祭りのあと
夕暮れ時の学園都市は、どこまでも澄んだ茜色の空と、祭りの陽気な喧騒に包まれていた。
「――ぎゃあああっ!? ちょ、ちょっとノアちゃん、神薙会長、どうしたんすかその格好ぉぉぉっ!?」
記念広場の片隅、生徒会テント裏のベンチで、リノの悲鳴のような絶叫が夕空に木霊した。
駆け寄ってきたリノと夜々は、目を丸くして口元を手で押さえている。
それもそのはずだった。
目の前に座るノア、氷華、クラリス、クローディア、マリンの五人は、全身に包帯や湿布が痛々しく貼られ、制服やエプロンドレスは煤と泥でボロボロ。まるで戦場から這い出してきたかのような惨状だったのだから。
「だ、大丈夫だよリノちゃん……! ちょっと、機材の搬入の手伝い中に足場が崩れて、みんなで派手に転んじゃって……あはは……」
ノアが頬に貼られた湿布を指先で押さえながら、引きつった笑顔で手を振る。
「転んで済むレベルのダメージじゃないっすよそれぇ! ボロボロの可愛いお洋服の推しとかどんなマニアックプレイっすか! スカートも破れてるし!」
「神薙会長……お顔にまで擦り傷が……本当に大丈夫なのですか……?」
夜々もおろおろと視線を泳がせながら、慌てて持参していた清潔なタオルで氷華の頬の汚れを拭おうとする。
「ええ、問題ありません夜々さん。……少し、派手に片付けを手伝いすぎただけです」
氷華が痛む肩を庇いながら、どこか誇らしげに微笑んだ。
本当は、現場に駆けつけた獅堂部長に「全員さっさと病棟へ叩き込め!」と救急担架で臨時医療テントへと強制搬送されていたのだが、骨折や致命傷がないと分かるや否や、「このまま入院してたら学園祭が終わっちゃう!」「フィナーレの花火を見なきゃ割に合わない!」と意気投合。最低限の止血と包帯、湿布を貼ってもらっただけの状態で、必死に止める医療班を拝み倒して抜け出してきたのだった。
「あー、腹減った! 死ぬかと思ったぜ!」
クローディアがベンチに背中を預け、リノたちが買ってきてくれた屋台の焼きそばのパックを開けて豪快に口へ運ぶ。
「冷めててもうめぇな、これ……ソースが五臓六腑に染みるぜ……」
「お行儀が悪いですわよ、クローディアさん」
クラリスがため息をつきつつも、自分も紙コップのぬるくなったリンゴジュースを一気に喉へ流し込み、深々と息を吐いた。
「……ですが、本当に……病院のベッドを抜け出してまで戻ってきた甲斐がありましたわね」
「あはは……マリンのドローンも一台大破しちゃったけど、うん、生きてるだけでマリン検定合格だよぉ……焼きそば一口ちょーだい!」
「あー! あたしの焼きそば取んなよ!」
ベンチの周りで、いつもの軽口と笑い声が弾ける。
リノが「もう、みんな無茶ばっかりするっす!」とぷんすか怒りつつも、買ってきたフランクフルトやたこ焼きをノアたちの手に次々と押し付けてくれた。
「ほら、みんなも食べて食べてっす! ちょうどメイン通りの屋台、片付け前の大セールやってたんで根こそぎ回収してきたっすよ!」
「あ、ありがとうございます、リノさん……ふふ、美味しそうですわね」
「ノアちゃん、口の端にソースついてるっす! あーもう、あざとい……じゃなくて、はい、じっとしてるっす、拭いてあげるから!」
「あ、ありがとリノちゃん……っ」
他愛のない会話。温かい食べ物の匂い。
メインストリートからは、ブラスバンドのフィナーレ演奏と、楽しげな生徒たちの笑い声が風に乗って流れてくる。
『今年の学園祭、展示も屋台も過去最高だったね!』
『夜のパレード、あっちの通りから来るって!』
『花火、もうすぐ上がるよ!』
誰一人として、ほんの数十分前、この都市の目と鼻の先で世界の危機が起きていたことなど気づいていない。
自分たちが命懸けで守り抜いた、かけがえのない日常の景色が、そこには確かに広がっていた。
「……大変だったね」
ノアが小声で呟くと、氷華も、クラリスも、クローディアも、マリンも、顔を見合わせてふっと小さく笑い合った。
「ええ。……ですが、あの子を救えて、本当によかったです」
氷華が静かに頷く。
「ああ。アタシらの大勝利だ」
「皆さん本当によく頑張りましたわ」
「うんっ、最高のチームだよ!」
ヒュルルルル……ドンッ!!
