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決壊する境界線

学園都市の空は、鉛色の重苦しい雲に覆われていた。


都市の全域を包み込み、外界からのあらゆる脅威を拒絶してきたはずの巨大な半球体――『世界樹防護結界』。

かつて淡いエメラルドグリーンに輝いていたその光膜は、今や見る影もなく濁り、蜘蛛の巣のような無数の亀裂が走っていた。


『――自立維持モード残余限界まで、残り二時間四十分』

『第十三区画防壁、魔力減衰率七十二パーセントを突破』


都市全域に配備されたスピーカーから、無機質な機械音声が冷酷なカウントダウンを告げ続けている。


三日前、結界中枢を急襲した『黒き風』によってコアが砕かれて以来、学園都市は死刑宣告を受けた囚人のように、ただゆっくりと崩壊の時を待つ状態に追い込まれていた。


住民の多くは地下シェルターへと避難を完了し、かつて賑わっていた中央大通りや商業区からは人影が消え失せている。

街を満たしているのは、逃げ場のない焦燥と、遠くで鳴り止まない魔導サイレンの残響だけだった。


「……ケッ。上層部の腐れ共は、この期に及んでまだ責任のなすりつけ合いをしてやがる」


外縁境界線――学園都市の最前線を防衛する第一隔壁ゲートの上。

探索者ギルド査察本部・特命執行部長の獅堂鉄也は、灰皿代わりの携帯ケースに火のついた煙草を押し付け、苦々しく吐き捨てた。


両腕には、歴戦の傷が刻まれた真紅の魔導ガントレット。周囲には、フル装備の警備部隊とプロ探索者たちがズラリと銃口を構えて並んでいる。


「獅堂部長、境界レーダーに感あり! 接近してくる魔力反応……ですが、これは……!?」

「あンだ? モンスターか?」

「いえ……人の波です! それも、数百……いえ、千を超えています!」


オペレーターの悲鳴のような報告とほぼ同時に、地平の彼方――境界線の向こう側の霧を切り裂いて、異様な群集が姿を現した。


深い緑色のフード付きローブ。

虚ろに濁りきった赤黒い瞳。


口々にお経のような呪詛を呟き、手にした刃物や簡易魔導具を振り回しながら、統率の取れない狂乱の足取りでフェンスへ向かって雪崩れ込んでくる。


「……翠光教の信徒どもか」


獅堂の隣に控えるベテラン探索者が、忌々しげに顔を歪めた。

御子柴の一件以来、急速に勢力を拡大していたカルトの残党。だが、その様子は以前と明らかに違っていた。


首筋には紫黒色の血管がボコボコと浮き上がり、口元からは泡を垂らしている。

過剰な狂暴化薬の投与によって理性を完全に焼き切られ、肉体の限界を超えて突進してくる「暴徒の壁」――。


「まずいですよ部長! あいつら、完全に自我を失ってます! このまま突っ込まれたら――」

「発砲は待てッ! 中にゃ薬で操られた一般生徒や市民も混ざってやがる! 非殺傷のスタン弾で――」


獅堂が怒号を上げた、その刹那だった。


ドォォォォォォォォンッッ!!!


防壁の足元――第一ゲートの基礎部分が、凄まじい地響きとともに爆発炎上した。

吹き飛ぶコンクリートの破片。


暴徒たちの足元から、地下水路を這い回るようにして突き刺さったのは、かつて記念塔でも使われた、禍々しい紫黒の『呪杭』だった。


パキィィィィン――ッ!


