雷光の一閃
世界樹の最頂部から少し降りた、上層ダンジョン第55層――『雷鳴の雲海回廊』。
どこまでも広がる白銀の雲海の上に、太古の巨木から伸びた巨大な枝葉が、まるで天然の演舞場のように広がっていた。空には時折、紫電が走り、乾いた轟音を響かせている。
「……ふむ。霊装合一の術式骨子、および魔力循環の経路……基本理論は頭に入った」
教官服の裾を風になびかせ、黒髪のポニーテールを整えながら、鳴神冴香が腰の愛刀の鯉口を親指で静かに弾いた。
歴戦の探索者であり、指導者としての鋭い眼差し。冴香は足幅をきっちり六十センチに開き、完璧な居合の構えを取る。
「フルグル、手順通りにいくぞ。まずは魂の同調深度を十パーセントから徐々に引き上げ、魔力の接続点を確認する。私の呼吸に合わせろ」
「え〜〜〜〜!? やだやだ! なにそのカタ苦しい授業みたいなの! アタシそういうの超苦手なんだけどー!!」
バチバチッ!と抗議の火花を散らしながら、金髪ツインテールを激しく揺らして宙を跳ね回るのは、雷の精霊フルグルだった。
「だいたいさぁ、霊装合一って『ビビッ!』ときて『ドカンッ!』と纏うもんでしょ!? パーセントとか手順とか、冴香っちマジで頭カタすぎ! 教科書丸呑み系女子かよ!」
「誰が女子だ、私は教官だ! だいたい未知の高等術式を試すというのに、理論も手順も無視してどうする! 暴走したらどう責任を取るつもりだ!」
「暴走したらそん時はそん時じゃん! アタシ雷だし! 落ちる時は一瞬だっての! ほら、ごちゃごちゃ言ってないでいくよー! 合一アタックーーッ!!」
「ちょっ、待てフルグ――ぐわっ!?」
フルグルが全身を眩い金色の雷球へと変え、躊躇なく冴香の胸元へと突進した。
ドッゴォォォォンッ!!
凄まじい放電音とともに、冴香の全身を黄色い電流が駆け巡る。
美しい黒髪のポニーテールが一瞬にして逆立ち、ボンバーヘッドのように爆発。衣服のあちこちから香ばしい白煙が立ち上った。
「ぶはっ……! ごほっ、ごほっ……! き、貴様ぁぁぁっ!!」
膝をつき、煙を吹き出しながら抜刀用の構えが完全に崩れた冴香が、血走った目で宙を睨みつける。
雷球からポンッと元の姿に戻ったフルグルは、お腹を抱えて空中で転がり回っていた。
「キャハハハハハッ!! 冴香っちの頭、鳥の巣みたいになってんじゃん! 超ウケるんだけどー!!」
「笑い事か馬鹿者! 拒絶反応で感電死するところだったぞ! 魔力の波長を擦り合わせるという前提を完全に忘れているだろうが!」
「ちがうし! アタシのせいじゃないし! 冴香っちがガッチガチに『型』で身構えてっから、アタシの雷が入る隙間がなくて弾かれたんだもん!」
フルグルは唇を尖らせ、宙で腕組みをしてツンと横を向いた。
「雷なんてさ、自由にビュンビュンハジケてナンボなわけ。それを『右足引いて〜呼吸を合わせて〜』とかやられたら、アタシだって息苦しくて爆発するっつーの!」
「だがっ……この技は必ず成功させなければいけないんだ……」
「だからって、もっとリラックスしないとできるもんもできなくなるっしょ!冴香っち少し気を張りすぎ~」
乱れた髪を乱暴に手ぐしで整えながら、冴香の瞳に暗い影が落ちる。
「……私は、教師だからな」
ぽつりと漏れたその声は、先ほどまでの怒声とは打って変わって、重く、低かった。
「……冴香っち?」
「あの中枢コアで……ノアも、ノワールも、ボロボロになって倒れていた。……あの黒き風の前で、私は教え子が血を流して倒れるのを、ただ見ていることしかできなかったんだ」
冴香はぎゅっと、腰の刀の柄を白くなるほど強く握りしめた。
「二度と、あんな思いはしたくない。生徒たちを前線に立たせて、大人の私が無力でいるなど……絶対に許せん。だからこそ、失敗は許されない。完璧に、確実に力をモノにしなければならんのだ」
重責。自責。
