覚悟の撃鉄
学園都市外縁――第一防衛ゲート。
巨大なコンクリートの防壁は半ばからへし折れ、無残に露出した鉄骨が黒煙を上げていた。
足元には、暴徒化薬の副作用で泡を吹いて倒れた信徒たち。その周囲を、獅堂率いるギルド部隊がマリンのドローン誘導を受けながら必死に拘束して回っている。
その混乱を眼下に見下ろす、崩落したゲートの梁の上。
紫煙をくゆらせる一人の男が、冷徹な視線を投げ下ろしていた。
白髪交じりのオールバックに、仕立てのいい防弾スーツ。
右肩から先には、分厚い魔導装甲と油圧シリンダーが組み込まれた漆黒の外骨格義肢――元Sランク探索者にして民間軍事会社代表、アーサー・クロムウェル。
「……随分と賑やかになったものだな、冴香」
金属質の低い声が響く。
アーサーは咥えていた煙草を指先で弾き飛ばし、ゆっくりと振り返った。
十数メートル離れた鉄骨の縁。
風を孕んで教官服を翻し、黒髪のポニーテールを揺らす鳴神冴香が、静かに愛刀の柄に手をかけて立っていた。
その双眸は、かつて前線で背中を追いかけた大先輩を見据え、氷のように研ぎ澄まされている。
「お久しぶりです、アーサー先輩。……いえ、今はクロムウェル代表とお呼びするべきでしょうか」
「呼び名などどうでもいい。……まさか、現場を退いてぬるま湯の教官に収まったお前が、ここまで上がってくるとはな」
アーサーが右腕の義肢を軽く回す。
キィィン、と耳障りな高周波モーターの駆動音が鳴り響き、銃身が三連装で展開された。
「単刀直入に問います。……かつて世界樹の開拓期、誰よりも現場の誇りを重んじ、私たち後輩の盾となってくれた貴方が、なぜこのような真似を? 暴徒をけしかけ、都市の防衛を全世界へ晒し者にし……多国籍企業連合の飼い犬に成り下がったのですか」
冴香の詰問に、アーサーは短く鼻を鳴らした。
乾いた嘲笑が、瓦礫の隙間を吹き抜ける風に混ざる。
「飼い犬、か。相変わらずお前は、教科書通りの綺麗な言葉しか使えないらしい」
アーサーの義肢が唸りを上げた。
「誇りで飯が食えるか? 現場の命を軽んじ、手柄を奪い、奥底で甘い汁を啜る上層部……御子柴の件で嫌というほど思い知ったはずだ。世界樹はすでに、一学園や一ギルドの手には負えん『巨大な利権の塊』なんだよ。力のない者が抱え込めば、いずれ破滅する。ならば、力と資本を持つ真の勝者が管理する……それが自然の摂理だ」
「それが、無関係な生徒や市民を危険に晒す大義名分になるとでも!?」
「守る力のない者が悪い」
吐き捨てると同時、アーサーの姿が掻き消えた。
重金属の質量が空気を破断し、冴香の眼前へ肉薄する。
魔導義肢から放たれた極太の鉄拳。
冴香は反射的に刀を抜き放ち、斜めの鎬で受け流そうと試みる。
ガギィィィィィィィンッッ!!
火花が炸裂し、凄まじい衝撃波が梁を両断した。
受け流しきれない。
ただの打撃ではない――義肢の内部に仕込まれた圧縮魔力カートリッジが炸裂し、二次爆発的な衝撃が冴香の腕を直撃していた。
「くっ……!?」
踏みとどまれず、冴香の身体が後方へ弾き飛ばされる。
空中で体勢を立て直し、瓦礫の屋上へ着地した瞬間には、アーサーの三連装銃口が火を噴いていた。
ドガガガガガガッ!!
放たれたのは、対物用の徹甲魔導弾。
一発一発が戦車の装甲すら貫く弾幕が、冴香の退路を完全に塞ぐ。
冴香は歯を食いしばり、愛刀に紫電を纏わせて神速の円運動を描いた。
「『雷影・円月』――ッ!」
パパパパパァンッ! と紫の火花が散り、弾丸を切り落としていく。
だが、その弾幕の重さは尋常ではなかった。刀身を通じて伝わる激しい振動が、冴香の手首の骨を容赦なく軋ませる。
(重い……! 以前の手合わせとは、魔力の出力桁がまるで違う……!)
「どうした、冴香! 守るばかりで攻めてこられんか!」
硝煙を突き破り、アーサーの左腕から閃光グレネードが投擲された。
視界が白一色に染まり、轟音が三半規管を激しく揺さぶる。
次の瞬間、死角から迫る義肢の鉄槌。
ドゴォォォンッ!!
「ぐあぁっ……!?」
咄嗟に腕を交差させてガードしたものの、吹き荒れる衝撃波に呑まれ、冴香は防護壁の瓦礫へと叩きつけられた。
肺から空気が吐き出され、口端から一筋の鮮血が零れ落ちる。
「……っ、げほっ……!」
足元がふらつく。
膝をつきそうになる身体を、刀を地面に突き立てて辛うじて支える。
その無様な姿を見下ろし、アーサーは煙草を咥え直すこともなく、冷淡な足音を響かせて歩み寄ってきた。
「お前は昔からそうだ。……真面目で、潔癖で、他人の痛みを背負い込みすぎる」
アーサーの言葉が、鋭利な刃となって冴香の胸を抉る。
「あの中枢で、生徒が血を流したそうだな。……ノアといったか。あの小さな銀髪の子供が瀕死になり、他の生徒たちも傷だらけになった。その時、お前は何をしていた?」
「……っ」
「ただ無様に床に這いつくばり、子供が傷つくのを眺めていただけだ。違うか」
冴香の呼吸が、喉の奥で詰まった。
脳裏に蘇るのは、あの日の悪夢。
黒き風の暴威の前で床を舐めていた惨めな自分。
ノアが血を流し、ノワールが悲鳴を上げ、教え子たちを守る盾にすらなれなかった、底知れぬ無力感。
「生徒を守るのが大人の役目だと? 笑わせるな」
アーサーの義肢が、カチリと冷たい撃鉄の音を響かせた。
その銃口が、膝をつく冴香の額へと真っ直ぐに向けられる。
「守るべきものに足を取られ、刃が鈍り、己すら救えない。……お前のその中途半端な『責任感』こそが、生徒たちを最も危険な場所へと追い込んでいる元凶だ。教官ヅラして綺麗事を並べるお前に、この過酷な現実を生き抜く資格はない」
冷徹な宣告。
頭上を覆う重苦しい雲が、冴香の視界を暗く閉ざしていく。
(……そうだ。私の刃は、鈍っていた……。あの子たちを守らなければと……一人で全部背負わなければと焦るあまり……)
刀を握る指先が、恐怖と自責に震える。
アーサーの指が、引き金にかかった。
その時だった。
『――なーに湿気たツラしてんのさ、冴香っち!』
冴香の魂の深奥から、パチリと弾けるような、眩い金色の火花が散った。
(……フルグル……?)
『言ったでしょ! 冴香っちがどんだけ重たいもん背負い込んでたって、アタシのスピードなら、そんなもん置き去りにしてぶっ飛べるんだって!』
第55層で交わした、あの生意気で、けれどどこまでも真っ直ぐな雷の精霊の声。
張り詰めていた冴香の胸の奥で、カチリと何かが外れる音がした。
――鳴神冴香の瞳に、再び鋭い光が宿る。