ガラスが割れるような甲高い音が響き、自立維持モードで耐えていた外縁結界の一部が、物理と魔導の両面から無理やりこじ開けられた。


「ぎゃははははっ! 脆い、脆いぜ学園都市ィ! 世界樹を抱え込んでふんぞり返ってた大層な牙城が、こんな杭数本で穴だらけじゃねえか!」


黒煙を突き破り、轟音とともに飛び出してきたのは、身の丈二メートル半を超える鉄塊のような巨漢だった。

全身の骨格にダンジョン鉱石を埋め込み、右腕には巨大な対物杭打機を装着した狂戦士――ヴォルフ・バロウズ。


「……騒々しいですね。前哨の捨て駒としては上出来の働きですけれど」


続いて、瓦礫の上にしなやかに着地したのは、ゴシック調の妖艶な真紅のドレスを纏った美女。

扇子型の魔導具から紫の毒煙をくゆらせる、ヴィヴィアン・ラ・セール。


「各員、定位置へ散開。……無様な防衛体制ですね。かつての看板も錆びついたものだ」


白髪交じりのオールバックにスーツ姿、魔導義肢の右腕を鳴らして冷徹に銃口を向ける、元Sランク探索者のアーサー・クロムウェル。


そして最後の一人。

黒い学生服風のロングコートを翻し、細身のレイピアの切っ先を構えた端正な青年――九重(ここのえ)蓮夜(れんや)が、中枢の空へ向けて数十基の通信中継ドローンを一斉に射出した。


「――全世界へ映像をリンク。各地の裏チャンネル、報道ネットワークへ強制割り込み完了」


九重が嘲笑とともに呟く。

彼らの胸元や装備には、特定の国家や企業を示すエンブレムなど一切ない。あるのは、狂暴化した信徒たちと同じ、歪んだ翠光教の紋章と、無法のテロリストを示す識別コードだけ。


「世界中の連中がリアルタイムで観賞している。……天下の学園都市様が、たった数名のテロリストと暴徒の群れに手も足も出ず、無様に蹂躙される姿をな」


九重の声が、ドローンを通じて世界中の中継ネットへと配信されていく。


『おい見ろ、学園都市の外壁が抜かれたぞ!』

『境界結界が落ちた!? テロリストの襲撃一つ防げないのか!?』

『御子柴の事件に続いてこれかよ……あんな連中に世界樹の管理なんて任せておけるか!』


中継の向こうで巻き起こる、世界規模の不信と非難の嵐。

それこそが、この襲撃の真の狙いだった。


自分たちはただの凶悪な犯罪者、狂信者として暴れ、この都市を破壊し尽くす。

そうして「学園都市の防衛能力の完全な破綻」を決定づければ――裏で糸を引く各国の代表や企業連合は、一切手を汚すことなく「治安維持と世界樹の共同管理」という大義名分を掲げて堂々と名乗りを上げることができる。


最初から、そのための捨て石。悪役を演じきるための茶番部隊。


「てめぇら……ッ! 街を混乱させて、全世界に恥を晒すのが目的か!!」


獅堂がガントレットに紅蓮の闘気を込めて跳躍する。

だが、その前へ立ち塞がったのは、薬で狂暴化させられた数百人の信徒たちだった。


「邪魔だ、退きやがれッ!」

「ふふ、撃てますの? 罪のない信徒たちを盾にするのが、わたくしたち悪党の流儀ですのに」


嘲笑うヴィヴィアンの毒炎が市街地へと放たれ、ヴォルフの杭打ちが研究棟への連絡高架橋を粉砕する。

アーサーの弾幕がゲートを封鎖し、九重は黒き風の魔力を纏った刺突で防衛線を次々と切り裂いていく。


同時多発的な破壊と、人質作戦。

ギルドと防衛隊の戦力は完全に分断され、街の中枢への道が、無惨にも切り拓かれようとしていた。


――そして、学園都市の天蓋。

結界中枢の真上から、かつてないほど濃密な、漆黒の竜巻が噴き上がった。


『あははははっ! 壊せ、壊せぇっ! 全部なくなっちゃえばいいんだよぉぉッ!!』


中枢の奥から響き渡る、あの少女――『黒き風』の狂気に満ちた笑い声。

都市の終わりが、いよいよ秒読みとなったその時。


キィィィィィィィン――ッ!!


