
これからも、もっと楽しめる作品を書いていきたいと思います
機会があったら、連載中の他作品も見ていただけると嬉しいです。
ありがとうございましたー!!