夜の帳が下り始めた群青の空へ、色鮮やかな大輪の打ち上げ花火が一発、パッと花開いた。
続けて、赤、青、緑、金と、眩い光のシャワーが夜空を埋め尽くしていく。
歓声を上げる広場の人々の横顔を、満身創痍の少女たちは、肩を寄せ合いながら静かに見上げていた。
痛む身体も、ボロボロの服も、すべてが自分たちの選んだ道。
誰にも知られることはないけれど、心には確かな絆と誇らしさが灯っていた。
――こうして、激動の学園祭は幕を閉じた。
◇
祭りの熱気が完全に引き、夜の静寂が街を包み込んだ頃。
学園都市の地下・最深拘禁施設には、重苦しい沈黙が落ちていた。
厳重な魔導手錠で拘束された御子柴は、鉄の机を挟んで座る二人――獅堂鉄也と鳴神冴香を前に、ただ静かに視線を落としていた。
「……久しぶりだな、御子柴」
煙草の煙とともに落とされた獅堂の低い声に、御子柴は小さく喉を鳴らしただけだった。
かつて尊敬した直属の上司と、真っ直ぐすぎた同僚。
二人が真相を知らされていなかったことも、知っていれば命を賭してでも助けに来ていたことも、痛いほど理解していた。だからこそ、二人に対する恨み言など、最初から一言も口にする気はなかった。
「上層部の腐れ共が仕組んだ記録は……全部、黒塗りだった。気づいてやれなかった。すまなかったな」
「……いいえ」
短く、掠れた声が返る。
「……お二人が謝る筋合いはありません。……すべて、私の弱さです」
それ以上、男は自らを弁明しようとはしなかった。ただ固く手を握りしめ、手錠の鉄を小さく軋ませる。
「……あの子は」
「獅堂部長の預かりだ。二度と道具にはさせん。……ノアたちが救い出した」
鳴神の言葉に、御子柴はわずかに息を吐き、目を閉じた。
「……そうか」
口元に浮かんだのは、安堵と自嘲が混ざり合った、消え入りそうな影だった。
沈黙を挟み、獅堂が身を乗り出す。
「御子柴。一つだけ聞かせろ。あの小僧を縛っていた術式だ。既存の技術でも、古代魔導でもねえ。精霊の急所を知り尽くしていなきゃ組めねえ代物だ。……どこで手に入れた」
御子柴は瞼を開けた。
感情を殺した瞳の奥に、拭い去れない冷たい澱みが揺れる。
「……深淵の底です」
「深淵だと?」
「光の届かない深い場所で、私に語りかけてきた『声』がありました」
御子柴は淡々と、だが絞り出すように言葉を継いだ。
「その声が、術式を授けてくれた。『復讐の智慧だ』と。……姿は見ていません。ただ……」
御子柴はふと視線を上げ、獅堂と鳴神の目を真っ直ぐに見据えた。
思っていることを決して多くは語らない男の瞳に、かすかな警告の色が宿る。
「……あの御方は、世界樹の理そのものを知り尽くした……純粋すぎる狂気です。……お二人も、気をつけてください」
それだけを言い残すと、御子柴は再び深く口を閉ざし、机へと視線を落とした。
重い沈黙が、冷たい取調室を満たしていく。
獅堂と鳴神は、互いに無言で険しい視線を交わし合った。
深淵に潜む『声』の主。
夜空に咲いた花火の残り香のその裏で、新たな嵐の予兆が、静かに世界を侵食し始めていた。
(第1章・完)
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
本エピソードをもちまして、【第1章 完結】となります。
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