天から降り注いだのは、暗雲を貫く一筋の神聖な翠緑の閃光だった。


眩い光の柱が中央広場のアスファルトへと突き刺さり、荒れ狂う風の粉塵を吹き飛ばす。

光の収束と同時――ノアたちは、着地の余韻すら待たずに疾走を始めていた。


「――っ、地上だ! 走れッ!」


鳴神冴香の鋭い号令が飛ぶ。


立ち並ぶ高層ビル群の合間から立ち上る四条の黒煙。

街の各所で孤立し、狂暴化した信徒の群れと敵幹部の猛攻に圧し潰されかけている学園警備隊とギルドの探索者たち。

そして、遥か中枢の塔の天蓋で、都市を呑み込もうと膨れ上がる巨大な黒い竜巻。


その時――整然と舗装された中央大通りの上空を、低音のジェット推進音と風切り音が切り裂いた。


「――みんなーっ! 無事だったんだねぇぇぇっ!!」


ビルとビルの谷間を縫うように急降下してきたのは、大型の移動用魔導ライドドローンだった。

ステップの上に立ち、水色のツインテールを風になびかせているのは、Aランク探索者の水無瀬マリン。


そしてその直下、風を纏ってアスファルトを滑走しながら、一対の風切り双剣を腰に下げたレオン・ハインツが軽やかに並走していた。


「マリンさん! レオンさん!」


ノアが走りながら顔を上げると、マリンは耳元のプロ用通信ヘッドセットを押さえ、ライドドローンから真横を並走しながら指示を飛ばした。


「あたしのドローン網で街の位置情報をスキャンしたよ! 敵は四手に分かれて要所を塞いでる! 獅堂部長たちが信徒を盾にされて第一ゲートで足止め食らってるから、 このまま大通りを突っ切ると敵の術式網に引っかかるよ!」

「レオン、最短の安全ルートはどこだ!」


冴香が並走しながら鋭く問う。


「僕たちの誘導についてきてください、冴香さん!」


レオンが前方を並走しながら双剣を抜き放ち、ビル群の隙間――立体交差の側道へ向けて風の刃を撃ち放った。風の軌跡が、瓦礫を迂回する安全な高速突破ルートを鮮やかに照らし出す。