生徒たちを守らねばならないという、痛切なまでの覚悟。
生真面目で、誰よりも生徒想いだからこそ、冴香の心には何重もの分厚い『防壁』が張られていた。傷つかないためではなく、傷つけさせないための、頑なな鎧。
フルグルは空中でくるりと宙返りをし、冴香の目の前までふわりと降りてきた。
その顔から、いつものおふざけが消えている。
「……ふーん。冴香っちってさ、結構めんどくさいヤツ?」
「何だと?」
「生徒守りたいんでしょ? あいつらにカッコいいとこ見せたいんでしょ? だったらさ――」
フルグルがニッパチと八重歯を見せ、バチッと指先を鳴らした。
「四の五の言わずに、アタシに全部預けなよ。冴香っちがどんだけ重たいもん背負い込んでたって、アタシのスピードなら、そんなもん置き去りにしてぶっ飛べるんだからさ!」
「フルグル……」
「アタシが冴香っちの雷になってあげる。だから冴香っちは、ただ前だけ見て、一番カッコいい一撃をぶちかませばいいの! ……ね、それなら出来そうでしょ?」
差し出された、小さな手。
パチパチと弾ける金色の静電気は、不思議ともう痛くなかった。ただ温かく、どこまでも真っ直ぐで、迷いがない。
冴香は目を丸くし、それから――ふっと、自嘲するように口角を持ち上げた。
「……やれやれ。何百年も生きてる精霊様に、説教されるとはな。……頭が硬いのは、私の悪い癖だ」
冴香は息を深く吸い込み、肩の力を完全に抜いた。
教科書通りの立ち方でも、完璧な角度の構えでもない。
ただ、目の前の敵を両断し、大切な者たちを絶対に守り抜くという、本能と魂の飢えだけを研ぎ澄ます。
「おい、フルグル」
「なーに、冴香っち?」
「私を――世界で一番速い刃にしてくれ」
「言ったね!? 後悔すんなよーーっ!!」
フルグルが眩い金色の光の奔流となって、冴香の右腕へと吸い込まれた。
今度は、拒絶の爆発は起きない。
冴香の全身の魔力回路がカッと開き、フルグルの奔放な雷光が、まるで最初からそこにあったかのように溶け合っていく。
『――霊装合一【金剛雷装】』
バチィィィィィィィンッッ!!
爆発的な蒼金の電光が雲海を吹き飛ばした。
光が収まったそこには、かつての教官の姿はなかった。
純白の刀身に雷光を宿した業物。
羽織る教官服は、裾に黄金の稲妻模様が瞬く神聖な陣羽織へと変化し、束ねた黒髪の毛先からは常にパチパチと蒼いプラズマが散っている。
纏う気迫は、神速の雷神そのもの。
「はっ……ははっ! すごいな、これは……! 身体が、羽のように軽い!」
冴香が小さく地を蹴った瞬間、その場から姿がかき消えた。
ドォォォンッ!と遅れて発生するソニックブーム。
数百メートル離れた雲海の岩礁の上へ、文字通りの『雷速』で転移するように出現した冴香は、そのまま流れるように愛刀を一閃した。
ピキィィィィィンッ!
一筋の細い光の線が、遥か彼方の空まで奔った。
数秒の静寂の後――。
ズガガガガガガガッッ!!
冴香の前方に広がっていた数キロに及ぶ分厚い雷雲が、まるで巨大な刃で両断されたかのように真っ二つに割れ、そこから眩い太陽の光が雲海へと降り注いだ。
「キャハハハッ! 見た!? 雲が割れたよ! 冴香っち、超イケてんじゃん!!」
脳内でフルグルが歓喜の声を上げる。
冴香はふぅと息を吐き、パチンと刀を鞘に納めた。
その瞬間、身体を包んでいた雷装が光の粒子となって解け、元の白衣姿へと戻る。
「……これが、霊装合一の力か」
自分の手のひらを握り締め、冴香は力強く口角を吊り上げた。
胸の奥に澱んでいた焦りと無力感が、爽快な雷光とともに完全に吹き飛んでいた。
あの黒き風にだって、この神速の一撃なら届く。
大人として、教師として、生徒たちを守り抜くための確かな牙を、その手に掴んだのだ。
「よし……! 他の連中にも、負けていられんな」
青空の下、冴香は晴れやかな笑顔で、次なる特訓へと歩き出した。




