水面下の悪意
学園都市中央庁舎・円卓大会議室。
重厚な防音扉に閉ざされた室内には、怒号と机を叩く鈍い音が延々と木霊していた。
「――ですから! 外部諸国や企業連合との全面衝突など論外だと申し上げているのです! 先日の大蒼樹祭での防衛結界の乱れを口実に、連中は『世界樹の共同管理』を要求してきている! ここは一部の採掘権を開放し、国際社会との摩擦を避けるのが賢明な外交判断でしょう!」
「何を弱気なことを言っている! 一度でも奴らに世界樹の利権を差し出せば、次はこの学園都市の自治権そのものを要求されるに決まっている! 境界線の防衛部隊を増強し、不法侵入者は即座に撃破する姿勢を示すべきだ!」
円卓の左側に座る融和派の重鎮と、右側に陣取る強硬派の理事が、顔を真っ赤にして唾を飛ばし合っている。
議題は、外縁境界線で活発化している外部組織の偵察行動への対応策――のはずだった。だが、交わされているのは互いの派閥の責任追及と保身ばかり。
壁際のパイプ椅子に深く腰掛け、煙草の煙をくゆらせていた獅堂は、心底うんざりしたように天を仰いだ。
探索者ギルド査察本部・特命執行部長。
学園都市の行政組織とは独立した立場ゆえにオブザーバーとして同席させられているが、これほど不毛な時間もなかった。
(やれやれ……ノワールの騒動の事後処理で、都市の警備も結界の再調整もバタバタの穴だらけだってのによ。自分たちの足元がどれだけ脆いかも見えちゃいねえ)
獅堂は灰皿に煙草を押し付け、半目で怒鳴り合う大人たちを見つめた。
外部勢力――メガコーポレーションや他国の特務部隊が、この好機を見逃すはずがない。
学園都市が内輪揉めで機能不全に陥り、防衛網の再編が遅れている今こそ、仕掛ける側にとっては千載一遇の好機なのだ。
(内輪で揉めることしか能がねえお偉いさん方より、この隙に乗じてちょっかいをかけてくる外の敵さんのほうが、よっぽど利口で手強いぜ……まったく)
誰にも聞こえない溜め息が、紫煙とともに消えていった。
◇
一方――昼下がりの学園、第一学食。
お昼休みのチャイムとともに押し寄せた生徒たちの熱気で、フロアは普段と変わらない賑わいを見せていた。
「はぁ〜、今日の日替わりうどん、出汁が効いてて美味しい……」
トレーの上の器から湯気を吸い込み、ノアがほっと息を吐く。
向かいの席では夜々が上品に箸を動かし、隣ではリノが定食の小鉢をつついていた。
大蒼樹祭の激闘と後片付けを終え、ようやく取り戻した穏やかな日常。ノアにとって、この何気ない時間が何よりの宝物だった。
だが――。
「ノアちゃん! うどん啜ってる場合じゃないっす!」
いきなりリノが立ち上がり、自身のスマートフォンをノアの鼻先へ突き出してきた。
「ふぎゃっ!? な、なにリノちゃん、急に……」
「これ見て、これ! 学園のSNS掲示板!」
画面には、何やら緑色の文様がプリントされた腕章の写真と、長文の書き込みがずらりと並んでいた。
夜々も眉をひそめ、お茶を置きながら画面を覗き込む。
「これ……『翠光教』の専用スレッド、ですかぁ?」
「そう! その翠光教っす!」
リノが声を潜めつつ、苛立たしげに画面をスクロールさせた。
「ダンジョンでみんなを助けてくれたっていう『翠光の仮面様』……あの人の非公式ファンクラブがあるのはノアちゃんも知ってるっすよね? 最初の頃は『仮面様かっこいい!』『グッズ作っちゃいました!』くらいの、ただの推し活サークルだったじゃないっすか」
「う、うん……」
ノアは頬を引きつらせながら頷いた。
正体が自分であることは絶対に言えないが、学園内に自分のファンクラブが存在し、なぜか「翠光教」などという大層な名前で呼ばれていること自体、ノアにとっては恥ずかしさで穴に入りたい案件だった。
「それがね、ここ数日で急におかしくなってるっす! ほら、見てよこの書き込み!」
リノが指さした投稿には、過激な文面が並んでいた。
『翠光様こそが世界樹の真の救世主。学園の旧態依然とした防衛部隊など無力』
『探索科の生徒は全員、翠光様の教えを拝受すべき。拒む者は迷宮に入る資格なし』
『翠光様護符の購入は全生徒の義務』
「……なんか、すっごく物騒になってない……?」
「物騒どころじゃないっす! 無許可で校舎中に怪しいポスターを貼りまくったり、探索実習前の後輩を捕まえて『これを持たないと死ぬぞ』って高額なお守りを押し売りしたり……完全にタチの悪いカルトじみてきて、被害報告がめちゃくちゃ上がってるっす!」
「ただのファンクラブのはずなのに、なんで……」
夜々が困惑したように呟く。
ノアは背中に冷や汗が流れるのを感じていた。
(ぼ、僕の名前を使って、一体誰が……!?)
その時だった。
ガッシャアンッ!!
食器が床に叩きつけられるけたたましい金属音と、割れた陶器の音が学食の喧騒を切り裂いた。
「――っ、ひぃ!?」
夜々がびっくりして立ち上がり、ノアとリノも音のした方へと視線を向ける。
返却口の近く、多くの生徒が行き交う中央通路のテーブル席だった。
床にはひっくり返った定食と、散らばった緑色のパンフレットやお守りのような小袋。
そして、腕に緑の腕章を巻いた二人の男子生徒が、探索科のジャージを着た大柄な男子生徒の胸ぐらを掴み、激しく詰め寄っていた。
「おいテメエ! 翠光様の聖なる護符を足で引っ掛けて落としといて、ただの事故ですませる気かァ!?」
「はあ!? 通路のど真ん中に勝手に机を引っ張り出して、変なビラ広げて邪魔してたのはそっちだろ! だいたい学食で怪しいグッズの押し売りなんかしてんじゃねえよ!」
「押し売りだと!? これは深層の脅威から身を守るための神聖な布教活動だ! 翠光様の慈悲を拒むような不信心者は、探索者以前に人間として腐ってやがる!」
「んだとコラァッ!?」
火花を散らす両者の体から、カッと魔力の光片が立ち上った。
周囲の一般生徒たちが悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように距離を取る。
「や、やめなよ二人とも! 学食で魔力を使うのは校則違反――」
近くにいた一般生徒がおどおどと止めに入ろうとするが、腕章の生徒は血走った目でそれを一喝した。
「うるさい! 翠光様の威光を理解できん愚民どもが……力づくで分からせてやる!」
「あいつら、本気でやり合う気っす……!」
リノが息を呑む。
だが、ノアが感じ取ったのは、単なる喧嘩の熱気ではなかった。
腕章を巻いた生徒たちの瞳の奥――どこか焦点が合っておらず、呼吸が異常に荒い。
そして、彼らの纏う魔力の波長に混じる、微かな、けれど決定的な違和感。
(これ……普通じゃない。興奮してるだけじゃない……大気の流れが、不自然に淀んでる……?)
ただのファンの暴走や小競り合いではない。
誰かが意図的に生徒たちの精神を煽り立て、狂騒へと誘導しているような、薄気味悪い悪意の気配。
平和なはずの日常の足元に、知らぬ間に深い亀裂が走っていた。




