風の解放
「――というわけで! 今、学園都市の女子たちの間で空前の大ブームになってるのが、この個室サウナっす!」
お昼休みの学食。
リノがいつものように端末の画面を勢いよくテーブルの中央に差し出してきた。
「個室……サウナ?」
かけうどんを啜りながら首を傾げる僕に、リノはメガネをクイッと上げて熱弁を振るう。
「そうっす! 都市の南端、海沿いの崖上に新しくオープンした完全貸切のプライベートサウナ『シーブリーズ』! 魔導ヒーター完備の本格フィンランド式で、なんと外気浴スペースからは青い海が一望できる絶景スポットなんすよ!」
「ふぇぇ……海が見えるサウナですかぁ……! すっごく気持ちよさそうですぅ」
特盛カツ丼を抱えた夜々が、黒い瞳をキラキラと輝かせる。
「週末に三人で貸し切って、日頃のダンジョン実習の疲れをガッツリ癒やしにいくっすよ! どうっすか、ノアちゃん!」
「あ、いいね! 行ってみようか!」
リノの楽しげな提案に、僕はいつものノリで軽く頷いた。
――だが、承諾した数秒後。
僕の思考は完全にフリーズした。
(……あ。サウナって……服、脱ぐよね……? 僕、いま女の子だから……三人で一緒に入るってこと……!?)
元男子としての理性が手遅れの警報を鳴らしたが、すでに二人は「やったー!」「楽しみですぅ!」と大盛り上がり。今さら「やっぱり行きません」とは言えなくなってしまったのだった。
◇
週末、学園都市郊外の海沿い。
「……う、うわぁ……」
貸切のサウナルームの脱衣所で、僕はバスタオルを胸元でぎゅっと握りしめ、目を泳がせていた。
「ノア先輩、お背中流しましょうかぁ……?」
目の前には、180センチ超の長身にしなやかな手足、そして豊満すぎるプロポーションを誇る夜々。恥じらいながらもタオル一枚の姿は、もはや凶悪なまでの破壊力がある。
さらに隣では――
「ふぅ〜! やっぱり休日のサウナは最高っすねぇ〜!」
「い、意外とリノちゃんも……その……」
普段のだぼっとした制服やローブでは隠されていたが、リノもなかなかに健康的でムチムチとした魅力的な肉付きをしていた。
元男子の精神を持つ僕にとって、この空間はもはや灼熱の試練どころではない。
(み、見ちゃダメだ……! 意識するな、僕は今女の子、ただの同性のお友達……!)
熱されたサウナストーンにアロマ水をかけるロウリュの熱気と、視覚的な猛毒によって、僕の顔は入室三分で真っ赤に茹で上がっていた。
『くくく、ノアのやつ、魔物の前より心拍数が上がってやがるぜ!』
『まあまあ、女の子同士なんだから仲良く汗を流せばいいじゃない〜』
脳内でイグニスとアクアリアが呑気に囃し立てる。
しばらく汗を流した後、水風呂を経て、僕たちはウッドデッキの外気浴スペースへ。
心地よい海風が吹き抜け、目の前には青く輝く大海原が広がっていた。
「……はぁぁ……風が、すっごく気持ちいい……」
「これが『ととのう』ってやつっすねぇ〜……」
「はいぃ……溶けちゃいそうですぅ……」
リクライニングチェアに並んで寝そべり、ようやく平穏な癒やしが訪れた――その時だった。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!? だ、誰か助けてぇぇぇっ!!」
デッキの仕切り壁のすぐ向こう、崖下の遊歩道あたりから、女性の悲痛な悲鳴が響き渡った。
「な、なんの悲鳴っすか!?」
「ノア先輩、壁の向こうからですぅ……! 持ち上げますね!」
夜々が僕の腰をひょいと軽々と持ち上げてくれた。
仕切りの木柵の上から下を覗き込むと――遊歩道で、巨大な爪を持つ狼型の魔物【シャドウ・ウルフ】が、買い出し袋を落として腰を抜かしている一般女性に飛びかかろうとしている瞬間だった。
「なっ……ダンジョン外の野良モンスター……!?」
考えるよりも早く、身体が弾かれたように動いていた。
「ノアちゃん!?」
「せ、先輩ぃっ!?」
二人の制止を置き去りにし、僕はウッドデッキの手すりを蹴り飛ばした。
重力を風に乗せて一瞬で崖下へと滑り落ちると、女性と魔物の間に割って入る。
飛びかかってきたシャドウ・ウルフの眉間に向けて、僕は右手の掌を突き出した。
「――とまれぇ!」
鋭い不可視の衝撃波がウルフの額を直撃し、巨大な魔獣は一撃で地面に叩きつけられ、光の粒子となって霧散した。
「あ……え……?」
目の前でへたり込んでいた女性が、呆然と僕を見上げる。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
僕が手を差し伸べると、女性はなぜかポッと頬を真っ赤に染め、視線を泳がせながらコクコクと頷いた。
「は、はい……! あ、あの……あ、ありがとうございます……! でも、あの……その……」
「……?」
なぜそんなに照れているんだろう、と僕が首を傾げた、その時。
「ノアちゃぁぁぁぁぁんっっ!!」
「ノア先輩ぃぃぃっ! バスタオル! バスタオル巻いてくださいぃぃぃっ!!」
崖上の階段から、着替えを済ませたリノと夜々が、巨大なタオルを広げて猛ダッシュで駆け下りてきた。
「え……?」
視線を下ろす。
吹き抜ける海風。肌に当たる直射日光の感触。
……遮るものは、何一つなかった。
(……あ)
あまりの緊急事態に、サウナから文字通りすっぽんぽんのまま飛び出していたのだ。
「ひゃあああああああああっっ!?」
真っ赤になって悲鳴を上げ、夜々が広げてくれたバスタオルの中に飛び込む。
「ノアちゃん! いくらなんでも開放的すぎっす! 美少女のフルオープンは世界の真理が壊れるっすよ!!」
「先輩、早く隠れてくださぁぁぁいっ!!」
女性にお礼を言われながら、僕は二人に抱え込まれるようにして、這々の体でサウナの更衣室へと逃げ帰ったのだった。
◇
脱衣所で服を着直し、ようやく赤面が収まってきた頃。
僕の脳内に、テラの重々しい声が響いた。
『……ノア。さっきのシャドウ・ウルフ、本来なら第10層以深にしか生息しない種族』
『ああ。最近、ダンジョンから地上へ溢れ出る野良の魔物が増えてやがるな』
イグニスも珍しく真面目なトーンで腕を組む。
「……うん。この前の第25層のネームドもそうだけど、ダンジョン全体の生態系がなんだかおかしい気がする……」
恥ずかしさの余韻を残しながらも、僕は窓の外に広がる海を見つめ、小さく眉をひそめた。
上層に突如現れる強力な変異種、そして地上へのモンスターの流出。
学園都市の穏やかな日常の裏で、世界の歪みが少しずつ、確実に大きくなっている予感がしていた。




