冷たい執念
放課後。
僕は重い足取りで、生徒会室の重厚な扉の前に立っていた。
昼休みのガゼボでの騒動――クラリスの暴走による古木の倒壊と石畳の粉砕。
当然ながら、学内の治安と設備を統括する生徒会に見逃されるはずもなく、僕宛てに直々の呼び出し状が届いたのだ。
(うぅ……またお説教かな……)
意を決してノックをし、扉を開ける。
「失礼します……」
広々とした生徒会室には、他の役員の姿はなく、中央の執務机に腰掛ける神薙氷華の姿だけがあった。
群青色の長い髪を流し、白銀の生徒会章付きケープを羽織ったその姿は、相変わらず非の打ち所がない威厳を放っている。
「入りなさい、ノアさん。……そこに掛けなさい」
「は、はい……」
促されるまま、僕は執務机の前の革張りソファに縮こまるように腰を下ろした。
氷華は手元の端末から視線を上げ、冷徹なサファイアの瞳を僕へ向ける。
「昼休みの中庭ガゼボにおける損壊事故。……ローゼンバーグさんから事情聴取を行いました。原因は彼女の魔力制御の甘さによる倒木。あなたに過失がないことは確認済みです」
「あ、はい……」
「ですが、ローゼンバーグさんにも厳重注意をしましたが、学園都市内で私的な戦闘訓練まがいの行動を起こすのは感心しませんね。周囲を巻き込む大事故に発展する可能性もありました。あなたも、巻き込まれそうになった時点で教員や生徒会へ通報すべきでした」
「ごめんなさい……反省してます……」
僕が小さく肩をすぼめて頭を下げると、氷華はふっと目を伏せ、ため息を零した。
「……反省しているなら結構です。怪我人が出なかったことだけは幸いでした」
淡々と職務を終えようとする氷華。
よし、これで解放される――そう思って立ち上がりかけた時だった。
氷華は組んだ両手を机の上に置き、氷のように整った表情のまま、まっすぐに僕を見つめてきた。
「――それはそれとして、一つ確認したいことがあります」
「え……?」
「ローゼンバーグさんが聴取の際、酷く取り乱した様子で『ノアさんこそが翠光の仮面です!』と何度も主張していたのですが……。ノアさん、あなたが翠光の仮面――様と、何かしらの関係があるというのは本当ですか?」
(『様』……?)
氷華の表情は、いつになく真剣そのもので、僕の反応を逃すまいと射抜くように視線が注がれていた。
「へっ!? め、滅相もないです! さっきも言いましたけど、僕はただの支援科のDクラスで……! あんな凄い人と関係あるわけないじゃないですか……っ!」
両手をブンブンと振って必死に否定する。
氷華は僕の顔をじっと観察し、数秒の沈黙の後、小さく眉根を寄せた。
(……確かに、この子の身のこなしには無駄がなく、底知れない魔力の片鱗を感じる。けれど……)
氷華の脳裏に、あの神々しくも圧倒的な翠光の仮面の威容がよぎる。
そして目の前で「僕なんてただの落ちこぼれですぅ」と小動物のように縮こまり、耳まで赤くして狼狽えている華奢な銀髪の少女を見比べる。
(……あり得ませんね。あのように気高き御方が、このような庇護欲をそそる小動物のような少女であるはずがありません。……いくらなんでも、ローゼンバーグさんの思い込みが過ぎるというもの)
氷華は内心でその疑念を綺麗に打ち消し、静かにコホンと咳払いをした。
「……そうですね。失礼な質問をしました。あなたの言う通り、あの方のような至高の存在と、あなたが同一であるなどという不敬な仮説は成立しません」
「は、はぁ……」
(なんかものすごくディスられた気もするけど、助かった……!)
「用件は以上です。戻ってよろしいですよ」
「ありがとうございました、失礼します……!」
僕はほっと胸を撫で下ろし、今度こそ生徒会室を後にした。
◇
深夜、午前一時。
生徒会役員専用寮の最上階、神薙氷華の自室。
間見を閉め切った薄暗い部屋の中で、端末のブルーライトだけが氷華の真剣な横顔を青白く照らし出していた。
画面に表示されているのは、一般にはアクセスできない裏ネット掲示板――『翠光教・信徒集会所』。
昼間の冷徹な生徒会長の面影はどこにもない。
氷華は目にも止まらぬ超高速タイピングで、長文の書き込みを投稿していた。
『>>842
昨夜の第25層における守護者様の真空断層、あれは単なる切断魔法ではありません。大気の密度勾配を瞬間的に反転させ、標的の分子間結合を直接崩壊させています。あの無駄のない所作、研ぎ澄まされた美学……やはり守護者様こそが世界の真理であり、至高の神です。
なお、一部の不届き者が学内で「守護者様の正体を見つけた」などと軽々しいデマを流布しているようですが、あのような神聖なる御方が俗世の学舎に身を潜めているはずがありません。異端の妄言に惑わされないよう、信徒各位は厳重に警戒してください』
エンターキーをッターン!と力強く押し込む氷華。
彼女は画面に映し出された、第25層の仮面のスクリーンショットを愛おしそうに指先でなぞった。
「……私の神様……ふふ……」
氷華の瞳に、クラリスのライバル心とはまったく異なる、熱烈で重たい信仰心と独占欲の炎がゆらりと揺らめく。
「学内の不穏な動きは私が全て排除いたします。……そして、いつか必ず、この手であなた様を見つけ出し、今度こそ直接この想いをお伝えしてみせますわ……」
深窓の氷の女王は、暗がりの中で静かに、狂おしいまでの決意を固めていた。
◇
同じ頃。一般学生寮のベッド。
「……ゾクッ!?」
突然、背筋に強烈な寒気が走り、僕はガバッと跳ね起きた。
『うわっ!? どうしたノアっち!』
フルグルが驚いて飛び回る。
『おいおい、急に悪寒か? 風邪でも引いたんじゃねえだろうな、精霊のくせによ』
イグニスが呆れたように腕を組む。
『看病なら私、得意よぉ!』
のんきに手をワキワキさせてるアクアリア。
「い、いや……なんか、すっごく重たくて冷たい、底なし沼みたいな視線を感じた気がして……」
『ここにはウチらしかいないよぉ?』
「……そ、そうだよね……。早く寝よ……」
全身の産毛が逆立つような不気味さに、僕は首をすくめながら毛布を顎まで引き上げた。
自分に向けられている巨大な感情の矢印にまだ気づかないまま、ノアは再び深い眠りへと落ちていくのだった。




