熱情の華
世界樹上層ダンジョン第58層――『紅蓮の天蓋回廊』。
頭上を覆う太古の巨木が真っ赤な紅葉のように燃え盛り、足元には赤熱した樹液が川のように流れる灼熱の階層。立ち込める熱気の中、少女の甲高い怒声が響き渡っていた。
「お黙りなさいませ、この無礼な火の玉小僧! わたくしの洗練された至高の魔術に、あなたの野蛮な炎はあまりにも品がなさすぎますわ!」
端正な顔立ちを紅潮させ、手にした豪奢な魔導杖を振り回しているのはクラリス・フォン・ローゼンバーグ。
美しくなびく金髪のハーフアップの毛先を指先で整えながら、目の前でぷかぷかと浮遊する小さな人影を鋭く睨みつけていた。
対するは、炎の精霊イグニス。
逆立った真っ赤な髪に生意気そうな少年の姿の精霊は、鼻を鳴らして腕を組んだ。
「あぁん!? 誰が火の玉小僧だ、気取った温室育ちが! てめぇがちまちま上品ぶって小綺麗に魔力を使おうとするから、俺の炎が窮屈がって弾け飛んでんだろうが!」
「なんですってぇ!? 魔術とは理知と制御の結晶! あなたのようにただ感情任せに火力を撒き散らすなど、粗野な猿のすることですわ!」
「んだとテメェ! 言うに事欠いて猿だと!? よし、もう一回だ! 俺の熱量に耐え切れずに泣きつくなよ!」
「望むところですわ! わたくしがあなたの炎を完璧に調教してさしあげます!」
バチバチと視線で火花を散らしながら、二人は再び霊装合一の試行に入った。
クラリスが魔導杖を構えて精神を集中し、イグニスが真っ赤な火球となってクラリスの胸元へと突入する。
「霊装合――きゃあああっ!?」
ドッパァァァンッ!!
激しいバックファイアとともに爆風が吹き荒れた。
クラリスの背後で結い上げられていた金髪ハーフアップのリボンが吹き飛び、自慢の制服の裾があちこち黒く焦げて煙を上げている。
「ごほっ、ごほっ……! な、何をするのですか! 服が焦げてしまいましたわ!」
「だから言ったろ! 俺が飛び込んだ瞬間に『熱い!』つって魔力路を閉じるんじゃねえよ! せっかく入った魔力が逆流して爆発すんだろ!」
「熱いに決まっているでしょうが! もう少し温度を手加減しなさいな、この単細胞!」
「炎に温度を手加減しろとか言ってる時点で向いてねえんだよ! もういい、やめだやめ! こんな頭でっかちなお嬢様と一緒になんてできるわけねえ!」
イグニスがぷいと顔を背け、宙で腕組みをして鼻を鳴らした。
「なっ……!」
クラリスは息を呑み、悔しさに奥歯をギリリと噛み締めた。
焦げた服の裾をぎゅっと握りしめるその手が、微かに震えている。
「……やめるわけには、いかないのです」
ぽつりと落ちた声は、いつもの高飛車な響きを失っていた。
イグニスが「あぁ?」と鬱陶しそうに肩越しに目を細める。
「やめるわけには……いかないのですわ。ここでわたくしが立ち止まることなど、絶対に許されないのです!」
クラリスは魔導杖を地面に突き立て、真っ直ぐにイグニスを見据えた。
その碧眼には、悔し涙を押し殺した強い光と、幼い頃から背負い続けてきた宿命の重みが宿っていた。
「ローゼンバーグは、かつて数々の競技で頂点を極めてきたスポーツの名門……そしてダンジョンが現れてからは、探索の第一線で実績を重ねてきた名家です。その血を引く娘として、わたくしは生まれてから今日まで、常に『トップを走り続けること』を義務付けられてきました」
クラリスは吐き出すように、胸の奥底に秘めていた焦燥を語り始めた。
「ですが……現実を見れば、同世代の頂点には神薙氷華という超えられない壁が君臨し、プロの世界には鳴神先生たち歴戦の探索者がいる。そして――突如として現れた翠光の仮面。……あの圧倒的な力と奇跡を前にして、思い知らされたのです。わたくしなど、トップどころか足元にも及んでいないのだと!」
握りしめた拳の爪が、手のひらに食い込む。
「焦っていましたわ。名門の重圧に押し潰されそうで、どれだけ背伸びをしても追いつけない差に、ずっと苛立っていた……! それに――」
クラリスは顔を上げ、燃えるような眼差しでイグニスを射抜いた。
