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漆黒の風

正午の鐘が、学園都市の空に厳かに響き渡った。


防衛結界中枢――都市の心臓部へと続く大回廊の前には、鳴神冴香の指揮のもと、重装の学園都市警備隊(セキュリティ)が幾重にも防衛ラインを構築していた。

対人制圧用の非殺傷電磁シールドが青い火花を散らし、要塞のごとき静寂が張り詰めている。


回廊の突き当たりから、白装束に身を包んだ翠光教の信徒集団が姿を現した。

その数、五十名以上。


「……なっ、なぜ警備隊が待ち構えている!?」

「情報が漏れていたのか!?」


信徒たちの間に一瞬激しい動揺が走る。

だが、その先頭に立つ編入生幹部が、懐から紫色の薬液アンプルを取り出して掲げた。


「動揺するな! 翠光様の御神気を受け取った我らに、凡俗の武器など通用しない! 神の楽園のために、突き進めェッ!!」


信徒たちが一斉に薬を煽る。

次の瞬間、彼らの瞳が不気味な紫光を放ち、全身から爆発的な魔力の奔流が噴き上がった。

それは紛れもなく、ノアの精霊魔力データを無理やり引き延ばした歪な力――。


「突っ込んできやがった! 各員、非殺傷スタン弾を用意! 生徒を殺すな、拘束しろッ!」


怒号とともに激突する両陣営。

薬によって膂力と敏捷性を跳ね上げた信徒たちの突進力は凄まじく、警備隊の隊列を力任せに押し返していく。

非殺傷ゆえに苦戦を強いられる警備隊だったが、鳴神先生が前線へ躍り出て、木刀に纏わせた紫電の峰打ちで次々と信徒たちの意識を刈り取っていく。


「ふん、薬で魔力を水増ししたところで、所詮は付け焼き刃だ! 押し返せ!」


歴戦の教官の奮戦により、前線は次第に持ち直していった。

このままいけば、犠牲者を出さずに中枢での制圧は完了する――誰もがそう確信しかけた、その時だった。


ピピピピピッ! と、鳴神先生の耳元の通信機がけたたましい警報音を鳴らした。


『――緊急通信! 第十三研究室、鳴神教官! 至急応答願います!』

通信の向こうから、激しい怒号とガラスの割れる音が響いてくる。

『学園本校舎および第一講堂周辺にて、翠光教の潜伏信徒による同時多発的な暴動が発生! 一般生徒がパニックに陥り、敷地内各所が封鎖されています!』


「何だと……!?」

鳴神先生の表情が凍りついた。


◇


――学園本校舎・中央アトリウム。


「落ち着いてください! 非常階段へは行かず、案内板に従って中央防災シェルターへ避難を!」


神薙氷華の凛とした声が、混乱に包まれたフロアに響いていた。

生徒会長として学園に残っていた氷華は、事態の発生と同時に生徒会執行部を率い、学園内に残る生徒たちの避難誘導と、暴徒化した信徒たちの足止めに奔走していた。


しかし、普段は平和そのものの一般校舎に、薬で我を忘れた信徒たちが凶器を手に雪崩れ込んでいる。常駐の学園警備員だけでは完全に手が足りていなかった。


チチッ、と氷華の生徒会用端末が鳴る。鳴神先生からの直通回線だった。


『氷華、無事か!?』

「はい、なんとか生徒の避難誘導を行っていますが……校舎全域で暴動が起きています!」


『すまない、こちらの防衛線を今すぐ解くわけにはいかない! 警備隊の増援がそちらへ到着するまで、生徒会と校内警備で何とか現場を持ちこたえさせてくれ!』


「了解いたしました! 生徒の安全は、この神薙氷華が命に代えても守り抜きます!」


通信を切り、氷華が再び前線へ視線を戻した瞬間――息を呑んだ。


「――助けてぇっ!」


悲鳴を上げたのは、逃げ遅れた低学年の女子生徒だった。

その背後から、血走った瞳の信徒が鉄パイプを振り上げ、狂気じみた形相で襲いかかろうとしている。


「しまっ……!?」

距離がある。氷華の氷結魔法を展開しても、着弾までに間に合わない――!


