蒼炎の令嬢
翌日の昼休み。
2年Dクラスの教室の扉が、控えめながらも凛としたノックの音とともに開かれた。
「――失礼いたします。2年Dクラスのノアさんはいらっしゃいます?」
教室内の空気が一瞬で凍りついた。
入口に立っていたのは、白を基調とした洗練された特注ローブに身を包む美少女――クラリス・フォン・ローゼンバーグ。
欧州名門校舎からの特待留学生が、なぜか落ちこぼれが集まるDクラスの教室に単身で乗り込んできたのだ。
「ひぇっ……!? Sクラスのローゼンバーグ様……!?」
「なんでDクラスに……!?」
ざわめくクラスメイトたちを意に介さず、クラリスは机でパンをかじりかけていた僕の前まで優雅な足取りで歩み寄ってきた。
「ノアさん。少し私に付き合っていただけませんか?」
「え……あ、あの……?」
「お返事は『はい』だけで結構です」
微笑みながらも有無を言わせぬ圧。
隣でリノが「ノ、ノアちゃんが、Sクラスのセレブに連行されたっす……!」となぜか興奮している中、僕は半ば強引に腕を引かれ、教室を連れ出されてしまった。
◇
連れてこられたのは、学園の中庭の奥にある貴族専用のプライベートガゼボだった。
手入れの行き届いたバラの庭園を臨むテーブルには、高級な銀器と、焼きたてのスコーンや彩り豊かなタルトが美しく並べられている。
「どうぞ、お掛けになって。我が家の専属メイドが淹れた最高級のダージリンです」
控えていたメイドが一礼し、カップに琥珀色の紅茶を注ぐ。
令嬢らしい完璧なおもてなしに恐縮しながら、僕はタルトを一口いただいた。
「あ……すごく美味しいです」
「お口に合って何よりですわ」
クラリスは優雅にカップに口をつけ、ふっと目を細めた。
そして、前触れもなくその碧眼を研ぎ澄ませ、静かに切り込んできた。
「――単刀直入にお聞きします。ノアさん、あなたが『翠光の仮面』ですね?」
「……ぶっ!?」
紅茶を吹き出しそうになり、慌ててカップをソーサーに戻す。
「な、何を言ってるんですか……!? 僕はただのDクラス支援科ですよ……!あんな強いわけないじゃないですか!」
必死に手を振って否定する僕を、クラリスは一切動揺せずに見つめていた。
「誤魔化しても無駄です。昨夜の第25層の戦闘記録、私は数百回とコマ送りで分析いたしました。あの無駄のない重心移動、床との摩擦すら逃がす大気のコントロール……ギルドで見かけたあなたに似すぎています」
「偶然です! 僕はただ、足音がうるさくならないように歩いてるだけで……!」
「……なるほど。口では認めないというわけですね」
クラリスはスッと立ち上がり、腰の魔導杖を抜いた。
そのサファイアの瞳には、負けず嫌いな令嬢のプライドと、研究者じみたギラギラとした好奇心が爛々と燃え盛っていた。
「ならば、手合わせをお願いできますか? あなたのその身をもって、私の推論が正しいかを証明してください!」
「ええぇぇっ!? ここでですか!?」
◇
「いきます! ――『蒼炎の矢』!」
クラリスの杖先から、超高密度の青い火矢が立て続けに放たれる。
通常の学生なら一撃で戦闘不能になる高火力の弾幕。
「わっわわっ!?」
僕は魔法を一切使わず、ただ必死に身をかがめ、庭園の芝生を転がるようにして逃げ回った。
大気操作を使えば一瞬でかき消せるが、そんなことをすれば自白したも同然だ。
「くっ……なぜ反撃なさらないのです!? 本気をお出しなさい!」
クラリスは苛立ちを募らせ、次々と蒼炎の魔法を展開する。
庭園の気温がぐんぐんと跳ね上がり、熱風が吹き荒れる。
それでも僕は頑なに魔力を練らず、ただのステップと身のこなしだけでギリギリの回避を続けた。
「……これでも本気を出さないとおっしゃるのなら……!」
クラリスがさらに大掛かりな詠唱に入ろうと、杖を天に掲げた――その時だった。
『……ノア! 上だ!』
イグニスの警告と同時に、僕の肌を微細な風の乱れが撫でた。
先ほどクラリスが放った蒼炎の余波で、庭園の巨大な古木が根元から炭化し、メキメキと音を立てて裂けていた。
そして今、その重量数トンの巨木が、無防備に詠唱を続けるクラリスの頭上へと倒れ込もうとしていたのだ。
「危ない……っ!」
考えるよりも先に、身体が動いていた。
空気の抵抗を完全なゼロにし、背後から爆発的な突風で自らを押し出す。
音すら置き去りにする超神速の踏み込み。
「え……?」
クラリスが何かに気づくよりも早く、視界がかき消えた。
ドゴォォォォォンッ……!!
凄まじい地響きとともに、巨大な庭木が石畳を粉砕して倒壊する。
巻き上がった砂煙の中――
「……っ……」
クラリスは、自分が宙に浮いていることに気づいた。
背中に回された細く柔らかな腕。ふわりと鼻をかすめる、澄んだ森の風のような甘い香り。
自分よりずっと小柄なはずのノアに、いわゆる「お姫様抱っこ」の形で横抱きにされ、倒木の直撃範囲から十メートル以上も離れた安全圏へと一瞬で退避させられていた。
「……あ……え……?」
クラリスの整った顔が、一瞬で耳まで真っ赤に染まった。
あまりの至近距離にあるノアの翡翠の瞳、そして自分を軽々と抱き留めている温もりに、頭の処理が完全に追いつかない。
一方の僕は、やってしまったと青ざめていた。
(や、やばい……! 無意識に大気操作で加速しちゃった……!)
「あ、危なかったですね……! お怪我はありませんか、ローゼンバーグさん!」
僕は慌ててクラリスを地面にそっと下ろすと、深々と頭を下げた。
「ご、ごちそうさまでした! 美味しい紅茶とタルト、ありがとうございました! 昼休みが終わっちゃうので僕、失礼しますぅっ!!」
「あ、ちょ、ちょっとノアさん……!?」
クラリスの制止の声も聞かず、僕は転がるような勢いで中庭から脱兎のごとく逃げ出した。
◇
静まり返ったガゼボ。
倒れた巨木と、粉々になった石畳の前に、クラリスは一人取り残されていた。
赤く火照った頬を両手で押さえながら、クラリスはノアが走り去った方向をじっと見つめる。
「……な、何ですか、あの方は……!」
あの踏み込みの瞬間、間違いなく感じた。
常識を遥かに超越した、空間そのものを滑るような圧倒的な気流の操作。
そして、あの小柄な身体のどこに隠されているのか分からないほどの、絶対的な強者の余裕。
「……やはり、ただ者ではありません」
クラリスの碧眼に、先ほどまでの疑念を遥かに超えた、熱烈なまでの執着とライバル心が宿る。
「私の目を誤魔化せると思ったら大間違いですよ……! あなたの秘密、そして『翠光の仮面』の真実……この私が、必ず暴いてみせますからーー!!!」
ぎゅっと杖を握りしめ、金髪令嬢はムキになったように宣言するのだった。