「あの中枢で、あの小さな身体でボロボロになりながら、ノアさんは都市を守ろうと戦ってくれた! 夜々さんやリノさんだって、恐怖を押し殺して前を向いている! それなのに……わたくしがここで弱音を吐いて、ただ守られるだけの観客でいろと仰るのですか!?」
クラリスの身体から、怒濤の魔力がカッと立ち上る。
それは家柄や体裁を繕うためだけの冷めた魔力ではない。
仲間を、街を、背中を預けてくれる者たちを何としても守り抜くのだという、剥き出しの熱情。
「ローゼンバーグの誇りにかけて……そして、わたくし自身の誇りにかけて! 大切な仲間も、この街も、絶対に失わせはしませんわ! だからわたくしは、この力を絶対にモノにしてみせるッ!!」
火の粉が舞う紅蓮の回廊に、少女の魂の咆哮がこだました。
イグニスはしばらく呆気に取られたように目を丸くしていたが、ふいと露骨に視線を逸らし、後頭部をガシガシと乱暴に掻いた。
「……チッ。なーにが名門だ、誰がトップだ。めんどくせぇ理屈ばっか並べやがって」
「な、なんですってぇ!?」
「うるせぇな! 最初っからそうやって喚いてりゃいいんだよ!」
イグニスはクラリスを睨みつけ、口をへの字に曲げながらずいと顔を突き出した。
「お上品にすました顔してっからムカつくんだよ。……てめえの中には煮えたぎった闘争心があるんじゃねぇか。それを変に隠してっからいつまでも殻を破れねんだ!やっとマシな面になったじゃねぇか」
「な……素直に褒められないのですか、この生意気な火の玉は!」
「誰が褒めるかバーカ! 言っとくがな、俺はてめぇを主と認めたわけじゃねぇからな! ノアや街を守るために、一時的に手を組んでやるだけだ!」
イグニスはフンッと鼻を鳴らすと、炎をまとわせた拳を乱暴に突き出した。
「おい、ぐずぐずすんなクラリス! 杖構えろ! 俺の火力についてこれなかったら、次こそその生意気な金髪を丸坊主にしてやるからな!」
「言われずとも! わたくしの熱量に呑まれて、その生意気な口が利けなくなっても知りませんわよ!」
クラリスは負けじと言い返し、差し出されたイグニスの拳に、迷いなく魔導杖の先端を叩きつけた。
バチィッと二人の意志が激しく火花を散らした瞬間、イグニスが真紅の光の奔流となってクラリスの胸元へと吸い込まれた。
今度は反発も拒絶もない。
口では憎まれ口を叩き合いながらも、魂の最奥で完全に一致した「絶対に負けられない熱情」が、イグニスの猛る炎を真っ向から受け止め、凄まじい熱量となって爆発する。
『――霊装合一【紅蓮炎装】!!』
ゴォォォォォォォッッ!!
螺旋を描く巨大な火柱が天蓋を突き破らんばかりに立ち上った。
渦巻く炎が収まったそこには、気高き炎の戦乙女の姿があった。
金髪のハーフアップは毛先に向かって鮮やかな緋色のグラデーションを描いて輝き、制服は燃え盛る真紅の魔導ドレスへと昇華。手にした杖の先端には、超高密度の火球が静かに回転している。
「あは……あははっ! 素晴らしいですわ……! これが、本物の炎の力……!」
クラリスが杖を掲げると、周囲の熱気が一瞬にして杖先へと収束した。
紅蓮の回廊の溶岩すら恐れをなすほどの、桁外れの超高熱。
「――薙ぎ払いなさい!!」
杖を一閃させた瞬間、極太の紅蓮の熱線が放たれた。
ドバァァァァァァンッ!!
前方にそびえ立っていた巨大な炭化巨木の群れが、爆風すら置き去りにして一瞬で蒸発・消滅し、遥か彼方の岩壁まで一直線に灼熱のトンネルが穿たれた。
「へっ……威張るだけのことはあるじゃねぇか。だが、調子乗んなよ! 今のは俺の魔力が凄かっただけだからな!」
脳内でイグニスが憎まれ口を叩くが、その声には隠しきれない高揚感が滲んでいた。
クラリスはドレスの裾を優雅に翻し、ふっと不敵な笑みを浮かべる。
「ふふっ、負け惜しみを。わたくしの器があってこその魔術ですわ! ……さあ、待っていなさいな、ノアさん。今度こそ、あなたの隣でこの炎を咲かせてみせますわ!」
黒焦げになったリボンを投げ捨て、クラリスは新たな力と、真の誇りを胸に前を見据えた。




