北の空
中央アトリウムに、けたたましい魔導サイレンと重厚な軍靴の音が響き渡った。
「――そこまでだ、薄汚ねぇネズミどもがッ!!」
天を衝く怒号とともに、アトリウムの正面ガラス扉が粉砕された。
突入してきたのは、ギルド査察本部特命執行部――その先頭に立つのは、真紅の魔導ガントレットから猛烈な陽炎を立ち昇らせた、獅堂鉄也だった。
「ひ、ひぃぃっ!? ギルドの本隊だァッ!」
「特命執行部……!?」
獅堂率いる重装制圧部隊が雪崩れ込み、暴徒化した信徒たちを一気に包囲する。
すでに氷華、クラリス、クローディアたちによって、信徒たちの戦力は大半が無傷のまま無力化されていた。
リノと夜々による迅速な避難誘導も功を奏し、一般生徒への被害は最小限に抑え込まれている。
「獅堂部長……!」
氷華が息を乱しながら駆け寄る。
「よく持ちこたえたな嬢ちゃん。これより本現場の指揮権は俺が預かる! 残党を一人残らず拘束しろッ!」
獅堂の的確な号令のもと、学園側の暴動は瞬く間に収束へと向かっていった。
――だが、その混乱の最中。
講堂へと続く薄暗い連絡通路の影で、小型通信機を片手に足早に立ち去ろうとする男の姿があった。
翠光教の豪奢なローブを羽織った、ほかとは装いが異なる男だ。
『……あぁ、こちら学園班。予定通り一般生徒を人質に取り、都市防衛の目を完全に学園へ引きつけました。……ええ、状況終了です。これより帰還します』
「おいおい、誰に断って帰ろうとしてんだ? あぁん?」
背後から落ちてきた地獄の底のような低い声に、男の全身の毛穴が逆立った。
男が振り返るよりも早く、爆風が吹き荒れ、巨大な真紅の鉄甲が男の首根っこを鷲掴みにした。
「ガッ……、ア……ッ!?」
獅堂が片手で男の巨体を軽々と吊り上げ、冷酷な眼光で睨みつける。
背後から、氷華やクラリス、クローディアたちも駆けつけてきた。
「てめぇがこの悪趣味な茶番の頭だな」
獅堂の指先にギリギリと圧力がかかる。
「中枢の襲撃も、この学園の暴動も、すでに完全に鎮圧された。てめぇらのチンケな計画はおしまいだ。……さあ吐け。薬の出所はどこだ? 黒幕は誰だ?」
首を絞め上げられ、顔を鬱血させながらも――男の唇は、奇妙に吊り上がっていた。
「フ……フフフ……。おしまい、だと……?」
男は掠れた声で、嘲笑うように嗤った。
「な、何がおかしいのですか……!」
氷華が眉を吊り上げる。
男は血走った瞳をギラつかせ、獅堂を、そして駆けつけた少女たちを舐めるように見回した。
「計画は……最初から、順調だよ……。お前たちが、この学園と中枢の防衛ラインに戦力を釘付けにしてくれたおかげでな……」
「あンだぁ……?」
獅堂の眉間が険しく歪む。
「時間稼ぎは……終わったのだ。すでに北より……【黒き風】は顕現された……。我らの大願は、次のフェーズへと進んだのだよ……!!」
「黒き風だと……!? おい、どういう意味だ!」
獅堂が男を揺さぶる。
だが、男の首筋の血管が、不気味な紫色にボコボコと浮き上がった。
「――翠光の神に、栄光あれ」
「しまっ――自滅しやがったか、この野郎ッ!!」
獅堂が無理やり男の顎をこじ開けようとしたが、時すでに遅かった。
男の口から黒紫の鮮血が噴き出し、瞳の光が急速に失われていく。
体内に仕込まれていた自滅用の劇毒術式が、瞬時に男の心臓を停止させたのだ。
ドサリ、と糸の切れた人形のように崩れ落ちる男の亡骸。
「くそっ、これだから狂信者は……!」
獅堂が忌々しそうに毒づいた。
「黒き風……? 一体、何を……」
クラリスが杖を抱え、不安げに呟く。
クローディアも大剣の柄を握りしめ、得体の知れない胸騒ぎに舌打ちした。
その時だった。
ピピピピピッ! ピピピピピッ!
獅堂の胸ポケットに入っていた特命執行部専用の緊急端末が、鼓膜を劈くような最高優先アラートを鳴り響かせた。
中枢の防衛司令本部からの、緊急通信だった。
「俺だ、獅堂だ! どうした!」
『特命執行本部、獅堂部長ッ! 中枢防衛司令部です! 緊急事態発生ッ!』
通信の向こうから、けたたましい警報音と激しい爆発音、オペレーターの悲鳴混じりの怒号が飛び込んでくる。
『北側ゲートより所属不明の高エネルギー体が突入! 鳴神教官が前線で直接迎撃に当たっていますが、防衛ラインが急速に押し込まれています!』
「何だと!? 敵の規模は! 冴香が押されているのか!?」
『単独……人型の少女です! ですが、その姿が……ノア学園生と瓜二つの黒髪の少女で――ッ!!』
「な、何ですって……!?」
氷華が息を呑み、獅堂の目が見開かれる。
『放たれる風の魔力波長がノア学園生と完全に一致……中枢の防衛障壁がもう持ちません! 鳴神教官から伝言――「獅堂部長、冗談抜きで数分も持ちません! 至急、増援を……ッ!」――キャァァッ!!』
凄まじい暴風の轟音とともに、通信が激しいノイズに呑み込まれて途絶えた。
先ほど男が口走った【黒き風】――その正体が、ノアの生体魔力を複製して造られた最悪の存在であることを、その場にいた全員が瞬時に悟った。
「クソがッ! あいつら、ノアのクローンを作りやがったのか!?」
獅堂が血相を変えて叫ぶ。
「嬢ちゃんたち、すぐに中枢へ引き返すぞ! 冴香とノアが危ねえ――」
獅堂が踵を返そうとした、まさにその瞬間。
ピピピッ、ピピピッ!
今度は獅堂の端末の別ラインが、けたたましく割り込み着信を告げて震えた。
画面に表示された発信元は――学園都市第一総合病院、特別病棟。
「……チッ、今度は病院からか!? 俺だ、獅堂だ、手短に言え!」
『し、獅堂部長ですか!?』
スピーカーから飛び出してきたのは、担当主治医の焦燥に満ちた声だった。
『特別病棟のノワール君が、病室から忽然と姿を消しました!』
「……あンだとッ!? 暴走したのか!?」
『いいえ、魔力波形に狂気や暴走の兆候はありません! 大人しかったのですが先ほど急に「すぐ戻る」といいだして……制止する看護師を一瞥もせず、窓ガラスを蹴破って飛び出していったのです!ものすごい速度で北へ――!』
「…………ッ!」
何も言わず、ただ北の空――中枢を目指して手負いの身で駆けていったノワール。
かつて深淵の前でノアに風穴を開けさせ、自責に苛まれ続けた少年が、今度こそノアを護るために、脇目も振らず走り出したのだ。
「あいつ……まだ安静にしてろって言ったのによ……!」
獅堂は苦々しく吐き捨てながらも、その目にはかつてない焦燥と熱を宿し、大地を蹴り飛ばした。
「全速力で中枢へ走るぞ! ガキどもにこれ以上、無茶させるわけにはいかねえ!!」