「第一ゲート、商業区、研究棟、記念塔広場――各所の敵幹部が迎撃網を張っています。中枢へノア君たちを通すには、あの四人を抑え込むしかないですよ!」


マリンの高速ドローン管制と、レオンの地上誘導。

最先端の都市インフラを熟知したプロのバックアップを受け、突進する一行の足並みは、一瞬の淀みもなく加速していく。


第一ゲート付近、獅堂が手を焼いている信徒部隊とテロ部隊の混成部隊が道をふさいでいた。


「――どけェッ!」


先頭を走る冴香が一閃。第一ゲート前で警備隊を蹂躙していたテロ部隊の尖兵たちを、神速の峰打ちで瞬時に薙ぎ払う。


「……ッ! 冴香! テメエら、戻ってきやがったか!」


血煙の中で孤立していた獅堂が、ガントレットを構え直して吠えた。


「第一ゲートのアイツを止めねぇと外郭が崩壊する! だが、信徒どもが邪魔で手が出せねぇ!」

「問題ありません、獅堂部長!」


冴香は足を緩めることなく、腰の愛刀の鯉口を親指で弾いて凛と応じた。


「アーサーは私が引き受けます! 部長はマリンの達とともに、信徒たちの非殺傷拘束をお願いします!」


「……ずいぶん、でけえ背中になったじゃねぇか」

「上層では、ずいぶん揉まれましたから」

「はっ、その背中に免じて頭はお前に譲ってやるよ!後ろは任せとけ!」


元上司の怒号を背中で受け止めながら、冴香の足裏がアスファルトを削る。

冴香は一言の無駄口も挟まず、そのまま流れるように隊列の先頭から離脱し、防衛ゲートの直上――タバコの煙を燻らせるアーサーの元へと直角に跳躍していった。


先頭が抜けたことで生まれた推進力を殺さぬよう、ノアの足元から翡翠の気流が爆ぜる。

リノの手を引き、速度をさらに一段階引き上げた。


「任せてっす、ノアちゃん!」


リノも息を切らせながら、強くその手を握り返す。


二人の疾走する進路の先――左右の要所から、敵の迎撃魔力が立ち上る。

だが、二人が足を緩める必要は微塵もなかった。


商業区の路地から、逃げ惑う警備兵を呑み込もうとヴィヴィアンの紫煙混じりの毒炎が噴き出した瞬間。

ノアの斜め後ろを走っていたクラリスが、何も言わずに地を蹴っていた。


高層ビルのテラスを鮮やかに中継し、宙で翻る真紅の魔導ローブ。

言葉の代わりに放たれたのは、毒炎の軌道を力づくでへし折る極大の紅蓮弾だった。


轟音と熱風が吹き荒れる中、クラリスは優雅に着地し、扇子を掲げるヴィヴィアンの正面に立ちはだかる。振り返りもしない。ただ杖の切っ先を敵の眉間へと向け、そのまま戦闘機動へと突入していった。


続いて、第二研究棟へと繋がる連絡高架橋。

轟音とともに橋桁がひしゃげ、ヴォルフの巨躯が対物杭打機を構えて頭上へ飛び降りてこようとする。


「オラァッ!!」


その直下に、背負っていた大剣を抜き放ちながらクローディアが自ら滑り込んだ。


ガギィィィィィィンッッ!!!


火花がアスファルトを焦がし、力任せに杭の軌道を斜め上へと弾き飛ばす。


「チッ、重たいねぇ……!」


腕の骨がきしむ感触に獰猛な笑みを浮かべ、クローディアは大剣の平でノアたちの背中を前へ押し出すように風を巻き起こした。


「ノア、行きな!」


短く投げかけられたその声に応え、ノアは振り返ることなくクローディアの脇を駆け抜ける。


さらに中央記念塔前広場。

九重蓮夜が放った漆黒の刺突刃が、機関銃のような弾幕となって大通りを封鎖しかけた。


だが、ノアの横を併走していた神薙氷華が、一瞬の踏み込みでその前へ滑り込む。

言葉はない。抜かれた細剣が描く軌跡のままに、極薄の氷壁が幾重にも展開され、黒い刺突をことごとく弾き散らしていく。


氷華はそのままレイピアの切っ先をかつての先輩の喉元へと突き出し、冷徹な青銀の瞳で九重をその場へ縫い留めた。


誰一人として立ち止まらず、誰一人として無駄口を叩かない。

ただ、信じて前へ進むノアとリノのために、自らの肉体と刃で障害を削ぎ落としていく。


洗練された探索者たちの連携が、瓦礫だらけの市街地に、中枢へと真っ直ぐ伸びる一本の「風道」を完成させていた。


「ノアちゃん、中枢ゲートが見えたよ! 真っ直ぐ行って!」


頭上を併走するマリンのライドドローンから叫びが響く。


視界の先に現れたのは、半壊した結界中枢の巨大な防護隔壁。

だが、その扉の前には――黒き風の魔力から生み出された、無数の禍々しい瘴気の分身体が、悪意の津波となって立ちはだかっていた。


分身体たちが一斉に牙を剥き、ノアとリノへ殺到する。


ズズゥゥゥゥンッッ!!


二人の頭上を飛び越え、舗装道路を割る勢いで着地したのは、漆黒の大盾を構えた影守夜々だった。

衝撃波で前方の分身体をまとめて吹き飛ばす。


その隣に、紫黒のオーラを纏ったノワールが音もなく並び立った。


「夜々ちゃん、ノワール!」

「行ってくださいですぅ……!」


夜々は息を荒らげながら、それでも両足を踏ん張って大盾をさらに低く構え直す。

ノワールもまた、振り返りもせずに己の拳に闇の魔力を圧縮させた。


「後ろは見るな。……さっさと行って、あいつを止めろ」


大盾が唸りを上げ、夜々とノワールが殺到する瘴気の波を真っ向から受け止める。

開かれた、中枢への最後の一本の道。


「――行こう、ノアちゃん!」

「うんっ!」


仲間たちが命懸けでこじ開けてくれた背中を駆け抜け、ノアとリノは光の尾を引いて、黒い嵐が渦巻く結界中枢の最深部へと飛び込んでいった。

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主人公最強なの?同系統の量産型に手も足も出てないみたいだけどハイスペックだけどマインド弱者なのかな?
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