日常の風
『――近々、あたしのチャンネルで……「ノアちゃん奪還に向けた、学園最強選抜チームのダンジョン特別強化合宿」を生配信しちゃいますっ!!』
談話室の大型モニターの向こうで、水無瀬マリンが画面いっぱいに拳を突き出し、配信は唐突にブラックアウトした。
だが、切断された直後の画面の隅、凄まじい勢いで跳ね上がり続けていた数字を、リノのオタクの動体視力は見逃さなかった。
「ど、同接七十万……っ!? 告知枠の数分でこれって、本番はどうなっちゃうんすか……!?」
「マリンのやつ、本当にやりやがったな……」
モニターを見上げながら、クローディアが呆れたように、けれどどこか愉快そうに鼻を鳴らした。
「テロ事件の真相も、深淵の異変も、上層部は全部もみ消す気満々だったからな。だが、これで全世界の探索者とリスナーに『ノア奪還』と『深淵突入』の事実が知れ渡っちまった。上層部の狸どもも、世論を敵に回してまでアタシらの足を引っ張ることはできねえよな」
「毒を以て毒を制す、ですわね。……少々下品なやり方ですけれど、マリンさんの行動力だけは認めて差し上げますわ」
クラリスがふんと扇を揺らし、氷華は静かに腕を組んで頷いた。
そんな先輩たちの会話を、クロちゃんはパイプ椅子の上で耳を塞ぎながら、信じられないものを見る目で睨みつけていた。
「……アンタたち、正気!? 生配信って……アタシみたいな元テロリストまで電波に晒す気!?」
「大丈夫っすよクロちゃん! リノが可愛いフィルターかけて、ネット民の視線を釘付けにしてあげるっす!」
「そういう問題じゃないわよバカ眼鏡!!」
ギャーギャーと叫ぶクロちゃんに、夜々が「ふふ、明日からの合宿も楽しみですねぇ」とおっとり微笑みかける。
すべてが嵐のように決まり、嵐のように去っていった夕暮れだった。
◇
そして、翌日の昼休み。
学園都市の空は心地よい秋晴れに恵まれ、第一学食はいつものように腹を空かせた生徒たちの喧騒と熱気に包まれていた。
昨晩のマリンのゲリラ特番の影響か、あちこちのテーブルから「おい、ノアちゃん奪還合宿ってマジか!?」「またマリンちゃんのチャンネルで大暴れするのか!?」と興奮した声が飛び交っている。
そんな賑やかな空間のど真ん中で、周囲から完全に浮きまくっている一角があった。
「……ねえ。なんでアタシがこんな、人間どもが群がるドブみたいな場所に連れてこられなきゃいけないわけ?」
パイプ椅子に浅く腰掛け、鋭い紅い瞳で周囲をギロギロと睨みつけているのは、真新しい制服を着せられたクロちゃんだ。
首元には鈍色に光る『監視の首輪』。
その隣には「監視および身元引受人」の腕章を巻き、だるそうに缶コーヒーのプルタブを引く鳴神冴香の姿があった。
「文句を言うな、07番被検体。外の空気に慣れるのも『情操教育とリハビリ』の一環だ。それに――ほら、来たぞ」
冴香が顎でしゃくった先から、トレイを両手に抱えたリノと夜々が、人混みを縫って小走りで戻ってきた。
「お待たせっすー! 学食名物『特製天ぷらかけうどん・大盛り』、無事に確保してきたっすよ!」
「夜々は、お肉がはみ出てるメガ唐揚げ丼ですぅ……!」
ドン、とクロちゃんの目の前に置かれたのは、湯気をもうもうと立ち上らせる大きな丼。
澄んだ関西風の出汁に、揚げたての大きなかき揚げ、たっぷりのネギと揚げ玉。
「…………なによこれ」
「うどんっすよ、うどん! ノアちゃんが愛してやまない、学園の至宝・一杯二百円のソウルフードっす! ほら、七味をちょっと振って……冷めないうちにすするっす!」
リノが割り箸をパチンと割って差し出してくる。
クロちゃんは胡乱な目で丼を見下ろした。
(……あの銀髪のバカが、愛してやまない……?)
