氷の女王
「……そこまでです」
冷え冷えとした低い声が、ざわめく通路の空気を一瞬で凍りつかせた。
廊下の端から、規則正しい靴音が響く。
生徒たちが慌てて左右へ道を開けると、そこに立っていたのは凛とした佇まいの美少女だった。
制服の上から羽織る白銀の生徒会章付きケープ。群青色の長髪を美しく整え、冷徹な理知を湛えたサファイア色の瞳。
――3年Sクラス、学園の魔力治安と規律を統括する生徒会長、神薙氷華。
「……生徒会長……っ!」
野次馬に加わっていた生徒たちが、息を呑んで後ずさる。
氷華はまず、周囲を取り囲んでいた野次馬たちへ鋭い視線を向けた。
「通路を塞いでの私的な集団騒乱、および後輩に対する度を越した野次。……探索者としての品位を欠く行為です。立ち去りなさい。次に同じ光景を見かけたら、全員のギルド利用資格を一時停止します」
その一言で、周囲の生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
続けて氷華は、僕にしがみついて震えている1年の影守夜々、そして僕とリノへと視線を落とす。
「……さて。事情を伺いましょうか。当事者のあなたたち三人、生徒会室へ来なさい」
淡々とした職務的な宣告。
リノが「うひひ、事情聴取っすね……」と小さく肩をすくめ、夜々は「す、すみません……わたしのせいで……」と涙目になって縮こまった。
◇
生徒会室。
白を基調とした整然とした部屋には、無機質なデスクと書類の山、そして応接セットが並んでいる。
氷華はデスクの椅子に腰掛け、手元の端末で事実関係を手早く入力していた。あくまで通路で発生したトラブルの確認と、後輩指導が主目的だ。
「……影守さん。あなたの扱いかねていた装備が原因でトラブルになったようですが、怪我はありませんか」
「は、はい……! 大丈夫ですぅ……」
「身の丈に合わない装備を無理に実習へ持ち込むのは事故の元です。次からは無理をせず、教員か指導員に相談するように」
「ごめんなさい……以後気をつけますぅ……」
厳格ではあるが、筋の通った生徒指導。
ひと通りの状況確認を終えた氷華は、ふと視線を夜々の大盾へ向け、僅かに目を細めた。
「……ところで、影守さん。その大盾、先ほど遠目に見た際は魔力の偏りが酷く、自重崩壊寸前のように見えましたが。……今は随分と綺麗に魔力脈が整っているようですね」
「えっ……あ、それは……」
夜々がちらりと僕の方を見る。
氷華のサファイアの瞳が、静かに僕へスライドした。
「ノアさんでしたね。2年Dクラスの編入生。……あなたが何か手を加えたのですか?」
「え、あ……はい。ちょっと重そうだったので、手を添えてバランスを直したというか……」
「……触れただけで、これほど乱雑な闇の魔力波長を綺麗に噛み合わせたと? あなたの基礎データには、極微弱な支援適性としかありませんでしたが」
見下すでも疑うでもなく、純粋な疑問としての問いかけ。
並の学生なら見逃すような微細な魔力の変化を、氷華は職務の合間に正確に拾い上げていた。
「昔から、魔力の波長のズレがなんとなく感覚で分かっちゃう体質でして……。痛そうだったので、元の流れに戻しただけなんです」
「……なるほど。『調律』の感覚的な適性、ですか」
氷華は少しだけ思案するように顎に手を当てたが、それ以上深く詮索することはしなかった。今はあくまで騒乱の指導が本題であり、個人の細かな能力査定の場ではないからだ。
「……分かりました。装備の不備を放置せず、事故を未然に防いだ点については結果オーライとしておきましょう。今回の件はお咎めなしとします。三人とも、戻って結構です」
「あ、ありがとうございます……!」
僕たちが一礼して部屋を出ようとした時、背後から氷華の静かな声が追ってきた。
「ノアさん」
「はい?」
「……あなたのその技術、感覚だけで片付けるには少々興味深い精度でしたね。また何かあれば話を聞かせてもらうかもしれません」
「……は、はい」
◇
その頃。
世界樹ダンジョン中層・第15層『風化回廊』。
「おい陣内! また回復魔法のタイミングが遅れたぞ! 傷口が塞がりきってねえ!」
岩肌を背にして、豪島が苛立たしげに大剣を地面に叩きつけた。
周辺には、手こずりながらも討伐した魔物の残骸が散らばっている。
陣内も額の汗を拭いながら、不満げに息を荒らげていた。
「俺のせいにするなよ! 豪島さんの踏み込みが早すぎて波長が合わねえんだよ! ……クソッ、なんだってんだ最近。前はもっと息が合ってたはずだろ……!?」
「チッ、今日の魔力環境が悪いだけだ! 気合入れ直せ!」
豪島は怒鳴り散らすが、その顔には隠しきれない焦燥が張り付いていた。
彼らはまだ気づいていない。
かつて自分たちが「お荷物」と切り捨てた少年が、どれほど完璧に彼らの呼吸を合わせ、魔力を整え、見えないところで命を繋ぎ止めていたのかを。
狂い始めた歯車は、もう二度と元には戻らない。
破滅へのカウントダウンは、静かに始まっていた。