「そこまでですわッ!!」


鋭く澄んだ声とともに、女子生徒と暴徒の間に、天を突く巨大な火炎の壁がドォォンッ! と立ち塞がった。


「グアッ!?」

熱気にひるみ、思わず後退りする信徒。

その隙を、紅蓮の炎を突き破って飛び込んできた巨大な影が見逃さなかった。


「てめぇ……無抵抗の女子生徒に手ぇ出してんじゃねえぞッ!!」


バゴォォォンッ!!

手加減された大剣の腹が、信徒の胴体を真横から容赦なく薙ぎ払った。

信徒は一撃で宙を舞い、壁際に叩きつけられてそのまま白目を剥いて気絶する。


「……クラリスさん、クローディアさん……!?」

氷華が目を見張る。


「騒がしいと思えば、なんとも下品な暴動ですこと」

杖を優雅に構えたクラリスが、優美に髪をかき上げる。

「生徒会ばかりに格好をつけさせるわけにはいきませんわ。……怪我人を抑えつつの鎮圧、わたくしたちにお任せなさい!」


「暴れるバカの相手なら、あたしらの専門分野だからな! 氷華、お前は避難に専念しな!」

大剣を肩に担ぎ、獰猛に笑うクローディア。


さらに、二人の背後から息を切らせて駆け寄ってくる影があった。


「ぎゃああ!ぞ、ゾンビ映画みたいっす……っ!」

「神薙会長……っ!」


「リノさん、夜々さんまで……!? あなた方は避難を――」


「こんな時にじっとしてられるわけないっすよ!」

リノが拳を握りしめ、夜々も震える足を叱咤するように真剣な瞳で頷いた。

「戦うことはできなくても、ほかの学生の避難誘導なら私たちにも手伝えます! お願いですぅ、手伝わせてください!」


自分たちの学園を、日常を守るために、自ら立ち上がった仲間たち。

氷華の胸に、熱いものが込み上げる。


「……感謝いたします、皆さん! これより、校舎内全生徒の救出作戦を開始します!」


◇


再び場面は変わり――防衛結界中枢。


信徒たちの第一波をあらかた制圧し終えた回廊で、鳴神先生は険しい表情のまま、端末越しに学園側の状況を把握しようと指揮を飛ばしていた。


その後方で待機していたノアは、ふと、小さく息を呑んだ。


(……なに、これ……?)


肌をチクチクと刺すような、吐き気を催すほどの強烈な悪寒。

大気中の魔素が、まるで生き物のように怯え、震えている。

中枢にいた信徒たちの粗悪な薬の波長とは、桁が違う。

冷たく、純度が高く、それでいて底知れぬ悪意を孕んだ――自分自身のものと酷似した、風の魔力。


「先生……ッ!」

ノアが思わず叫んだ。

「来ます……! 何か、すごく強い気配が、すぐそこまで……!」


「何だと!?」

鳴神先生が顔を跳ね上げた瞬間――。


ビーーーーーッ!! ビーーーーーッ!!


防衛指令コンソールから、今まで聞いたこともない甲高い最高警戒アラートが鳴り響いた。


『中枢外郭・北側ゲート前線より緊急報! 所属不明の単独高エネルギー体が接近――防衛障壁、一撃で損壊! 前線部隊、一瞬で壊滅しましたッ!!』


「北側だと!? モニターを回せ!」

鳴神先生が怒鳴る。


オペレーターが弾かれたように操作し、正面の巨大スクリーンに北側ゲートのライブ映像が映し出された。


白煙と瓦礫が散乱する回廊。

頑丈な装甲板を誇る警備隊の車両が、まるで紙屑のようにひしゃげて転がっている。

倒れ伏す無数の重装兵たちの中央を――ふわり、と重力を無視して滞空する影があった。


ノアと瓜二つの、小柄な身体。

纏っているのは、ノアの清らかな衣を黒く染め上げたような、漆黒のドレス。

そして風に靡いているのは――白銀ではなく、濡羽色に艶めく、夜のように深い黒髪だった。


『…………』


少女は虚ろな黒い瞳で瓦礫を見下ろすと、ノアとまったく同じ愛らしい指先を、すっと軽く払った。

それだけで、暴虐の真空刃が奔り、立ちはだかっていた十数名の精鋭警備兵が吹き飛ばされ、防衛ラインが跡形もなく崩壊していく。


「あ、れ……は……」


モニターを見上げるノアの声が、小さく震えた。

鏡を見るように自分と重なりながら、魂のすべてが拒絶反応を起こすほどの、異形。


――【黒髪のノア】が、冷酷な瞳のまま中枢の奥へと視線を向けていた。

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