頭に浮かぶのは、自分を庇って光の鎖に呑まれていった、お人好しすぎる少女の顔。
あいつが普段どんなものを口にし、どんな顔で生きていたのか。
ほんの少しだけ胸の奥をかすめた好奇心に抗えず、クロちゃんは奪い取るように箸を掴んだ。
ず、ずずっ――。
「…………っ!」
口内に飛び込んできたのは、出汁の優しい塩気と深い旨味、そしてモチモチとした麺の弾力。
サクサクのかき揚げが出汁を吸ってじゅわっと崩れ、油の甘みが一気に広がる。
隔離寮で食べたカツサンドやプリンとも違う、身体の芯から温もりがじんわりと染み渡っていくような感覚。
「ど、どうっすか……?」
リノがメガネの奥の瞳を輝かせ、唾を呑み込んで覗き込んでくる。
「……別に。……普通のうどんじゃない。出汁も……ちょっと薄いし……」
クロちゃんはそっぽを向きながら、ズビビッと猛烈な勢いで二口目、三口目をすすり込んだ。
器を持ち上げ、出汁までゴクゴクと飲み干していく。
その耳たぶが、みるみるうちに赤く染まっていくのを、冴香は缶コーヒーを片手にニヤニヤと眺めていた。
「ふん、口では減らず口を叩いても、胃袋は嘘をつけないらしいな」
「うるさいわね! 栄養補給よ、え・い・よ・う・ほ・きゅ・う!」
クロちゃんが真っ赤な顔で丼を叩きつけた、その時だった。
「……騒がしいな」
低く、どこか気だるげな声がテーブルの端から落ちてきた。
黒い制服の胸元を少し着崩し、気まずそうにトレイを持った少年――ノワールが立っていた。
クロちゃんの身体が、ピクリと強張る。
黒き風として暴れていた時、直接刃を交え、憎悪をぶつけ合った相手だ。
互いに「世界樹の闇」を背負わされ、誰かに利用されて破壊の尖兵にされたという、あまりにも近すぎる同類。
二人の間に、張り詰めた沈黙が流れる。
リノと夜々が息を呑み、オロオロと視線を彷徨わせた。
「……アンタ」
クロちゃんが警戒するように紅い瞳を眇めた。
「アタシを殴りにでも来たわけ? 」
ノワールはクロちゃんの首元の首輪を一瞥し、それからふいと視線を逸らして、クロちゃんの真向かいの席にドカリと腰を下ろした。
トレイの上の牛丼を無造作に掻き込みながら、ぶっきらぼうに呟く。
「……殴ったところで、あいつが戻ってくるわけじゃねえだろ」
「は……?」
「お前が薬で頭やられてたのも、捨て駒にされたのも知ってる。……俺も、同じようなもんだったからな」
ノワールはスプーンを止め、少しけだるげな双眸を真っ直ぐにクロちゃんへと向けた。
その瞳の奥には、かつての荒んだ狂気はなく、ノアへの不器用な情と、静かな闘志だけが灯っている。
「あいつへの【借り】は……お前一人で返せると思うなよ。俺も、あいつには返しきれねえ恩がある。……邪魔だけはすんなよ」
「なっ……! 誰が邪魔よ! アンタこそ足引っ張ったら吹き飛ばすわよ!!」
バチバチと視線で火花を散らす二人。
けれど、その空気には先日のような殺気はなく、ただ不器用な子ども同士が縄張りを主張し合っているような、どこか青臭い小競り合いだった。
「ふふ……ふたりとも、仲良くなれそうですぅ」
夜々がほわほわと微笑むと、
「「どこをどう見たらそうなるんだ!!」」
まったく同じタイミングで怒鳴り返してきた。
「うひひ、息ぴったりっすね〜!」
リノがゲラゲラと笑い、冴香も呆れたように肩を竦める。
◇
放課後。
夕暮れの茜色が学園の並木道を長く染め抜いていた。
「で、なんで今度はギルドなわけ?」
クロちゃんは唇を尖らせながら、学内ギルド支部の自動ドアをくぐった。
隣にはリノと夜々、そして後ろから「保護者同伴」の腕章をつけた冴香が気だるげについてきている。
「ふっふっふ、探索者学園の基本は『日々の地道な依頼と小遣い稼ぎ』っすよ! 次回の配信合宿に向けて、浅層で軽く身体を動かして準備運動しておくっす!」
受付カウンターへ向かうと、奥から淡いピンク色の髪を揺らす受付嬢――兎月ゆかりが、ふわりと顔を上げた。
「あらぁ、リノちゃん、夜々ちゃん! それに冴香先生も……あら? そちらの可愛らしいお嬢さんは……?」
ゆかりが目をパチクリとさせてクロちゃんを見つめる。
「ギルドの特命預かりの新人っす! ゆかりさん、何か初心者向けの軽めの依頼あります?」
「ええ、もちろんあるわよ〜。第1層の薬草採取と水路の見回りなんかがちょうどいいかしら。……それと、はいこれ! 頑張るみんなに、購買部とギルドカフェがコラボした『限定アップルパイ』の差し入れよ〜!」
焼き立ての甘いリンゴとシナモンの香りが漂う包みが、ポンとクロちゃんの胸元へ手渡された。
「え……? ちょ、ちょっと、アタシは何もしてないんだけど……」
戸惑って受け取りを躊躇するクロちゃんに、ゆかりはとびきり優しい笑顔を向けた。
「いいのよぉ。美味しいものをしっかり食べて、大きくなりなさいねぇ」
「だ、誰が子どもよ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶクロちゃんの手には、しっかりと温かいアップルパイが握りしめられていた。
ギルドのテラス席。
三人で並んでパイをサクサクと齧りながら、茜色に染まる世界樹の巨木を見上げる。
「……ノアちゃん、今頃どうしてるっすかね」
ふと、リノがパイを口元に止めて呟いた。
その横顔には、昼間の底抜けな明るさの裏にある、親友を奪われた寂しさと焦燥が滲んでいる。
「……大丈夫ですぅ」
夜々が大きな手をリノの背中にそっと添えた。
「ノア先輩は……絶対に諦めない人ですから。夜々たちも、準備をしっかりして、笑顔で迎えに行かなきゃですぅ」
二人の横で、クロちゃんはパイを咀嚼しながら、じっと世界樹の頂を睨みつけていた。
(……待ってなさいよ、バカノア)
胸の奥の冷たい空洞を、温かい食べ物と、この騒がしい連中の体温が少しずつ埋めていく。
自分の過去も、首輪の重みも、もう言い訳にはしない。
日常を積み重ね、牙を研ぎ直すのだった。




