翠光の気配
校門をくぐった瞬間から、学園内の空気は異様な熱気に包まれていた。
「おい、昨夜の第25層の切り抜き見たか!?」
「見た! 水晶甲虫が一撃粉砕だろ!? あれマジでどうなってんだよ……!」
「白銀の髪に白い仮面……やっぱり世界樹の守護天使様なんだ……!」
すれ違う生徒たちのほぼ全員が、魔導端末にかじりついて興奮気味に語り合っている。
トレンドのトップには、見覚えがありすぎる文字がデカデカと躍っていた。
【速報】翠光の仮面様、第25層に降臨! ネームドを一撃粉砕【同接300万】
(う、うわぁぁぁ……! 顔を上げられないよ……っ!)
僕は鞄をぎゅっと抱え込み、前髪で顔を隠すように俯きながら、小走りで2年Dクラスの教室へ駆け込んだ。
ガラガラッと引き戸を開けると――
「ノ、ノアちゃぁぁぁんっ!!」
待ち構えていたリノが、目を血走らせて突撃してきた。
「リ、リノちゃん、おはよう……?」
「おおおおはようどころじゃないっすよ! 見たっすか!? 昨夜の午前二時! リノの最推し・翠光様がまたしても世界樹に降臨されたんすよぉぉぉっ!!」
突き出された端末の画面には、水晶鍾乳洞に舞い降りる仮面姿の僕。
そして、大気を薙ぎ払って「散れ」と命じた瞬間のドアップが、最高画質で鮮明に再生されていた。
『あはは! ノアっち、スロー再生されてるよ! 顔真っ赤じゃん!』
脳内でフルグルが腹を抱えて笑い転げる。
「うひひ! この無駄のない気流の統制! 敵の弱点を見抜く神の如き眼力! 尊すぎてリノの魔力回路がショートしそうっす……! ノアちゃんもそう思うっすよね!?」
「え、うん……す、すごいね……あは……あはは……」
引きつった笑顔で頷くのが精一杯だった。
昨夜、毛布にくるまって「はずかしぃ……」と悶絶していた張本人だとは、口が裂けても言えない。
◇
お昼休み。
普段ならのんびりとした空気が流れる学食も、今日は全席が『翠光様』の考察会場と化していた。大型モニターには昨夜の切り抜き動画がリピート再生され、周囲のテーブルからも「あの広域切断は風属性の極致だ」「いや、空間干渉系の固有スキルだろ」と激論が聞こえてくる。
「……ふぇぇ、学食中がすごい熱気ですぅ……」
1年Cクラスからやってきた影守夜々が、180センチの巨躯を縮こまらせ、特盛から揚げ丼のトレイを抱えながら僕の前の席に座った。
「ノア先輩、リノ先輩、お待たせしましたぁ。……あの、お二人もやっぱり、昨日の配信見ましたか……?」
「見たも何も、今朝からリノはそれしか喋ってないっすよ!」
リノが熱弁を振るう横で、夜々はモニターの仮面の姿をじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
「あの……夜々、昨夜の動画を見てて、なんだか不思議な気持ちになったんですぅ」
「あの水晶の魔物が倒されたあと、ふわぁって広がった緑色の風……。夜々が大盾の魔力で苦しんでた時、ノア先輩が手を添えてくれた時の、あの温かくて優しい風と……なんだかすごく似てる気がして……」
「ぶふっ……!?」
啜りかけた天ぷらうどんの出汁が気管に入りそうになり、激しくむせる。
「ゲホッ、ゴホッ……!」
「わ、わっ!? ノア先輩、大丈夫ですかぁ!? お水、お水取ってきますぅ!」
「うひひ、ノアちゃん落ち着くっす!美少女のご尊顔で鼻からうどんはまず過ぎるっす!!」
「確かにきれいな銀髪も似てるっすけど、さすがに違い過ぎるっすよ!翠光様はバリバリの戦闘系前衛チート、うちのノアちゃんは癒やし系支援特化の天使っすから!」
「あ、うぅ……そうですよね……」
「そ、そうだよ、僕はあんな攻撃魔法なんかつかえないよ~……!」
(あ、危なかった……! 夜々ちゃんの野生の直感、鋭すぎるよ……!)
背中に冷や汗をびっしょりかきながら、僕は早々にうどんを啜り終えたのだった。
◇
放課後。
気を取り直した僕たちは、日課となっている学内ギルド支部の採取依頼をこなすため、第2層の浅層エリアへ向かった。
指定された薬草をテンポよく摘み取り、夜々の大盾の重心を軽く整えながら、トラブルもなく無事に依頼を完了。
夕暮れ時、採取した素材を納品するためにギルド支部のカウンターへと戻ってきた。
「あら、おかえりなさ〜い! 今日も早かったわねぇ」
淡いピンク色の髪を揺らし、受付嬢の兎月ゆかりさんがふわりと微笑みかけてくれる。
「ゆかりさん、採取完了しました!」
「はい、確かに受け取ったわ。ノアちゃんたちが採ってくれる素材は、傷が一つもなくて本当に綺麗ね〜。はい、これ今日の報酬と……あと、これ! ギルドのカフェで焼いた限定のアップルパイよ〜」
「わぁ……! ありがとうございます、ゆかりさん!」
「うひひ、ゆかりさんのスイーツ目当てで生きてるっす!」
三人でパイの包みを受け取り、和気あいあいとカウンターを離れようとした――その時だった。
ギルドの自動ドアが開き、周囲のざわめきがスッと静まり返った。
「……中層第18層の討伐任務、完了いたしましたわ。査定をお願いできますかしら」
凛と澄んだ、鈴を転がすような美声。
そこにいたのは、金髪を優雅なハーフアップにまとめた美少女――Sクラス序列3位の特待留学生、クラリス・フォン・ローゼンバーグだった。
白を基調とした特注ローブの裾をわずかに払う所作すら絵になる。
だが、その気品ある佇まいとは裏腹に、彼女の双眸は鋭く研ぎ澄まされていた。
中層から帰還したばかりの探索者たちを何気なく見渡していたクラリスの碧眼が、ふと、僕たちの足元でピタリと止まる。
(……ん?)
クラリスの眉が、わずかにピクリと動いた。
(……何かしら、あの方の周囲の『空気』は……?)
クラリスは昨夜から、あの第25層の戦闘配信を何百回とコマ送りで分析していた。
あの謎の白仮面――『翠光の仮面』が纏っていた、一切の乱れがない完璧な大気循環。
風の抵抗を完全に無効化し、重心移動すら大気に委ねる、神業のような足さばき。
今、目の前を歩いている支援科の小さな銀髪の少女。
浅層での採取帰りで魔力をほとんど消費していないはずの彼女の足元には、微細ながらも、昨夜の動画とまったく同じ『翠色の空気』の気配が漂っていた。
(……偶然?)
クラリスの瞳に、昨夜の配信を観た時と同じ、ギラリとした強烈な探究心とライバル心が宿る。
「ノアちゃん、早くパイ食べるっすよ〜!」
「うん、寮に戻ってからお茶淹れるね」
僕たちが楽しげにギルドの出口へ向かう背中に、クラリスの鋭く熱い視線がじっと注がれていた。




